【連載企画】10年代試論~最後の戦後とローカルな文化圏についての論考〜 一、10年代文化の前史としてのゼロ年代インターネット空間

文責:てると

 わたしが「ローカルな文化圏」ということで指すものは、或る郷愁の混じった追憶である。その一連の「出来事」を物語化することでそれを終わらせ、さらにそれに引き続く展開を追い、考察することで、わたしたちの生きる20年代を「発見」しようとする試みである。
 そのためにわたしは、ゼロ年代からの「インターネット空間」の流れを追うことになった。インターネットの空間性はこんにちしだいに失われて、徐々に界隈化が進行しているが、それは社会全体の動きとも軌を一にしている。そうしたことから、わたしは主に10年代の「インターネット空間」とその後の「界隈」を描写することをとおして、この「空間」の歴史の物語化と、そこからの新しい展開の始まりを始まり続けることを試みた。さらに、インターネット空間に留まらず、政治の領域での「出来事」を物語ることをつうじてそれをも包摂して、一つのエポックを画す作業に着手する。物語化は、終わりを終わり続けることと同時に、始まりを始まり続けることを志向する。そうすることによってのみ、新たな物語が生起し、わたしたちの時代の区切りとなるだろう。

 わたしはまず、そのためにゼロ年代のインターネット空間と、そこから連なる10年代インターネット空間の<空間>性がいかにして生起したのかを考察する。次に、わたしはその10年代に、インターネット空間を中心として、その他の文化がどのように展開したのかを論じるつもりである。そのための素材として、わたしは、当時わたしがよく見ていた日常系アニメ作品などを素材とする。また、10年代の文化が、公共の領域からどのように影響を受けたのかを論じていくことにする。
 さらにわたしは、わたしたちの生きたわたしたちにとっての20年間をどのように語りうるかを考え、それを描写するつもりである。
 次に、わたしは10年代以降の文化の展開を追うため、社会の「界隈化」と、倦怠から公共への再帰といったところに焦点を当てた。そのことから、おそらくこんにちの立ち位置が見えてくるだろうと思うし、物語を終わらせつつ、新たな、物語とは別様の「運動」を開始させることが可能となろうと思うものである。

 なお、この執筆にあたっては、現在同人雑誌『概論』で編集長として活躍しておられる林東国氏に、知的に与え合い、個人的な恩も深い最大の友人として多大なる刺激を受けた。ここに感謝を述べたい。


一、10年代前史としてのゼロ年代インターネット空間

第1章:ネオむぎ茶と2ちゃんねる

 「ネオむぎ茶」による西鉄バスジャック事件からこの記述を始めることは、この評論を展開するにあたって少なからぬ妥当性を有すると思われる。というのは、この2000年5月に発生し、2ちゃんねるの利用者を急増させた事件が、非常に示唆的な意味を有しているように思われるからである。
 そもそも西鉄バスジャック事件とは、死者1名を出した、17歳の少年によるバスジャック事件である。その少年は中学時代にいじめを受け、その後入学した高校をすぐに中退し、インターネット掲示板である2ちゃんねるに没頭、さらに家庭内暴力の結果、国立肥前療養所(現:国立病院機構肥前精神医療センター)に医療保護入院となっており、その結果の怨みとして事件を起こしている。

 以下、
斎藤環さん(精神科医、評論家)インタビュー 成熟しない日本人をどう診るか」(2012年7月の記事)
より引用する。

斎藤 1998年に『社会的ひきこもり』という書を出した当時は、ほとんど話題になりませんでした。2000年に新潟少女監禁事件や西鉄バスジャック事件が起き、いずれもひきこもり者が犯人とされたことで、一気にひきこもりは知名度を得ました。登校拒否や家庭内暴力もそうですが、青少年問題のほとんどが事件に依存してしか問題に上りません。人が死ぬか誘拐でもされないと、メディアも取り上げず誰も知ろうとしない、政府も動かないのは、日本社会の病理の一つでしょう。

