ユダヤ思想家としてのヘルマン・コーヘンについて簡単な紹介

文責:屈折誰何

 今回は単発回である。この『概論』で私が隔週連載している部分と全体に関わる倫理についての試論を一旦小休止し、ユダヤ思想家としてのヘルマン・コーヘンを簡潔な形で皆さんに紹介したい。

 まずヘルマン・コーヘンという人間について、1842年はドイツ、アンハルト=ベルンブルク侯国(現ザクセン=アンハルト州)コースヴィヒの敬虔なユダヤ人夫婦のもとに彼は生まれた。ギムナジウムを二級生までいた後ユダヤ教神学校に転学するも、神学の勉強に飽き足りず、哲学研究に没頭し爾来哲学者としてのキャリアを歩むことになる。1864年にベルリン大学に籍を置くと(その後は批判の対象となる)「民族心理学」を打ち出したユダヤ人学者ハイマン・シュタインタールを始めとする精神科学や自然科学にも影響を受けつつ研究を重ねた。そしてその時期にカント及びカント以後の哲学に焦点を当てた研究を開始した。(1)

 そうした中1871年に出した『カント経験理論説』によってマールブルク大学のアルベルト・ランゲと知己を得、同大学に招聘され、1876年にはランゲの死を承けて空いた正教授のポストに着いた。ここから『カントの倫理学の基礎付け』(1877)『カントの美学の基礎付け』(1889)などを刊行した。

 ランゲに端を発し、コーヘンとその弟子たち(ナトルプ、カッシーラー、シュタムラーなど)を中心としたこのグループはマールブルク学派と称され、当時自然科学の発展によって凋落の一途を辿っていたヘーゲル哲学もといドイツ観念論の権威衰退の中で「カントに還れ」(“Zurueck zu Kant!”)(2)という標語を旗印に展開されていたカント再注目の流れ、いわゆる新カント派の一翼を担った。

 その後世紀を跨いでコーヘン自身の哲学体系を表す主著『純粋認識の論理学』(1902)『純粋遺志の倫理学』(1904 第二版 1907)『純粋感情の美学』(1912)が刊行され、カント哲学の骨子にして弱点でもあった物自体に対する理論的認識の不可能さと実践的認識による可能さのギャップの乗り越えが(これはカント自身が『判断力批判』で図ったとも言えるし、後年のドイツ観念論者たちはまさにこの部分に多くその運命を負っているのだが)彼なりに行われ、カント哲学を人間本性の認識の次元で捉え直すことによって西洋人間中心主義が完成された。(3)

 ……というのが哲学者としてのヘルマン・"コーエン"のいわゆるwikipedia的な概略である。無論これは正当な史実であり、彼の思想はまずもってカント哲学抜きで語ることはできない。しかし、『宗教と道徳』(1907)『哲学体系における宗教の概念』(1915)『ユダヤ教の原典に基づく理性の宗教』(1919)という晩年の著作を見ても分かる通り、彼はその思索を進める中で宗教(ユダヤ教)が自身がかつて展開した体系の内に収まりきらないものであることを感得した。果たして青年までの日々をまさに象徴するものだったユダヤ思想に思いを馳せていく……とすれば淡い回顧録のようにも思えないが実際は奔走を極めた。当時ドイツに吹き荒ぶ反ユダヤ(セム)主義とシオニストとの論争である。

 反ユダヤ運動に伴って大学の職を辞しただけでなく、自身の体系に立脚し自由主義的様相を呈した彼のユダヤ思想解釈はその点で反シオニズムでもあり、両方から板挟みを受けた。(4)そんなユダヤ思想家、ヘルマン・"コーヘン=כהן"としての彼を今回は三つの要項に絞って紹介していきたい。

