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会議が嫌すぎてうつ病になった話2

組織のための尊き犠牲となる


はじめに

 私が所属している会社の部署は会議が大好きだ。皆は勤務時間をフルに使って会話に花を咲かせ、仕事の方針や必要なのかもわからないアイデアの議論、日常生活のちょっとしたお話しなど多岐に渡り、話題が尽きることは無い。会議が進むことで組織はより一体化する。目的を果たすための強固な意志を持った集団として成長していく。それに疑問を持つことなど、許されてはいけない。

業務遂行能力の低下

 連日の会議地獄に心身ともに疲弊していた私は、業務をこなすための思考力が大きく低下していることを実感していた。特に目立ったのは、文章を書く力である。業務内容を整理していても思考がまとまらず、他人に伝わるのかを客観的に判断することや、他人が書いた文章を読んでも頭に全く入らなくなっていた。業務の進捗を文章にまとめることが多い現場であるため、これは致命的である。他人に進捗を伝えることができなければ、他人の業務を理解して自身の仕事に反映することもできない。
 この頃は自身がどれだけ疲弊していたのかを判断することもできなかったため、今までできていたことが急にできなくなったと感じて焦っていた。自分の能力が落ちたからなのか、仕事についていけていないのか、明確な理由を見つけられず、手探りで仕事をこなすしかないと意識し、何を為すべきなのかが見えていない泥沼の状態に陥っていた。そのような精神状態で進捗を報告するため、補足説明で更に消耗する最悪な状態だった。

突発的な「会議」

 私たちの部署が設立されてある程度の方針が決まったころ、私はあるものに怯えていた。それは、上司の思い付きの雑談である。時間は夜7時を回っており、残業によってだいぶ遅くなった状態だった。やっと帰れると安心していた矢先に、休憩中だった上司は部署のメンバーを呼び集めて自身の考えている方針を話し始める。会話は順調に進み、気が付けば1~2時間は経過していた。時計は夜の9時を回っているが、有意義な議論の前には些細なことだった。
 このような突発的な「会話」はそれからも予想しないタイミングで発生した。私の業務の時間を犠牲にしながら部署の方針を次々と定めていく。そして、私には新しい業務が課されていった。喫緊でこなすべき業務がいくつも重なり、都度、優先度の整理とスケジュールの見直しが必要になった。今まで立てていた計画は全て白紙である。このような状態で個々の業務の目的やゴールなど見出せるはずもなく、手当たり次第に片付けていくしかない。

遅くなる業務

 私は山のように課されていく業務を必死にこなしていくうちに、他の業務がどんどん先延ばしになっていることを危惧し始めていた。同じ部署のアイデアマン気取りに、お前は新しい仕事を割り振られたときに、それまでやっていた仕事を無かったことにしていると決めつけられ、うんざりした気持ちになっていた。本心としては、あんたがあれこれ文句をつけて仕事をしないから、私のほうに回されていると言いたかったが言うだけ無駄である。
 実際問題、業務が全体的に遅れていることは事実であった。特に、年始に押し付けられた新しいプロジェクトは、月に数日程度しか時間を割けないことや、次々を与えられる業務に押しつぶされ、手を付けたくても取り組めない状態になっていた。これは非常に良くないと思いつつも、目の前の業務をこなすことで精一杯になっており、解決のための行動を起こすことができない。このままではプロジェクトは確実に破綻する…それだけは明白だった。

仕事への不安

 部署が再編されて秋を回ったころ、私は業務上で細かな失敗を繰り返すようになった。出張費を清算するための申請書類の作成で、何度も些細なミスをして上司に差し戻された後に、疲労が溜まっているようだから休養を取ったほうが良いと諭され、一日だけ休みを取ることにした。周りから見ても問題だと思われるほどに、自分が簡単な業務すらできていなかったことを自覚し、うんざりした気持ちになった。
 突如取得した休みで、私は仕事に対する不安感がより強くなるのを感じていた。趣味に興じていても、何も考えずにぼーっとしていても、思い浮かぶのは仕事で失敗した時のことや、会議でのやり取りだった。休みが終われば会議が始まる、長時間拘束される、業務が遅れる、何を考えても気持ちを切り替えることはできなかった。自分は何のために仕事をしているのだろうかと、ふと考えてしまうこともあった。

上司の相談事

 それはいつものように開催される会議で起こった。別の部署から異動してきたAさんは、会議が終わるとすぐに席を立ち、退室をする人だった。以前、この部署での会議が多すぎるし、時間も長すぎるとボヤいていたのもあり、早々に業務に戻りたいのだと私は認識していた。そのようなAさんの態度が上司の気に障ったのか、後日そのことについて他のメンバーに相談をしたいと打診してきた。何を聞かれるのかは大方予想できていたので、早く終わることを祈るだけだった。
 聞かれた内容は予想通りだった。私は適当に上司の意見を尊重し、角が立たぬよう穏便かつ遠回しに、会議が多すぎるのではという趣旨のコメントをした。その発言が上司の不機嫌さに油を注いでしまったらしく、自分は話し合いが必要だと思っているから会議の場を設けている、とお叱りの言葉を頂いてしまった。やはり余計なことは言わず、普段通りに黙って相手の言うことに従うべきである。考えを持つべきではない、そう思うことにした。

組織のための犠牲

 それから月日は流れて、あるミーティングの日のことである。その場に上司はおらず、アイデアマン気取りも30分遅刻してくるという実に自由な有様だった。私は這う這うの体で進捗を報告し、ミーティングの参加者から仕事が非常に遅れていることに苦言を呈された。それに関しては返す言葉もない状態だったので、申し訳ない気持ちしかない状態だった。
 その後、アイデアマン気取りは非常に強い口調で、仕事が遅すぎる、真面目に進める気があるのかと攻め立ててきた。私はパワハラに該当すると思い、証拠のための録音を取るか考えたが何もしなかった。打ち合わせに30分も遅刻してきた人間に、普段から無駄話で私の残業の原因を作っている人間に、何かをしようという気持ちが湧かなかったのである。部署の仕事を遅れさせている自覚はあったので、私が全面的に悪いと思うことにした。

ここまで

 それ以降、私は仕事ができなくなった。仕事をしたくても体が強張ってしまい、起き上がることができなくなってしまった。一生懸命起き上がっても動悸や発汗、非常に強い不安感が止まらず、椅子の上に何時間も座り続け、体調不良を理由にした休暇を取得する日々を過ごすことになる。自分の心情や身体をコントロールしたくてもできず、連絡等の簡単な文章を読むだけでも気分が悪くなる状態だった。もう何もできないかもしれない…そう思いながら、溜まりに溜まった有休を消費していく。きっと、私がいなくなっても部署では会議は行われる。仕事の能率を下げている人間がいなくなったことで、より円滑な「議論」が交わされているのだろう。そして、組織はより強くなっていく。

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