 ひきこもりは、初期には犯罪者予備軍と誤解され、識者と呼ばれる方にすら「怠け」「甘え」と批判されました。実情を知らずに印象だけで語る人たちとの戦いが、まず私の仕事でした。当初は「切れやすくなっている上にひきこもる」という、極めて変なイメージがありました。切れやすいのは反社会性、ひきこもるのは非社会性で、全く相反する傾向です。ひきこもり者は社会にコミットしてないのですから、実情は犯罪率が異常に低いのです。

 やっと誤解が解け始めると、逆に過剰な自粛ムードに転じ、ひきこもりが疑わしい事件でも、メディアはほとんど何にも言わなくなりました。邪悪なイメージから、腫れものに触るように扱わなければならないイメージへと、誤解から誤解に振れた感じです。

https://web.archive.org/web/20120712004533/https://aspara.asahi.com/column/medi-kataru/entry/96L44myo0C
(最終閲覧日:2023.8/4)

 引きこもりの人間の中には、彼、「ネオむぎ茶」のことを好んだ者がその後に続発するのだが、その者たちが彼のことを好きだったのは、なにか彼が彼らにとって「大きいこと」をしてくれた人物だったからだとわたしは考えている。今すぐに自分もなにか「大きいこと」をしたいという欲求があったのである。それは恐らく、疲れ、引きこもり、独りの世界で膨張した自己陶酔だったのであろうが、そこにはすなわち人生の有意味性への熱望があったはずなのである。社会的に健全なことか、またはその逆に悪逆非道なことかはこのさい問われなかったのであり、なにか世界に痕跡を残していくことが枢要だったのである。彼らは後に人口に膾炙する「発達障害」である以前に、「痕跡症候群」であった。

 さて、この「ネオむぎ茶」の事件を機に2ちゃんねるの利用者が急増し、日本のインターネット空間に一つの歴史が開始される。その時代は既に淡い追憶の中にある一つの幻影であるが、そうであればこそ、遠い記憶を再現前化することに何らかの意味があるのではないか。忘却それ自体は健全に生きていくうえで必要なことだとしても、ある一つの歴史が完全なる絶対忘却の淵に沈下しないように。わたしたちは、「わたしたち」として指示しうる集合の歴史の終わりを終わりづづけなければならないのである、物語ることによって。
 振り返ってみると2ちゃんねるは決して時代を貫してネット全般がそうであるようなものではなく、真実、引きこもりのユートピアであった。


