小説「豊穣」
僕が初めて祖母を食べたのは、小学3年生の頃だ。
ある秋の晴れた日、学校から帰った僕はいつもと同じように家族みんなで食卓を囲んで、夕食を食べていた。白いご飯と、僕の大好きな牛肉の入ったビーフシチュー。ニンジンが多いのが少し嫌だったけど、それでも僕の大好物の不動の1位はこの母の手作りビーフシチューなのだ。
モグモグモグモグ。
鼻息荒く茶色い絶品料理を口一杯に頬張り食べ続けていたら、突如、
ガリッ
と何か固い物を噛み締めた感触を口の中で感じた。あれ……? 僕の咀嚼が瞬間的に止まる。石か何か噛んだのかな……? でも石にしては噛み心地が変だ、固いのは中心だけで周りはふにゃふにゃとしている。きっと牛肉に骨が残っていたのかもしれない。ペッと、口から出してみると、それは妙に細長い物体だった。一目で何か肉的なモノだとわかる。ウインナーにしては細くて、二ヶ所不自然に折れ曲がっていて、でも中心は酷く固い、何かの肉。
しばらくスプーンの先で突いていたら、次第にそれが何なのか小学3年生の僕にもわかってきた。
口の中からは絶対に出てきちゃいけない物なのだ、これは。
人の小指。
驚いた僕は、恐る恐るティッシュペーパーに包み、同じテーブルを囲む母に見せた。母は「そうねぇ。食べたのねぇ」と言って優しく微笑み、父は「そうだなぁ。齧ったんだなぁ」と優しく微笑んだ。両親は僕の料理に小指が入っている事を知っていたらしい。父はしきりに「自然に食べれたなぁ。伸二は偉いなぁ」と言って喜んでいるので混乱しつつも僕は自分がどうやら、良い事をしたらしい、と判断して何だかとても誇らしい気持ちになった。
「そうですよ。ねぇ? お義母さん」
母が、トイレから戻って来た祖母に声をかける。祖母も僕が何だか良くわからない指を食べた事を喜んでくれた。
「お~偉い偉い……」
僕はこの時、祖母の身体に不自然さを感じた。あるべき所に、あるべきモノが無い感覚。
「伸二ちゃんは偉いねぇ」
祖母は左手で僕の頭をゆっくりと撫でる。いつもは右手だったはずなのに、今日は、左手だった。その時、初めて気が付いた。祖母の右手が、無くなっていた事に。
「お婆ちゃん、ちゃんと食べられたなぁ」
「ホントねぇ」
父と母はとても喜んでいる。
「もうちょっと、先っぽも、齧ってみなさい」
父は僕にもうちょっとこの指を食べさせたがっている。これはお婆ちゃんの指なんだ。とハッキリと自覚しもうひと齧りするべきか少し悩みでも結局、
強めに齧った。
「接ぎ木」という風習があるという事を、それからしばらくした6月のある夜、僕は祖母から教わった。60歳を超えると、誰しも身体は老いていく。生きとし生けるもの、何人も老いからは逃れることは出来ない。
だが本来は逃れられぬ老いを克服するために、僕らの祖先は身体の一部を若い子供に食べさせて、その子供の身体の中で自分の身体を育ててもらう術を編み出した。
土から生えるように、若い身体から生えてくる瑞々しい肉体。いつの日か完全に身体が育ちきったら宿主から肉体を取り出して、老人はフレッシュな身体に魂を移して、また新たな人生を歩むのだそうだ。
だから、ビーフシチューと一緒に食べた祖母の小指は「接ぎ木」のためのモノだとわかって、僕は心底ホッとした。無意味なカニバリズム程トラウマになる事は無いのだ。接ぎ木には意味があるから安心だ! しかし同時に、小指だけ切れば良いのにと、僕は思った。今、祖母の右手は無い。きっと僕が食べられなかった時の事を考えて、ちょっと多めに切ったのだろう。切り過ぎだ。もう二度と生えて来ないというのに。僕は少し悲しかった。
そんな時、家に祖父が帰って来た。大方またどこかで飲んだくれていたんだろう、玄関の敷居をまたぐなり、祖父は大声を上げ祖母と母を呼ぶ。
「はいはい……」
と玄関に向かう祖母と母。僕はなるべく祖父を見ないようにして、自分の部屋に戻る。祖父は祖母よりも7つ年上で、身体も大きく横柄で乱暴者だ。
僕はこの人が苦手だ。祖母を育てるのは良い。でもあの人の身体は、頼まれたって育てたくはない。
