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山に愛された男
つい今日の昼まで屋久島にいた。見渡す限り緑と青の世界にいると、コンクリートに埋もれた日々を忘れてしまう。
壮大な自然の中、自分自身や自分が守ろうとしているもの、勝ち取ったと思っていたものが全てちっぽけに感じてしまう。
今回は5泊6日の中で3つのツアーに参加する予定だった。
1.安房川で早朝カヤック
2.縄文杉
3.白谷雲水峡
今回は1と2に参加することはできたが、残念ながら白谷雲水峡を見ることは叶わなかった。
屋久島に降り立った日は快晴。
雲ひとつなく、それでいて暑過ぎない春らしい陽気だった。
しかし白谷雲水峡に行く前日になって、「もしかしたら行けないかも」なんてガイドさんに言われてしまった。
初日の快晴から少しずつ雲が出たり小雨が降ったりはしていたが、まさか川や沢の氾濫が見込まれるほどとは思わなかった。
次の日に行けなくてもまた天気が良くなるのを待てばいいのだが、他にも予定があったので長居はできなかった。
それに天気が良くなったタイミングで帰りの便を調べてもすぐに埋まってしまう。今回は安全策として、白谷雲水峡には行かず、本格的に天気が悪くなる前に帰ることにした。
早めに手を打ったことでどうにか帰りの便を変更し、予定よりも1日早く鹿児島県本土に上陸した。
白谷雲水峡に行けなかったのは心残りだが、ある意味「帰ってほしくない」という神様のお告げだったのかもしれない。今はそう思っている。
いきなり神様のお告げだなんてと思うかもしれないが、屋久島は古くから山岳信仰が重んじられてきたそうだ。
屋久島は日本の南部に位置しながら標高の高い山を有しており、日本の気候帯をほとんど網羅している。
そして天気も非常に変わりやすく、ニュースの天気予報だけではあまり当てにならないとのこと。
それゆえに屋久島に上陸することを何度も断念させられた人もいれば、すんなりと上陸を許される人もいる。
このことから「選ばれた人だけが踏み入ることを許される島」なんて言われるとか。
そう考えると、初日に雲ひとつない快晴で上陸できたこと、本来屋久島を去る予定だった日に悪天候になったことは、神さまに迎えられ、帰ることを拒まれたのかもしれない。
こんな迷信めいた話を信じるタイプではないが、とりあえず「そうだといいな」と思っている。
もしかしたら、僕の名前である岳(Gaku)も関係があるんじゃないかと思えてきた。
たしか、山のように逞しく育つように、何かにおいて頂点に立てるように、そんな意味が込められていたと記憶している。植物や野鳥を好むアウトドアな父親がつけたのも納得だ。
屋久島に行くことで価値観やモノの考え方をアップデートできると思っていたが、まさか自分の名前について考えさせられるとは。