「教養」の耐えられない軽さ/ファスト教養ブームは「美術」の終わりの始まりなのか?
最初に言っておきます。この記事は、昨今「ファスト教養」と呼ばれるものへの批判記事ではありません。
ファスト教養の抗いがたい力をなかば認めつつ、そして、私の中にもそうした傾向が年々増しつつある事を自覚しつつ、それでもその行き着く先には美術の明るい未来が待っていないことを予感し、今何ができるか考えようという七面倒くさい(それこそ昨今敬遠される)思考の記録です。
ぜひ最後まで読んで、この答えのない問いにあなたなりの思考をめぐらせてください。
普段の記事は(これでも)全体構成を考えて、読みやすくなるよう努力していますが、今回はあえてスッキリ整理させず文章を書き連ねてみたいと思います。きちんとした結論ありきの文章ではないため、ご容赦ください。
そもそもファスト教養って何よ?ですよね。なんか通じてる前提で書き始めてしまいました。反省反省。
「ファスト教養」という言葉は、こちらの本が名付け親でしょうか。
この『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』、ここ数年私が漠然と感じていたモヤモヤを、これでもかというぐらい明確に文章化してくれていました。今年買ってよかった本ベスト10に入ります。
本屋に行けば、なぜかビジネス書のコーナーに『教養としての○○』といった本が目立つようになりました。美術、アートもその教養のひとつに組み込まれています。
ビジネス書コーナーにあることから分かる通り、ここでいう「教養」とはビジネスのため、自己啓発のため、ステップアップのためのツールとしての役割が期待されています。
ツールですから、深く全体を網羅するような知識を学習するのではなく、なるべく効率的にコスパよく学ぶことが求められます。名著や名作をさくっとまとめて解説してくれる動画が人気となり、映画は倍速で流し見できればOK、そんなお手軽な教養を求める風潮を、手早く安価で食べることができるファストフードになぞらえて「ファスト教養」と名付けたのが、冒頭の書籍です。
おそらく今この記事を読むような人の大半は、本屋に並ぶ『教養としての○○』をどちらかといえば冷ややかな目で眺めているのではないでしょうか。「○○」に入る学問や芸術を愛する人は特に。何を隠そう私もその1人です。
そんな問題意識のもとにいくつか記事を書いてきました(↓)。
でも、そうやって斜に構えて眺めているだけでいいのだろうか、と心境に変化がでてきました。
心境変化の理由を考えると、まず一つに「ファスト教養」が一過性のブームではなく不可逆的な潮流に思えてきたからです。
そうしてもう一つは私の中にも「手軽に知識を吸収したい」「無駄になるかもしれない物事は敬遠する」そんな感情が間違いなくあることに気づいたからです。
もう少し、私なりのファスト教養に対する考えを続けます。
村上春樹の小説『ノルウェイの森』の中に、主人公の寮の先輩として、永沢という東大法学部の学生が出てきます。家柄がよく、聡明で、何事もスマートにこなす男性で、外務省への入省が決まっているいわゆるエリートです。
いま、ふとこの永沢の考え方が、ファスト教養とどこか近いものがあるな、と思い当たりました。
無駄なことはしない。有用なことだけをする。永沢はそれを徹底しています。恋人との付き合いにおいても(それが一つの悲しい結末につながる)。
永沢は物語の中である種の超人として描かれているので、浅はかなファスト教養とは対極にあるように感じるかもしれません。でも、必要なことだけをスパッと選び取っていく彼の生き方は、現在の『教養としての○○』を手にとる人のマインドに見事に重なるように思います。
永沢はスペックだけを見れば、ものすごいエリートです。人生を軽やかに渡り歩いていく才覚をこれでもかと見せつけます。でもその人間性には奥行きがありません。面倒見のいい頼れる先輩として主人公の前に登場するのですが、最後は次のように終わります。
ファスト教養的価値観の行き着く先は、永沢のような人間なのではと思わされます。そんな生き方を是とする人間も中にはいるのかもしれません。でも多くの人はそうではないでしょう。というか、むしろ耐えられないはずです。
また、話を変えます。大学で学ぶのは「教養」でしょうか。
私は違うと思います。
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