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「人生に影響のある学び」を~私の「師」との出会いから

※写真は、こちらよりお借りしました。私にずっと息づく学びをくれた場所、徳吉絵画教室です。

もう一つの「原点」となった体験

昨日は、GAJYUMARUの「沖縄に生まれた子どもたち1人が、自分たちの生きたい人生を描く」というビジョンに繋がったと思われる私の原点についてでした。

昨日、上記の文章を書きながら考えていたのは、もう1つの「原点」ともいえる体験についてでした。

私にとっての「師」

教育に携わる者として、教育者、あるいは「師」と呼ばれる存在について考えさせられることはよくありました。
また、GAJYUMARUとして「どんな先生が自分の人生に影響を与えたのか?」という問いに当たることもありました。

その際に、私の脳裏に浮かぶのはただ1人の「師」でした。
徳吉貞雄先生という、私が小2~小5まで通った絵画教室の先生です。

私は絵に対して苦手意識がありました。それとは関係なく、母の意図は「集中力をつけるため」の絵画教室ということだったようで、元々のモチベーションはありませんでした。

しかし、先生自体が芸術家だったため、仰ることはこれまで私が学校という場で聞いたことのないようなものばかりでした。
そして、先生のお人柄に惹かれ、次第に私は教室に通うのが夢中になりました。

あっという間に時間が過ぎ、家に帰ると集中力を使い果たしたのか食事も摂らずにすぐに倒れこむように寝てしまう日もありました。

「師」の目線から世界を眺める

スケッチブックでデッサンしていた際、私はよく先生から手を止めて、余白に先生のおっしゃったことをメモするように言われました。

最もよく覚えているのは、私が下を向いて考え込んでいた時です。おそらくアイディアが浮かばず、どうしていいか分からない状況でした。
そこで先生におっしゃられたのは、以下の言葉でした。

「下を向いていると、下向きの考えしか生まれない。上を向いて考えて、上に向かっていくような考えをしていこう」

当時は「なぜ??」とも思ったりしましたが、未だに覚えているということはかなり私の中に根付いたものなのでしょう。時々ふと、考えるときに「あぁ、上を向かなきゃ」と思うことがあります。

そして、私に肉体化されたのは「上向きの思考が大事なんだよ」というメッセージだということに今さらながら気づきました。

そのように、その人の目線から世界を眺めることや、視点そのものが取り込まれていくことが「師」と出会うということなのだと思います。

徳吉先生の言葉より~減点法ではなく、加点法

記事では、先生はこのように仰られています。

もともと絵が嫌いな子はいないという。
「大体小学校2〜3年生くらいの時に、学校で嫌いになってしまう子が多いですね。学校ではどうしても点数をつけられてしまいますから。
本来、絵には上手いも下手もないと私は思っています。
音でも文字でも表現できないから絵を描く、だから、描いたもの全てが素晴らしいのです。
そのことに気付かせてあげるべきなのが周囲の大人。
学校では図工の時間が苦手な子も、絵画教室では生き生きと絵を描きます。
認めてあげれば誰だってやる気が出るのです。子どもの目線まで降りていかないと、良さは引き出せません。
そうやってみるみるうちに変わっていく子ども達の姿を見るにつけ、育てる楽しさ、喜びを感じます。」

振り返ってみると、それまで学校で絵を描く時間が好きではありませんでした。いわゆる「絵が上手い」と評価されやすい子どもではなかったからです。
しかし、徳吉先生について以降、学校で絵を描く時間も楽しみになりました。何枚もデッサンしたり、本当に楽しい気持ちで描いていた記憶があります。

ただ、それは小5・6の学校の担任の先生により一変しました。
絵画や書道、版画などでの入選数を非常に重視しており、私たちの作品への否定的な評価や罵倒、体罰も伴うような指導が続いたことで図工の時間そのものが苦痛になりました。
サッカーのゴールポストが描けなかったことで罵倒され、殴られ、授業中に1人でグラウンドでサッカーゴールを見てくるよう指示されました。グラウンドに向かう時の気持ちは、未だに思い出すと苦々しいものがあります。

徳吉先生の上記の発言の意図は、確かに私に伝わっていたように思います。先生から一切否定されたことがありませんし、私という人間への肯定がまずスタートだったことが、私の基盤をつくってくださったのだと感じています。

私は「加点法と減点法」という言い方をしていますが、私たちの多くは「減点法」の教育を受けてきました。
テストも100点満点からの減点法ですし、「良い」や「正しい」という状態に何が足りないのかを指摘され、弱点克服を是とされてきました。
それが肉体化されると、自分の足りないところばかり気にしてしまうようになりかねません。日本の子どもの自己肯定感の低さがよく指摘されますが、その主因は減点法式にあるのではないかと考えています。
実際、上記の体験で私の絵に対する自己肯定感(ないし、最近は「自己受容」という言葉の方が良いように感じてきました)はジェットコースターのように上下しました。

そして、加点法的に相手の良い部分を見つけていくということは、自然と私が教育者としてずっと重視していたことです。
「師」としての姿として先生を思い返すことが多かったので、ここにも徳吉先生の視点が取り込まれていたのだろうと思います。

「人生に影響のある学び」を

やはり、ここまで振り返ってみると、徳吉先生との出会いは私にとって「人生に影響のある学び」の機会となりました。
去年、私はオンラインのインターナショナルスクールをつくるプロジェクトに参加していました。そこでカリキュラムを考える責任者をしていたのですが、「結局コンセプトを突き詰めて言葉化すると?」と聞かれて出てきたのが「人生に影響のある学び」というワードでした。

そして、私は幸運にして私の人生に影響のある学びを与えてくれる師と出会うことができました。

「出会い」という意味では、上記のような「師」となるような人でも音楽でも絵画でもアニメーションでも良い。
何がその人にとって影響を与えるものになるのかは、タイミングなど含めて全く予測不可能です。なので、「人生に影響のある出会い」を「カリキュラム」としてプログラムすることは原理的には不可能かもしれません。

ただ、私たちGAJYUMARUは、だからこそその「出会い」をできる限りデザインするマッチング屋さんであろうと考えています。

様々な「つながり」の組み合わせ、マッチングを生み出すことで、沖縄の子どもたちにとっての「人生に影響のある学び」をつくっていきたいと考えています。

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