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口伝(くでん)論(1)ー人は言葉以外からも学ぶ

多様な教育・学習の方法を学ぶ

学校を中心に展開されている定型教育は、教育方法としては比較的に新しいものであるといえます。学校誕生以前の教育は、非定型教育・不定形教育などとも呼ばれ、「社会に埋め込まれた学習」と考えることができます。こうした教育・学習方法は現代社会にも多く存在し、教育の本質を考えるうえで重要な役割を果たしているとも考えられます。

ここでは、「口伝(くでん)」をはじめとした学校以前の教育方法に注目するとともに、unlearnなどの現代教育を乗り越えることが期待されている多様な教育・学習方法について学びます。

言語化された教育を超えて

<生>の個別性と<向き合う>ことを求められているESDは、新たな学習のあり方を模索しなければならない。マイケル・ポランニーは「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」として「暗黙知(tacit knowledge)」という概念を提起した。 古くは老子や荘子の「道」も、言葉で定義すること、語ることの限界を説くものであった。 不定型教育には、「形式知(explicit knowledge)」と「暗黙知」とを往還する幅広い知が内在している。形式知に限定された学びによって無視され、失われる学びの世界を「口伝的世界」と呼ぶ。(図)

近代化を支えてきた教育が「教授的世界」での形式知の伝達(定型教育)を中心とするのに対して、不定型教育には言語化しえない暗黙知を伝える可能性がある。野中郁次郎らは「新たな知識は、暗黙知と形式知の相互作用によって創出されます」と述べて「知識創造の一般原理」(SECIモデル)を提起する。 ①身体・五感を駆使し、直接経験を通じた暗黙知の獲得・共有・創出の過程としての「共同化(Socialization)」。②対話・思索による概念・図像の創造(暗黙知の形式知化)の過程としての「表出化(Externalization)」。③形式知の組み合わせによる情報活用と知識の体系化の過程としての「連結化(Combination)」。④形式知を行動・実践を通じて具体化し、新たな暗黙知を理解・学習する過程としての「内面化(Internalization)」。定型教育ではもっぱらS→E→Cの過程が重視されたのに対して、不定型教育にはIの過程が位置づくことに注目したい。

ここでは、スピヴァックのunlearn、阿部勤也の「教養」、ジュルシュ・パスカルの「アランの教育」を事例に、ESDが志向する学習のあり方を口伝的世界につながる学びとして考察する。

(1)サバルタンとどう向き合うか

「学ぶ」ことが前提抜きに肯定される状況に対して、異議申し立てをするのがスピヴァックである。「特権的位置のおかげで私たちは、性や人種、社会的地位などに関するさまざまな偏見や差別をも無意識のうちに学んできてしまっているのではないだろうか。しかしそれらが学んだものである限り、なぜ自分がそのような偏見を育んできたかの歴史や状況をふたたび学びなおすことで、捨て去ることもできるはずである。スピヴァックはそうした再学習のプロセスを通して、私たちが他者に関する知識を深め、他者と語りあう創造的な回路を作り出すよう励ましている。」(本橋哲也)

グローバリゼーションに代表される、この世界のあり方そのものを「サバルタン」(被抑圧者)の視点から批判的にとらえ返すためには、「学ぶ」ことの特権性とそれがもたらす偏見を自己批判することから出発せざるをえないと考えている。しかし、私たちに求められているのはかれらを代表することではなく、私たち自身を表象する方法を学ぶことである。

近代以降の社会の中で民衆が「学ぶ」ということは、他者と競争しながら勝ち抜くだけでなく、抑圧‐被抑圧の関係や支配‐被支配の関係を肯定し、(拡大)再生産することにつながることを自覚しなければならないのであろう。だからといって「学ぶ」ことを拒否するということにはならず、「忘れ去ってみる(unlearn)」」という表現に見られるように「learn」→「unlearn」の意識化が重要だということになる。学ばなければ「忘れ去る」ことはできない。「学ぶ」こと自体にも意味があるのである。それは「それが自らの損失でもあると認識し、特権によって自分が失ったものも多くあることを知ること」であり、特定の学習が知識や能力の獲得だけでなく、それと矛盾し否定される知識や能力を失うことにも注目しなければならないのだ。その意味でunlearnは、S→E→Cと言語化によって上り詰めた知を再び暗黙知へと引き戻す過程(I)に注目しようとするものであり、実践を通して学習者の<生>の個別性への回帰を求めるものと考えられる。

(2)吉茂における教養

 「学ぶ」ことによって失われるものに注目すると、何をどのように学ぶのかによりいっそう注意を向けなければならない。近代以前の近世社会で百姓として生きるうえで、読み書き算盤がどの程度必要なのかという問いに、「教養」(もしくは「世間」)という概念で阿部謹也は答える。

二ノ宮金次郎に代表される、いわゆる「篤農家」のイメージは薪を背負って歩きながら寸暇を惜しんで「学ぶ」姿勢であろう。しかしながら、田村仁左衛門吉茂はこれとはまったく別の方法で「学ぶ」のである。それは無筆無算であっても「農業だけは寝てもさめても怠ることなく努め」ることであり、農事(労働)を通じて現場で農業に必要な知識や能力、百姓としての生き方を「学ぶ」ことに徹したものである。両者の「学ぶ」ことへの向き合い方、学び方の違いをどのように考えるのか。