第2章:2ちゃんねる文化圏~ゼロ年代空間の盛衰~

 2000年より急速に膨張した2ちゃんねるであるが、2001年には田代祭という、タレントの田代まさしの逮捕に伴う「祭り」によって、さらに盛り上がりを見せ、膨張を続けた。しかし、この頃はまだ住人の自認にもあったように「アンダーグラウンド」、いわゆるアングラであった。日本社会にも大きな影響を与える転機は2004年から2005年にかけて訪れる。2004年、独身男性板(通称:毒男板)にて「電車男」が登場し、同年書籍化される。それがベストセラーになり、2005年には映画化、ドラマ化がなされたため、その年に2ちゃんねるが世間に周知されることになる。私は当時小学生であったが、当時の「2ちゃんねる」「アキバ」「オタク」「ニート」ブームをよく覚えている。ちょうど同時期に小泉純一郎総理大臣(当時)が郵政民営化のため郵政解散を敢行したり、当時のライブドア社長・ホリエモンこと堀江貴文氏が「時代の寵児」と持て囃され、「改革」を掲げる自民党から出馬したりと時代の最先端という風情であったので、それと相まって、当時のわたしは、時代は自由になっていくんだと、楽観的に、地方の田舎からテレビとネットを通して観望していた。世間ではドラマ『野ブタをプロデュース』の主題歌である「青春アミーゴ」が、ネットでは「騒音おばさん」などが流行していた印象である。まさに、何かが変わると思われ、何かが沸騰していた時代だった。翌年の1月には承知のように「ホリエモン」が逮捕されるのであるが、このムーブメントは引き続いた。『涼宮ハルヒの憂鬱』、『ニコニコ動画』、『初音ミク』と時代は続いていく。
 そうして考えてみると、日本のネット空間は、決して自律的に形成されたのではなく、むしろ、田中角栄による「放送免許一括交付」以来の新聞社-テレビ局の連動体制が、そのテレビの絶大な影響力によって作り出してしまったとは言えないか。先の「ホリエモン」が、フジテレビの筆頭株主であり財界が鹿内信隆を中心として設立させたニッポン放送の株の敵対的買収を行ったことを考量すると、どこか示唆的ですらある。しかし実際に、当時の記憶を辿ると、テレビでよくニコニコ動画などが紹介されていた。そして、そのような空間の構成員には、事実としてそうであるか否かを問わず、「ニート」や「引きこもり」を自認し、それを誇りとする者が少なくなかった。
 新聞社-テレビ局の連動体制は、1957年の、当時の田中角栄郵政大臣による新聞社への「放送免許一括交付」により確定した。これが、現在まで、大衆文化の諸外国との差異として作用し続けることになる。すなわち、先の議論を引いていくと、「新聞社-テレビ局」に加え「-インターネット空間」もそこに含まれることになる。そうすると、現代まで、あくまでもテレビを中心とし、しかし重要なニュースの主要な情報源は新聞記者にあるような連動体制が示される。このような画定的な構造により、インターネット空間の言説も形成されたと考えると、実際には、インターネット空間に特有の排外的な言説も、実際にはテレビ局の流す情報の影響であることが考えられる。実際に、テレビはたんに韓流ブームを扇動し続けるだけでなく、そうした層の人たちが見るテレビの報道番組では、しきりにアジアの対立が扇動される。そうしたところにも、その問題の淵源はあるのではないかとみており、わたしは、所謂「ネトウヨ」について、たんに「ネット右翼」と呼んで済ませてよいのかというところに非常な疑念を持っている。先に述べたような共存関係を選んだニコニコ動画にしても、その運営の保守性が明らかになっている。
 また、自由民主党(以下、自民党)にあっては、『政党が操る選挙報道』(鈴木哲夫, 2007)に記述されている通り、2000年代より「チーム世耕」によるインターネット戦略が行われており、のちにその活動はJ-NSC、自民党ネットサポーターズクラブ(通称「ネトサポ」)に活かされている。衆議院議員であり、「清和会裏金」問題後に自民党から離党勧告を受け離党した、近畿大学理事長の世耕弘成は、自民党においてIT戦略を担当し活躍していた。
 こうした課題から、当時の状況を振り返り、そこから照射して現代を見ると、やはり、わたしたちはまだ「新聞社-テレビ局-インターネット空間」の連動体制を克服できていないのである。
 そのうえ、よく「メディア権力論」が喧伝されるが、実際には、メディアの主要目的は視聴率の獲得や部数の獲得であり、そのためには人口の中央値である大衆の意見に阿らなければならないはずである。そうしたところ、メディアが阿った意見を流し、大衆がそれに影響され、さらにメディアがそれに阿るという「エコーチェンバー」が社会大で形成されており、そこにはもはやマスコミとネットの区別はないのである。マスコミの仕事のうち、現代においても重要なものは、テレビよりも、むしろ新聞記者などの直接の取材による、間接的な大衆への情報提供である。恐らく、マスコミを嫌うインターネット住民においても、マスコミの加工して提供する認識に乗せられており、それを変形加工する情報技術を獲得している人は、知るかぎり少ない。
 そこに現代の成らぬ公共圏の限界も浮き彫りになるものだし、そうして考えると、今後は、自律的な公共圏のためにこそ公共圏の上部に他律のための規範を想定するべきというものである。混沌から秩序が生じるというのは恐らくアナロジーとしても事実関係としても妥当性を欠く。むしろ、秩序からのみ多様かつ有意義な言論も生じるのである。秩序の先在しない発話は言論ではなくジャーゴンである。わたしたちは、ジャーゴンを脱して、「言論」を可能とする公共圏と秩序を模索しなければならない段階に在る。