時が流れ、中学生1年生になると、おでこから指が3本、1㎝程生えてきた。
「小学生の時に食べたお婆ちゃんの指が、芽を出したんだなぁ」
父が、僕のおでこを見ながらそう言った。1本がおでこの丁度真ん中。後の2本は、左の眉毛の上に横並びで2本生えている。まだ生えて来て間もないけど、恐らくおでこのが親指、眉毛の上のが小指と中指だろう。父が言うにはこれからドンドン祖母の身体は僕から生えて来て、外に出て来るそうだ。
成長期の子供の腋毛とか下の毛が生えるよりも早く生えてきた、僕のおでこの祖母の指。何だか小っちゃくてとても可愛らしい。
中校生3年生になると、祖母の右掌から手首までが、おでこから生えてきた。接ぎ木以外で僕個人の事を言えば、腋毛とか下の毛はもうすっかり生えていた。もうなんか色んな所から色んなモノが生えて、大人になった実感がぐんぐん湧いてくる。成長して大人になるというのは、きっとこういう事なんだろう。この時から、学校での僕のあだ名は「しんちゃん」から、「アンコウくん」になった。チョウチンアンコウの様におでこから手を生やしているからで、まぁ、上手い例えかなと思う。走ると、だらりと垂れたおでこの手は、上下に揺れる。基本的に手は、いつも力なく、指先はいつも下を向いている。だけどたまに、ほんの少しだけまるで痙攣するかのようにピク……ピク……と動く時がある。父に言わせればこれは筋肉の痙攣なのだそうだ。
痙攣で動く、僕のおでこの手。
まるで僕に感情の昂ぶりに合わせて、ピクピク動いている様な時が稀にだがあるのだ。
(何で今日カレーじゃないの!?)
ピク……ピク……
(あ~三奈ちゃんマジで可愛い~)
ピク……ピク……
(やばい……ウンチが……漏れる……)
ピク……ピク……
心の動きに合わせて、おでこから生えた手は微振動を繰り返す。僕と祖母の身体は繋がっているんだと実感できる瞬間だった。
僕は高校1年生になり、祖父とはじめて2人だけで、上野の寿司屋に行った。僕の高校入学のお祝いなのだそうだ。正直、この人と2人きりで食事というのは正直気が引けるし、嫌だったのだけど「寿司」というパワーワードはそれを超えるくらいの魅力で僕を惹きつけ、僕を祖父と共に寿司屋のカウンターに座らせたのだ。
ウニウニマグロ、ウニマグロ。ガリを挟んでウニカッパ。とにかくウニを中心に寿司を食べまくった。美味い!! 高校生とってウニの軍艦巻きは禁断の味だ。想像もつかぬ量の寿司を胃袋の中に放り込む。2時間はいただろうか。
さてもう帰ろうかという時になって、僕と祖父の前に茶碗蒸しが運ばれて来た。祖父はニコニコ笑いながら、「ここは、茶碗蒸しが有名なんだ。最後に、まぁ、食っていけ」そう話す。まぁ、有名ならば食べようかと飲むように茶碗蒸しを口一杯に頬張ると、
ガリッ
何か奥歯で固い物を噛んだ感触があった。瞬間的に、僕の動きが止まる。幼い頃に経験したあの感触が、僕の口一杯に広がり、背筋が凍る。
アレだ……アレが、僕の中にある……。
口の中にある物を出さず、ゆっくりと祖父の方を見ると、祖父は満面の笑みで僕をじっと見つめている。
噛んだ。
噛んでしまった。
恐る恐るゆっくりと、口の中にある物を吐き出すと、僕の手の平に以前も見た事のある、小指が乗っていた。だが、以前の物とは違って太くゴツゴツしている……。
「噛んだなぁ……偉いなぁ」
僕は祖父も、店主の方にも顔を向ける事が出来なかった。ただ、恥ずかしさやら悔しさで掌の上の小指をじっと見つめる事しか出来なかった。
「うちの孫は偉いだろう?」
「ですねぇ偉いですねぇ」
やっとの思いで顔を上げると、寿司屋の店主も祖父と共に笑顔で頷ている。むろん笑う祖父の左手に、小指は無い。
はめられた。
急激に頭に血が上り、おでこの掌が打ち揚げられた魚の様に激しく上下した。
「お~お~お~」
祖父がそんな僕のいきり立つおでこの手を見て、ほっほっほと笑う。寿司に夢中で、ウニに夢中で、祖父の策略に全く気付く事が出来なかった。奴は、最初からそのつもりで僕を寿司屋に連れて来たのだ。僕に自分の小指を食べさせるために。何という不覚っ!!!