 まず反シオニズム及び国家主義的態度である。既に『純粋意志の倫理学』において、コーヘンはカントを軸にその哲学的思考を展開させる中で民族に対する国家の優位を謳っている。というのも確かな学的事実を成立させようとするとき、彼曰く純粋認識の論理学においてはその基盤が数学的自然科学に求められる。そして倫理学においてもまた同様にそれが学的事実足り得なければならない以上単なる信ではいられない。それが学的事実となるにはその善悪を規定する国家学や法律学すなわち精神科学を基盤とするべきだというのが彼の主張である。そしてこれに立脚すると、学的事実の成立基盤は先験的であって経験的ではないがゆえに、「法的人格」として現れた法律学に存する倫理学的なものは家族や民族といった経験的条件によって定まらない。むしろそれは理念的総体である国家によって定めるべきであるため彼の中では民族よりも国家が重視されたのだ。

 これはその体系に宗教(ユダヤ教)が汲み入られた晩年にも変わっていない。彼は世界宗教としての一神教(ユダヤ教もその役割の一端を担っている)において、そこでは人類がどの信仰にも拘わらずノアの子孫として存在するということを鑑みてあらゆる人が愛で結ばれた共同体を志向し、宗教王国イスラエルでもそうした政策の施行が為されていたことに注目する。そしてさらに逆説的にその政策の根拠に現実問題として貧富の格差があったことを考えた。神はなぜ貧富を地上に生んだのかを考えるとき、一神教の卓越した神の御業は人間には計り知れず、ただ端的にそう定めたことにすぎない。つまり貧富然りその他あらゆる別(異なっていること)はまだその時点においては善悪を免れている。これは一神教における神が善悪の対象とはならないことに等しい。そこで善悪の区別は人間的な区別として現れるのであるが、先ほどの法律学・国家学からさらに進んでここでは「預言者主義(Prophetismus)」が採用される。神の預言(善とは何か)を授かった者はその高次の善悪と、私たちが神の定めた違いによって引き起こされる快苦を媒介して、両者が結び付いた現象を現実問題として善悪の区別を敷き、その諸問題に対応しようとする。ゆえに貧富の差をなくすという実効的な側面が重視され、それによって政治の場たる国家が重要視されるのである。(5)その国家は当然単一民族国家ではない。多民族がまさにその国の国民として生きることによってノアの子孫たちの愛が結ばれるのである。
「国家が統合するのは国民ではなく民族性である。国家がはじめて自らが同一視する一つの国民を想像し基礎づける。しかし国家によって定義づけられたこの一つの国民は、多くの民族性をあわせもつことができる。」(6)
という言葉からも窺えるように彼の中では一つの国民は構成員に複数の民族がいるというだけでなく、個人においてもまた複数足りうる。ドイツ国民たるユダヤ人においてはドイツ性とユダヤ性が(元来ドイツ性はギリシャとユダヤに出自を持つためもともと両者は親和性が強いとコーヘンは指摘するが)混淆しておりそこからユダヤ国民なるものを抽出することはできない。そのため民族ナショナリズムに立ってユダヤ民族=国家観を取るシオニズムに対して批判的なのだ。

 そして次に神の単独性について述べたい。これは汎神論(スピノザ主義)に対抗し、また古典ギリシア以来の形而上学の最たる基盤であった本質と実存に係る比較を排することを目的としている。「わたしはある。わたしはあるという者だ」(7)「お前たちはわたしを誰に似せ、誰に比べようとするのか」(8)と語るとき、神は単独に存在する者でありまたそれと比する形であらゆる存在者を定立することはできない。そこで生じる疑問として神のみが存在であり我々は無に等しいものであるなら、神は世界を創造したと言えないのではないかというものがあるが、それをコーヘンは退ける。曰く、そこにこそ古典ギリシア由来であり汎神論に行き着く単一性と同一性の混同がある。つまり世界の単一性と神の単一性を同じ相(同一性)として捉えてしまっているのだ。世界の存在と神の存在は同じ「存在」という述語を持ち、本来はそれを共有しているはずであるのに、それが神にのみ付されるから世界が非存在として表されてしまうという誤解である。これは結局神の存在=世界の存在という理解であるため、図式からして創造など不可能なのだ。(神が世界を創造するその直前において神が存在する以上世界が既に存在してしまっているという矛盾である。)(9)ともすれば世界と神の間に非連続性を見出だすことで創造を語ることができ、その非連続性とは世界と神とが「互いに関係がないという状態で関係している」状態を指す。これを「相関関係」と彼は呼ぶ。

