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適応障害になるまでの地獄とその後
簡単な自己紹介
私は社会人になってから10年で転職を3回経験しており、1回目の転職先では入社1ヶ月ちょうどのタイミングで適応障害の診断を受け休職しています。
転職理由や詳しい経歴などはこちらの記事を見ていただけると嬉しいです。
社会人歴としてはちょうど3年目のタイミングで私は転職しました。
新卒から人事をしていた私ですが、誰も知らない場所に逃げたい一心でしたので、仕事内容は変えずに「人事」の仕事を探していました。
そのおかげもあってか、経験者ということで割と早めに転職先が決まりました。
【転職先データ】
・従業員数300名から10倍の3,000名規模
・大手電機メーカーのグループ会社
・インフラで使用される設備のメンテナンス
・年収150万円UP
このデータだけ見ると、当時の私からしたら大大大成功の転職でした。
当時自分を明らかに見下していたり、馬鹿にしていた同期が驚いていたことを今でも覚えています。
そんな嬉しかった転職でしたが、結果は転職1ヶ月で休職。適応障害という診断でした。
今回は私が経験した地獄のような環境と、そこから復職するまでの道のりについてお話しいたします。
地獄の始まり
まず入社初日ですが当時の部長との面談から始まりました。「〇〇の業務を担当してるから頑張ってね」といった期待の言葉であったり、「一緒に頑張っていこう」などをいってもらえるのかな?と思ったら入社した途端に言われた言葉が・・・
「お前は社会人としてなっとらん。これから俺がお前を叩き直してやるから覚悟しろ」でした。
この方は転職の最終面接を担当されていましたが、どうやらその時の私の立ち居振る舞いが気に入らなかったようです。
1社目の会社でうまく働くことができずに逃げるように転職した自分にとって、ここでもそんな見られ方をするのか・・・とショックを受けました。
ただ、自分への自信のなさは健在でしたので仕方ないかと無理やり納得することにしました。
また、「俺が育てると他の面接官に説得してなかったらお前は落ちていた」とも言われ、この会社でやっていけるのかと激しく不安を感じたことも覚えています。
例え本当だとしても言わないでほしいなぁ・・・と思いました。
完全に出鼻を挫かれましたね。
今私は企業で新卒やキャリア採用者がいかに早期に会社に馴染むことができる環境を作れるか(オンボーディングと言ったりしますが)をテーマに仕事をしていますが、この時の経験、感情はある意味役に立っています笑
こんな感じで初日に手厚い洗礼を受けたわけですが、これだけでは終わりませんでした。
先輩からのいじめ。課長のリタイア。
当時、私のいた人事課は計6名で部長と課長も同じ席の島にいました。
そのため自分の席から人事課メンバー全員の姿を確認することができるのですが、なぜか出社すると部長と課長の姿はなく、毎朝朝礼前のラジオ体操の途中に二人で席に戻ってきます。
これは何をしていたかというと、部長から課長に対して毎朝納期が遅れている案件や、依頼に対するレスポンスがないことに対して叱責を1時間していました。
それを私が知るのは入社してから数ヶ月経過した後ですが、みるたびに課長の顔色が悪くなっていくことには気づいていましたが、それに触れることができませんでした。
なぜかというと私は私でOJT担当の先輩社員から本当に地獄のような日々を送っていたからです。
当時私のOJT担当は40歳前後の方でした。
私が何をするにしても指摘、叱責をされる方でした。
特にきつかったのが報連相の塩梅が全くわからないことでした。
わからないことを確認すると「いちいちそんなこと聞くな」、「自分で考えろ」、「キャリア採用のくせに新卒以下だな」といわれました。
それならと自分で考えて動くと「なんで勝手にこんなことをしたんだ?」、「誰の許可で動いてるんだ?」、「報連相は社会人の基本だろ」、「キャリア採用のくせに報連相できないなんて新卒以下だな」
ここまで来ると何が正しいのかわからず、身動きがと段々取れなくなり息苦しさが増してきます。
また、当時新卒で入った新入社員とことあるごとに比較をされ、「〇〇(新卒君)は優秀なのにお前はほんとにダメだな」と言われ続けもしました。
これは言われるまで気づかなかったのですが、不安を感じた時に喉が詰まった感覚があり、咳払いをする癖ができました。
これも気づいたのはその先輩から「うるせえ」と言われ、すみません。気づきませんでした。気をつけます。と伝えると「お前自分のことすら何も知らないんだな」と言われ日は、初めて職場のトイレで泣くという貴重な経験となりました。
こう言った明確な敵意のある言葉を向けられ続けると本当に自己肯定感が下がりました。
1社目の時にもかなり低かったと思いますが、まだこんなにも下がるのか。というほど落ちきりました。
そして自分はできるという気持ちが極端に低いと、「いかにおこられないか」、「やり過ごすか」、「時間が過ぎるのを待つか」に、意識が全集中します。
仕事に集中しているわけではないので結局ミスも増えるし、当然そんな状態では良い成果も出ません。
自分の中のできたのハードルが低いからか本当にアウトプットの質も低かったと思います。
自発的に何かやりたいことを見つけて新しいものを生み出すことなんて夢のまた夢です。
この件からも部長から厳しく叱責を受けたりと出社するだけでギリギリの状態が入社からずっと続いていました。
決定打
私が休職する決定打となったエピソードについてです。
部長より更に上位役職者の本部長と1体1で会話をする機会をいただくことができ、その時にこのことを相談した時に言われた言葉です。
「おれはお前のコミュニケーションに問題があると思う。」
「むしろ教育してもらっていることに感謝をしないと」
今の私ならもう少し客観的にこの時のことを見ることができるので、確かにまだろくにアウトプットも出さない、ミスも多い私よりも部長や先輩の肩を持ちたかったのかなと理解はできます。