なぜ、吉茂が読み書き算盤に象徴される一般的な「学び」を拒否しようとしたのか。それは、こうした学びが近世社会の百姓が生きる「世間」にふさわしくないからであり、身分制社会の中で百姓として生きる者(被抑圧者)の「学び」であるからである。だが、吉茂は「学ぶ」ことそのものを拒否しているわけでない。あくまでも百姓として必要なことは農事(労働)を通して学ぶことを実践しているのである。その意味で「農書」すら、自らの農業に役立たないと思えば「学ばない」のである。

問題は、百姓としての「教養」を書物からではなく、主に農事を通して身につけたということである。労働や生活に必要な知識・能力を書物から得ることはできるかもしれないが、自らの労働や生活から「学ぶ」ことがない限り、生きた「教養」を手に入れることができないのであろう。こうした労働や生活からの「学び」を私たちは失いつつある。まさに、「学ぶ」ことによって「失ったもの」のひとつが、吉茂の「教養」である。

吉茂の「固有性」に固着した暗黙知は、他者との「共感性」を生み出す知の<共同化S>や形式知に至る<表出化E>すら拒否しているように見える。だが、吉茂は自らの知を言語化し、知の<内面化I>を意識していたからこそ、篤農家として後世に語り継がれるのである。

(3)教育者アラン

吉茂とは逆に「役立つこと」を学ぶのではなく、すぐには「役立たない」ことを学ぶべきであるという主張をアランは展開した。

アランが考える教育の評価基準は「その考え方や技術が精神形成に適しているかどうか」ということであり、子どもたちを「判断するという役割、すなわち、人間らしい役割」にまで高められるかどうかが問題なのである。「あらゆる人間が、精神の鍛錬を必要としている」のであり、「自分が精神」であり、「悟性の体操」を繰り返すことで「考えることから離れ」ないようにしなければならないのだ。

アランは実生活で「役立つこと」を学ぶことが学校の役割ではないと考える。子どもたちが「精神的な存在」になるためには、練習問題や試験という「自己規律に至る機会」も重要である。アランの教育学は実践的・実用的な知識や能力を身につけさせようとする教育のあり方に対する痛烈な批判であり、人生・社会の主体者として生きるためには「自分は考えているのだ、自分は自由なのだということを知っており、またそういう自分を望んでいる人間の、誇り」を促す教育に尽きるのである。

アランの知は形式知のもっとも抽象化・言語化された段階から出発する。それはアランが教育の本質を<内面化I>にあり、「学ぶことを学ぶ」ことこそが教育に求められていると考えているからであろう。

(4)失われた学びの可能性

「学ぶ」ことを形式知で限り、スピヴァックのunlearn、吉茂の「教養」、「アランの教育」の意味を理解することはむずかしい。形式知と暗黙知を往還する口伝的世界の広がりを意識することは、近代化を支えてきた教育(教授的世界)の限界を乗り越えようとするものである。

 ところで、大江健三郎も「unlearn」という言葉を「unteach」と組み合わせて、「学び返す」「教え返す」と翻訳する。大江は、「他の人間に教えることにありがちな過ちをおかすこと」「教えた相手から過ちを指摘されて、苦しく自己修正すること」「教えた相手から逆に励まされるということ」の経験が、人を「成熟」させると考えている。

 笹川孝一が「学習」という言葉を『論語』や朱子学の世界から引用したことになぞらえて、ここでは禅宗の「不立文字の思想」の背景にある『荘子』の知のとらえ方に注目する。 「荘子が人間のことばを信用しないのは、単にことばが体験的な事実を表現するのにふじゅうぶんだという理由だけからではない。…それは道が―絶対的で無限な真理が、人間のことばではいい表せないということである。人間のことばは、一つのものを二つに分け、相対差別を設けるという特性をもっている。…人間のことばは『分別』や『弁別』によって、全体的で不可分な真理を破壊してしまうのである」(p.48)これは、老子や荘子が多くの弟子を抱えず、積極的に世に出ようとしなかったことに通ずる。それは大江が指摘するように「教えることにありがちな過ち」をおかさないためであり、言語化された知の限界をよく理解していたからであろう。

かつて地域社会では「学び返し」「教え返す」ことが当たり前であり、それだけ「まなびほぐす」チャンスも多かったにちがいない。それは教育が社会的機能として十分に自立しておらず、学校という社会装置が知を独占していなかったからであろうか。いまも社会には口伝的世界が埋め込まれており、社会教育の現場には「学び返し」「教え返す」学習過程が存在する。学校に象徴される教授的世界にとらわれず、近代化によって「失われた」教育のあり方に注目することも必要である。

*この講義ノートを加筆修正して、朝岡幸彦「ESD時代における社会教育の役割」、日本社会教育学会編『社会教育としてのESD』、pp.22〜pp.32、東洋館出版社、2015年9月の一部として収録されています。

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