 先ほど記したように預言者主義によって善悪は神から啓示されるのであるが、それはもはや神と人類という異なる単一性の同一でなければ、また個人という自己同一的な対象を取るわけにもいかない。そこで高次の善悪は同じく高次の概念である種(あるいは非種=個人)ではなくまさに現実の快苦の問題すなわちそれを経験している同胞(Mitnensch)へと向かうのだ。そしてそれは第三の要項「共苦」(Mitleid)へと繋がる。(10)

 「相関関係」において捉えられた人間の苦しみ(「受苦」)はもはや人類の個人的な受苦ではない。先ほど述べたように個人の自己同一的なあり方はここでは退けられているからだ。また自己の同一性をめぐる死といった罪と考えられるものを形而上学的に分析する道はここにはない。いやそもそも受苦の背景に創出される神や人類、あるいは個人の認識の主観性はともすればそうあるものとして捕捉された同一性でしかないために、私たちは受苦を認識しようとする試みを排さなければならないとコーヘンは主張する。他者の苦しみを穿鑿しているだけでは他者を考察の対象にしているにすぎない。そうではなくその認識を放棄することによって逆説的に他者とともに(Mit)苦しむことができる。(leid)神が同一性ではなく単独性として示されること(=啓示)によってすなわち神と人間とを媒介する同一的なものは何もない(=「相関関係」)と感得することによって「共苦」は成り立つのだ。そしてそれは観念的な啓示ではなく、まさに向き合っている現実のレベルで起こることであるからそれは貧困という形を伴う。宗教王国イスラエル時代にユダヤの民とともにあった異邦人たちは端的に対象化された〈彼〉としての他者ではなく、あらゆる違いによってむしろ「共苦」を可能にする〈汝〉すなわちノアの子孫としての同胞である。ここに世界宗教としてのユダヤ教を思い描くコーヘンの目指す世界が示されている。

 さて以上が本論である。今回単発回でヘルマン・コーヘンを扱った理由は二つある。まず一つは彼の倫理学と創造をめぐる理論が筆者の試論の糧になると考えたからである。そして二つ目、(これが大きいのであるが)先日ハマスの事件を口実にイスラエルがパレスチナに侵攻してから一年が経過した。その残虐さが世界に周知されることで徐々にパレスチナ連帯及びシオニズム批判の機運が高まるなか、それでも未だにこの問題を宗教問題と捉えている人も多い。そもそもシオニズムが宗教アイデンティティに起因しながらその依るところは宗教教義ではなく西洋近代が生み出した民族ナショナリズムであることもあまり知られていないように思える。ユダヤ人の非シオニストも超党派と一括りにされてしまうきらいを感じるなかあえてオルタナティブを提示し反シオニズムの多様性の一端を示したい。(11)

 パレスチナ問題は何が起こっているのか語るにはとても簡単である。死傷者を統計の数字に還元するのも痛ましいが、しかしそれは無言の内にはっきりと叫んでいる。またどうして起こっているのかを観念の次元で思案することもあまり難しくない。西洋植民地主義とオリエンタリズムに塗りかためられた他者への蔑視と無関心がその根底にある。しかしどのようにして起こったのか、それにはあらゆる学問の知見を要するだろう。(例えば史学は想像に難くないし工学も技術の点で密接に関わっている。)そしてそのどのようにという叙述には常にそこから零れ落ちたものたちが存在する。無言の叫びさえ無化してしまう絶対的隔絶性。認識され得ないもの。しかしまさにこうした者たちとの「相関関係」が求められている。

 第一次世界対戦終戦の7ヶ月前にコーヘンは不帰の客となった。祖国ドイツに尽くすことを同胞に訴え続けた彼の亡き後、ユダヤ人がそしてパレスチナ人が辿った運命は彼のそれが理想論であったことを物語っていると言いたくなるかもしれない。しかし、その思想は現実を映す鏡でもある。理想論だと嘲りたくなるまさにその瞬間において現実の人間が現れてくる。