それからどうやって家まで帰ったのかは思い出せない。思い出せるのは、自分の部屋で兎に角暴れまくって、棚やら何やらを壊した事だけだ。
これは後から知った話だが、両親も祖母も、僕に祖父を食べさせる事はやぶさかではなかったらしい。好き勝手生きている祖父だが、肉親は肉親。いつまでも元気でいてもらいたいという事なのだろうか。ともかくその日から僕はこの身体の中で、祖母と祖父、2つの身体を育てる事になったのだ。
あれから更に月日は流れ、僕は20歳になった。両親は60歳を超え、祖父母は80歳になる。そろそろ、僕の身体の、フレッシュな身体が必要になる日も近い。今、僕のおでこからは見事に成長した、祖母の上半身がダラリと力なく垂れ下がっている。祖母とはいえ身体は若く、20歳の半裸の女性の身体が垂れ下がっている。当然すっぽんぽんのままにしてはおけないから、母に頼んで服を借りて、垂れ下がっている若い祖母の身体に着せている。本を読む時、外出する時、兎に角この上半身が重いし邪魔だ。一々持ち上げるかどっかに載せないと何もできないし、首を痛めてしまう。
だが、これはまだ良い。まだ良いのだ。
僕の背中、肩甲骨の辺りからは、祖父の下半身が生えている。そう、下半身だ。当然すっぽんぽんの下半身を露出させておくワケにはいかないので、僕は背中から生えている祖父の下半身に自分のパンツやズボンを履かせてもらわないと外出が出来ない。
そしてなにより、自分が着られる服が無いのがとても困る。どんな服でも肩甲骨の辺りを切らないと着られないのだ。仰向けにもうつ伏せにもなれない。リュックサックも背負えない。バス・電車に腰掛けられない。
……何という苦行をこの身に引き受けたのかと悲しい気持ちにはなる。「接ぎ木」のせいで、制限される生活行動はあまりにも多かった。
だが、良い事も、あるのだ。
このお蔭で、とても素敵な女性と交際する事が出来た。今、僕を支えてくれる、とても素敵な女性。僕と同じ様に接ぎ木をしていて、背中から、祖父と祖母、2人の上半身を生やした女性だ。同じ大学のキャンパスで出会い、お互いに「接ぎ木」の苦労や「接ぎ木」あるある等を話している内に惹かれ合い交際し、もう直ぐ3ヶ月になる。
僕は、今、人気のない公園にて彼女を抱きしめる。
すると僕のおでこの祖母の上半身と背中の祖父の下半身が、ビクンビクン揺れ始める。僕は、興奮している。抱きしめられている彼女の背中から生えた祖父母の上半身もビクンビクン揺れ始めた。そう彼女も同様に今、興奮をしている。
秋の乾いた風に、若い僕らと僕らから生えた4つの身体が、まるで風にそよぐ稲穂の様に揺れ動く。
近い将来僕らの身体から、瑞々しい肉体が取り上げられるのだろう。もうすぐだ。収穫の日は近い。僕らが丹精込めて育てた身体は、きっと最高の品だろう。
実り首を垂れる稲穂の様に生えた身体は、
収穫の時を待っている。
この記事が参加している募集
老若男女問わず笑顔で楽しむ事が出来る惨劇をモットーに、短編小説を書いています。