ただ、当時の私は明らかにメンタルヘルス不調の兆候も出ており、そういった方に対してどのような声をかけるべきかは学習をしていたらわかります。
人事本部長なのであれば健康管理関係の知識を持っていないといけないとも思いますが、おそらく学習されてなかったのでしょう。
私はこの経験から管理職や上に立つ方ほど学習が重要になると気づきました。
それは従業員10,000人規模のグローバルメーカーで管理職をしている私の大事にしている考えになっています。
このことは、当時なんとかしてもらえるかもしれない、多少は理解してもらえるかもしれないと淡い期待をしていた自分の考えを崩され、何もカモらどうでも良くなる出来事でした。
そして、その次の日に通勤でいつも使っているコンビニで気を失い救急車で病院まで運ばれました。
休職期間中の話
診断の結果、ストレスによる睡眠不足と食事も喉を通らなかったことなどが原因ではないかということでした。
結局、運ばれた病院に紹介してもらったクリニックへ行き、そこで適応障害により1ヶ月の休職という診断書をもらいました。
倒れたタイミングが試用期間がギリギリ終了したタイミングで良かったです。
でなければ本当に試用期間満了で解雇にされていた可能性もあったと思います。
また、同じ部署ですが仕事の関係であまり関わりがなかった先輩が優しくしてくださり、「安心してゆっくり休めな」と言ってくれたことで落ち着いて療養できました。
休職期間中はなるべく会社のことを考えないようにしていましたが、落ち着くにつれ
「自分の人生このままでいいのか?」
「負けっぱなしでいいのか?」
「なにか今を打開するためにできることはないか?」
変わりたい、悔しい、負けたくないと考えることが多くなってきました。
そこでどうすればいいかを考えた時、そういえば今まで自分で何かを決断してやり遂げたことってあったっけ?と考えるようになり、その頃からネットなどで意識改善や資格を調べたり、本を読み始めたりと自分を変える方法を探し始めました。
今、私が意識している継続的学習意識や成長意欲はこの時に培われたのだと思います。
ただ、休職期間満了が近づいてきたとき、上司との面談がありました。
場所は私の住む近くの喫茶店でしたが、私はてっきり課長が来るかと思ったら現れたのは部長でした。
理由を尋ねると私が倒れた一週間後に課長もうつ病の診断書を提出して休職に入ったから自分が来たとのこと。
部長からは1ヶ月なんて鬱じゃない(鬱とはいってないんだけどな・・・)
〇〇(課長)はうつ病だが、お前のは病気じゃなくて少し長い休みみたいなものだ
忙しいのに勘弁してくれ
などなど、全くこちらに対する配慮を感じさせない言葉をいくつかもらいましたが、一番驚いたのは別の言葉でした。
「お前をいじめていた〇〇(OJT先輩)飛ばしといたから、安心して戻ってこい」
かなり驚きました。
まさかOJT先輩だけのせいになっていたのか
部長はお咎めないのか?
などなど色々と思うところはありましたが、ただ、以前よりはまだ仕事はやりやすいかも・・・と思い、1ヶ月で復職することになりました。
復職後は休職後に優しくしてくれた先輩の下につくことになり、そこから伸び伸びと仕事ができるようになりました。
転機
休職期間中に一番自分を変えるきっかけとなったのは、やはり国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得することを決めたことです。
キャリアコンサルタントには受験するための要件が何パターンかあるのですが、私はほとんど当てはまらなかったため、養成講座でしっかり学習してから試験を受ける必要がありました。
その養成講座の受講料がなんと30万円。今のように人材開発の仕事をしていればそこまで驚きの金額でないと思いますが、当時の自分にとって自己投資に30万円のお金を使うことは考えられませんでした。私がこれまでしてきた買い物の中で車以外では一番高額な買い物だったと思います。
社会人3年目。貯金もほとんどない。奨学金の支払いも残っている私にとって本当に大きなお金でしたが、思い切って決断しました。
そこから仕事に通いながら土日隔週で専門学校に通って養成学校の認定を受け、資格に合格しましたが、この経験は自分もやればできると大きな自信になりました。
特に自分で決断をして達成できたプロセスは今の仕事でもやり切る力に生きていると思います。
自信がついて自分で考えて仕事をすることが増えてきてから自然と会社でも褒められることが増えてきました。
この体験は私の人生史の中でもかなり大きな出来事だったと思います。
<私が受けた養成講座>
※興味のある方はご覧ください
この件から学んだこと
私はこの出来事があったおかげで、今人事に強いやりがいを感じています。
今後このような被害者を生まないように。
私に関わる職場の方々が一人でも多くイキイキと働くことができる環境を作る
これが私の仕事をする上でのパーパス(譲れない軸)となっています。
対話やカウンセリングスキルを身につけるためキャリアコンサルタントの更新やコーチングの資格を取得しています。
また、メンタルヘルス関連の知識をつけるためメンタルヘルスマネジメント検定取得や労務管理の学習も継続しています。
この経験自体が私の継続的学習の源となっているといっても過言ではないです。
また、キャリアコンサルタントの資格を取るために養成所へ通うのですが、そこで意外と自分できるじゃん!
と思う経験をすることができたことも大きかったです。
失礼な話ですが大人もみんな人間なんだ!
と、大人に対して変に物怖じなくなりましたのもいい経験でした笑
※養成所での出来事についてはまた別途別の機会にお話ししたいと思います。
この経験も自分から一歩踏み出せたことで知ることができた成果だと思います。
以上です。
もし、現在同じ境遇にいてどうすればいいか悩んでいる方がいれば、その方にとってこの経験が一つの選択肢になれば幸いです。