 反ユダヤ主義的言説をしながらも(12)永遠の平和を構想したカントと、彼の思想を彼なりの仕方で受け継いだコーヘン。私たちもまた沈黙を選択するわけにはいかない。(13)


(1)これはシュタインタールの心理学がヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトを通じてカントと結びついているためであると佐藤省三(1940)は指摘する。
(2)オットー・リープマンの『カントとその亜流』より
(3)岩崎武雄(1958,1977,2023)はこれをカント哲学からその形而上学性を排してしまったものと見ている。
(4)当時新進気鋭の哲学者でシオニストでもあったマルティン・ブーバーとの論争はコーヘンが亡くなるまで続いたし、ロシア・シオニズムの主要論者であるダニエル・パスマニクは彼を「ヘルマン・コーヘンは熱烈にユダヤの神を愛したが、ユダヤの民族を否定した。」と非難した。シオニストにとってコーヘンの主張するドイツ性とユダヤ性の統一は同化にしか映らず、民族ナショナリズムに起因するそれとは相反せざるを得なかったのだ。因みに、両者ともにその後のイスラエル・シオニズム史において「傍流」の位置にあたることになるのは興味深い。特に、イスラエルに渡ってなお原住民のパレスチナ人との平和共存路線を訴え、多数派のシオニストたちから白い目で見られることになる老年のブーバーはコーヘンのそれに近づいていったとも取れる。
(5)松井富美男(2016)部分要約 主にpp.5-7
(6)V gl. H.Cohen, Religion und Zionismus, S.321. 訳文は松井(2015)p.4に依った
(7)出エジプト記, 3, 14
(8)イザヤ書, 40 ,25
(9)これはある意味で「創造以前」という考えを唾棄すべきものと見るアウグスティヌスとも重なる。
(10)この段落は村岡晋一(1994)pp.106-111を多く参照した。
(11)コーヘンのような自由主義・国家主義による反シオニズムの他にも社会主義系反シオニズムや素朴な同化主義を取る反シオニズムもある。またシオニズム内部においても先述のブーバーのようなパレスチナ人との協調路線を模索し続けた人もいる。
(12)合田(2019)p.9 原出典はレオン・ポリアコフの『反ユダヤ主義の歴史』(2008)合田正人, 菅野賢治訳 孫引きで申し訳ない
(13)もちろんヘルマン・コーヘンの国家主義を絶対視することもまた同一性の希求であり彼の本懐に反する。現にレーニンなどによっていくらでも批判できよう。しかし問題は思考を続けようとするプロセスではないだろうか。

参考文献
村岡晋一(1994)『ヘルマン・コーエンとユダヤ教─『ユダヤ教の原典に基づく理性の宗教』の解釈をめぐって─』紀要.哲学科.中央大学文学部 第39巻 pp.97-115

松井富美男(2015)『ヘルマン・コーヘンとマルティン・ブーバーのユダヤ教論争』広島大学大学院文学研究科論集75巻 pp.1-19

松井富美男(2016)『ヘルマン・コーヘンの宗教哲学における「共同人」: 『純粋意志の倫理学』との関連性を顧慮して』広島大学大学院文学研究科論集76巻 pp.1-16

合田正人(2019)『ヘルマン・コーヘンにおけるユダヤ教』京都ユダヤ思想10巻 pp.66-87

佐藤省三(1940)『コーヘン』弘文堂書房

鶴見太郎(2012)『ロシア・シオニズムの想像力 ユダヤ人・帝国・パレスチナ』東京大学出版会

岩崎武雄(2023)『カントからヘーゲルへ 新版』東京大学出版会

またドイツ語でヘルマン・コーヘンのユダヤ思想を詳しく紹介しているものとして以下がある。
Albertini Francesca (2003) “Das Verstaendnis des Seins bei Hermann Cohen” Koenigshausen & Neumann

いいなと思ったら応援しよう!