付記:日本における公共圏への課題

 最後に、付記として「日本における公共圏への課題」を語ることにする。
「公共圏」とは、主にユルゲン・ハーバーマスが『公共性の構造転換』(1962)で論じ、それが東欧革命後に加筆されて出版されたことで話題となった概念であるが、これについてわたしは疑義がある。
 まず、ハーバーマスは経済取引の領域を公共圏や政治の世界から切り離すが、そうしたことで何が展開できるのか、というところに疑念をもつ。もちろん、ハーバーマスの目指す方向にやりたい人は、それでもよいが、わたしたちはそういうわけにはいかない。そうすると、ハーバーマスとは別様の設定が必要になる。
 付記なので比較的堅苦しくないように理解を促進するように書くと、ネット上で言論活動をしている黒井瓶氏が、「市民宗教としての社交精神」として興味深い議論を展開していることを例に挙げられる。

 黒井氏の「内面」に関する頗る近代的な議論は、プリミティヴな「古典近代」の反映でさほど賛同できないが、事例として挙げることができるのは、経済の「交換」や社交の「対話」の活性化という点である。わたしは、経済の「交換」を活性化することが端的に良いとはとうてい思えないし、それに歯止めをかけるべきだと考える立場だが、「対話」については、例示にせよ言語論理にせよ、この国に足りないものとして、ともかく活性化してしかるべきところが多い。
 しかし、黒井氏の提案する「社交」は、まさに原義的な「公共圏」であるところの18世紀「アンシャン・レジーム」下におけるフランスの「サロン」などである。
 それとは別様に、日本でも中世期より明治期にかけてしばしば、中国を模して「江湖」なる公共圏が繰り返し登場するが、それも、町人や百姓に蔑まれる浪士のような共同体である。
 わたしたちは、それとは別様の、ハーバーマスや江湖とは別様の「公共圏」を模索する。そのためには、先に述べたように各構成員の心的機制の規範となる秩序づけが必要であり、そうすると、先の「サロン」も、「アンシャン・レジーム」の強力な規範があったからこそ成立したと言いうる。
 わたしたちは、ハーバーマスとは異なり、19世紀以後の社会福祉化した積極的国家を否定せず、むしろさらなる積極性を求めるものである。よって、宗教性を帯びた新しい国家形態を請求する。典型として黒井氏を取り上げると、彼の取り上げたマルクス主義は、宗教性なき、当初より成立が困難なほどに形骸的な、必ず何らかの「偶像」を必要とするほかない理念であった。そこには、前衛党理念と、スターリニズムは、必然的に要請されていたのである。だから、わたしはそのような「空虚な偶像崇拝」に断固として否定の立場をとりたい。
 そうすると、必然的に導出されるかたちで要請されてくるものは、規範と内実のある真の宗教性である。ここでいう「宗教」は、近代以降「政教分離」と言われるような、形骸化した「宗教団体」のことではなく、身体性と内実を伴った真の信仰精神のことである。
 ハーバーマスも、『公共性の構造転換』において宗教的公共性をほとんど無視している点がその出版当初から批判され、最終的に宗教的公共性を再評価し、宗教的視点を著作に取り込んでいる。だから、ハーバーマスをも、安易に裁くことはできず、未だ更新中の思想であり、議論であるから、わたしたちのような立ち位置の言論においても、これからでも訂正可能な議論である。
 「インターネット空間」は、規範性を欠いたアナーキーであった。そこに建設性は欠落し、ただ三行以上は読めない人たちの混雑した主張ばかりが交わされ、多くの偏った主張による妨害があった。わたしたちが、真に有意義で目的を喪失しない議論が活性化する場の生成が、こんにちの情勢下にあって、望ましいと考えている。

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