The Cather in the Ryeの文体
The Cather in the Ryeというべきか、「ライ麦畑でつかまえて」というべきか悩みつつ、今日もThe Catherについて書いていきます。この本を読んでて改めて「ああ、アメリカ小説だな」と思うのは、文体ですね。口語を写し取ろうとする姿勢といってもいいかもしれません。
「ハックルベリー・フィンの冒険」とかもそうですが、伝統的にアメリカの文学ってそれこそ「草の葉」的な表現を写し取ろうとしていると思うんですが(亀井先生もホイットマンについてそんなことを少し述べてる)、そういう傾向ってフランスとかだとなかなかない気がするんですよね。
フランス語の場合は、単純過去が現実世界とは離れた物語を形作るための機能を強く持っていると事もあるのかもしれないですが、文語と口語は明確に違うものだという意識が強くあり、「文学」って言われるもので口語的なものを表しているのって、知られている作品だと異邦人くらいな気がするんですよね。
でも、「異邦人」って多分フランス文学史の中で異質な作品だと思うし、文体論的な目的として人々の言葉を再現するみたいなものがあったわけじゃないと思うんですよね。でも、the Catherrはいとは別として、そういうアメリカ文学の流れの中にある存在だと思うし、なによりあの語り口がいいんですよね。
そう意味で、the Catherは文体的なレベルでアメリカ文学的な作品だと思うし、そこが実感できるようになったのも、英語ずっとやってきたからだと思うと、なかなか嬉しいですね。とりあえず、またまた読み続けようと思いました。ではでは!
井上大輔
高度な外国語力を身につけたい人、テストで結果を出したい人に向けて役立つ情報をつぶやき中。TOEIC980点。早稲田英文→早稲田仏文修士→上智外国語学部修士→上智大学博士課程在学中。英語・仏語・西語・伊語の参考書&翻訳書も出版。著書一覧→http://amzn.to/jzUDtr