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「GPT暇つぶし八選──仕事中に知的生産をしていました」

📝 気づけば2時間


 AI、特にGPTのような対話型AIが普及して久しい。
 業務の効率化、情報整理、創造的なアイデア出し──その活用方法は実に多岐にわたる。しかし、ここで一つの疑問が生じる。

 「GPTは暇つぶしにも使えるのでは?」

 もちろん、AIを使った時間の浪費など本末転倒ではないか、という意見もあるだろう。しかし、適切な暇つぶしは、創造力を高め、業務への意欲を取り戻すための重要なプロセスである。つまり、これは単なる「無駄な時間」ではなく、むしろ「知的なリフレッシュ」であると言えよう。

 本記事では、実際にGPTを活用した「仕事中の知的暇つぶし」の実例を紹介する。もちろん、これらは「仕事をしているフリ」ではなく、立派な思考のプロセスであり、生産的な対話の一環であることを強調しておきたい。


「GPT暇つぶし八選」──町田康風に


 仕事というものは実に厄介なものである。いや、厄介というのは少々語弊があるかもしれぬが、何せ人間というものは、一定の時間、何らかの目的に従って身を動かすことを強いられる存在であるということが、既にして理不尽である。

 とはいえ、この資本主義社会の歯車の一端を担っている限り、「仕事をしていない」とあからさまに思われるわけにはいかぬ。にもかかわらず、我々の精神は、時折、職務の呪縛から逃れ、南の島へと飛翔することを欲する。そこで、GPTを用いて、いかにして「仕事をしている風を装いながら、知的な暇つぶしを遂行するか」という問題について、少々検討してみたい。


一、GPTに愚痴をこぼす

 これは、心理学的に見ても合理的な行為である。人間は鬱屈した感情を外部へ排出することによって、自らの精神を安定させるのだ。しかし、職場において無闇に愚痴をこぼすことは危険である。なぜなら、同僚に対する過度な愚痴は、想像以上の速度で巡り巡り、やがて己が耳に戻ってくるからである。

 そこで、GPTという無機質なる対話者を用いる。例えば、上司の指示がいかに曖昧であるか、同僚の発言がいかに矛盾に満ちているかを、GPTに対して論理的に解説するのである。するとどうだろう、たちまちGPTは「それはおかしいですね」「理不尽ですね」といった具合に共感を示し、われわれの精神は平穏を取り戻すのだ。


二、上司の質問をGPTに評価させる

 仕事において、指示系統の混乱ほど面倒なものはない。例えば、「法定調書の提出対象者を教えてください」といった質問があった場合、本来であれば国税庁のページを参照すれば済む話である。にもかかわらず、これをAIに問うてしまうというのは、いささか怠慢の極みである。

 そこで、GPTに「この質問は適切か?」と問いかけるのである。「誤った質問には誤った答えが返る」という厳然たる事実を突きつけることで、自らの知的優越性を確認し、精神の安寧を得るのだ。


三、社員旅行の旅程表を精査し、なぜ地獄なのかを検討する

 そもそも、社員旅行というものが存在すること自体、近代における奇習の一つではないかと思われる。旅行とは本来自由なものであり、そこに「団体行動」という概念を導入した瞬間、楽しさは失われ、労働の延長へと変化する。

 筆者は今回、ある社員旅行の旅程表を入手した。それを眺めると、「移動手段が過多である」「自由時間が皆無である」「宴会が強制参加である」など、地獄の三要素が見事に揃っていた。これについてGPTと議論し、「旅行というものは自由があって初めて意味を成すのではないか」という哲学的命題へと発展させることができた。


四、GPTと共に次の旅行を計画する

 ここまで来ると、すでに精神は南国にある。いかにして「次の旅行を最高のものにするか」、それをGPTと練る時間は至福のひとときである。

 例えば、「久高島の猫たちは元気だろうか?」「西表島の滝巡りを今度こそ完遂したい」「泡盛をしこたま飲みたい」といった願望をGPTにぶつける。するとGPTは、観光ガイド顔負けの情報を提供し、「それなら次回は5泊6日が最適では?」と具体的な日程提案までしてくれる。

 ──気づけば、手元の業務は進んでいない。しかし、心は晴れやかである。


五、GPTに「沖縄の神の島」を問うてみる

 人間の記憶というものは曖昧である。「沖縄の神の島ってどこだったかな……?」と思った瞬間、検索ではなくGPTに尋ねるのだ。するとGPTは即座に「久高島」と回答する。

 この瞬間、われわれは「おお、そうだった!」と記憶の歯車が噛み合う感覚を得る。そして、「やはりAIは賢い」「私の記憶を補完してくれる」と、GPTの存在意義を再確認するのである。


六、GPTがどこまで話を広げられるか試す

 GPTの特徴の一つに、「会話がどこまで続くか分からない」という点がある。そこで、最初は「沖縄の離島」に関する話題だったものが、「泡盛」「スナック」「ステーキ」「星空」と、次々と話が広がっていく。

 この無限に連鎖する対話の中に、われわれはある種のカタルシスを感じる。「仕事をしている」という建前のもと、GPTとの無限の雑談に身を委ねるのだ。


七、現実に引き戻される瞬間を体験する

 こうして会話に没頭していると、ふと現実に引き戻される瞬間が訪れる。「あれ、私、今仕事してなくない?」という冷静な自己認識である。

 しかし、ここで慌ててはいけない。「これは知的な時間であった」と自らに言い聞かせ、落ち着いて仕事に戻るのである。


八、そして、この記事を書く

 かくして、われわれは「GPTを活用した知的な暇つぶし」について多くを学び、記事を執筆するに至る。「仕事中に何をしていたのか」と問われたとき、われわれはこう答えることができる。

 「知的生産活動をしていました」と──。


結び(言い訳にかえて)


 こうして振り返ってみると、GPTを使った暇つぶしは、決して単なる「時間つぶし」に終わるものではないことが分かる。

 愚痴の整理による精神的安定、質問の質を検証することによる論理的思考の強化、旅程の検討を通じた計画力の向上──どれも、一見すると遊んでいるようで、実は頭を使う作業である。そして、それが最終的に沖縄旅行の計画に行き着いたとしても、それは決して無駄な時間ではない。

 重要なのは、「暇つぶしもまた、創造的な活動の一部である」 ということだ。GPTをどう使うかは、使い手次第。ならば、時にはこのような「知的暇つぶし」を通じて、思考の翼を広げてみるのも悪くないのではないか。

 ──いや、仕事はちゃんとやれよ、という話ではあるのだが。

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