学校存続の意義と“ふるさと”の未来(朝岡幸彦・石山雄貴、『月刊社会教育』2018年9月号No.748の原稿の草稿)
はじめに
いま学校の存続をめぐって、地域は大きく揺れている。これまでにも地域の過疎化と子どもの減少を理由に、僻地校を統廃合する動きは見られた。しかしながら、いま私たちが向きあっている学校統廃合問題は、平成の大合併による周辺地域(旧町村部)の急速な人口減少と「増田レポート」に代表される消滅可能性都市という予測などを背景に、総務省が各自治体に策定を求めた公共施設等管理計画(二〇一四年)のなかで進められているものである。これに、学校教育法の改正(二〇一六年)による小中一貫の「義務教育学校」の設置や五八年ぶりに改定された文科省の学校統廃合の『手引き』によって、学校の統廃合は過疎地のみならず都市部でも進められようとしている。
こうした動きに対して、「学校統廃合と小中一貫教育を考える全国集会」が毎年開催され(二〇一〇年以降)、そのネットワーク組織も設立された(二〇一六年)。各地における学校統廃合反対運動のなかから、計画を凍結させたり、撤回させるなどの成果も生まれている。これまでの学校統廃合反対運動が、主に教師や父母を中心とした学校関係者によって担われてきたのに対して、この運動が地域の存続の鍵を握る問題として多くの住民を巻き込んでいることに注目する必要がある。
さらに、地方教育行政法の改正(二〇一四年)によって教育委員会への首長権限が強化される中で、中央教育審議会が社会教育行政の学校支援・家庭教育支援へのシフトを求めていることにも注意しなければならない。まさに、学校統廃合問題は社会教育行政を巻き込む、地域の存続問題としての様相を呈している。
地域から失われる<学び>の場
自治体の原型を江戸時代の「ムラ」にあたる自然村と仮定すると、もともと全国には七万一四九七の基礎自治体(一八八三年)があった。これが小学校の設置をともなう明治の大合併(一八八八年)で、約五分の一にあたる一万五八五九市町村に統合されたのである。また、新制中学に対応する町村合併促進法(一九五三年)と新市町村建設促進法(一九五六年)による昭和の大合併で、三四七二市町村(一九六一年)に統合された。さらに、地方分権推進一括法(二〇〇〇年)による平成の大合併が進められたことで、半分以下の一七一八市町村(二〇一六年)にまで減少しているのである。この間の日本の人口は、国勢調査に基づく限り、五五九六万三千人(一九二〇年)から一億二六七〇万六千人(二〇一七年)に増加しているため、人口が二倍強になっているにもかかわらず基礎自治体の数は一万二三一五市町村(一九二二年)から八六パーセントも減少しているのである。単純ではないものの、この基礎自治体の都市化(大規模化)が小学校の数に影響を与えていることは確かであろう。
事実、かつて学制(一八七二年)が定めた小学校の数は五万三七六〇校であった。戦後の新学制の実施時に小学校の数は、ほぼ半分の二万五二三七校(一九四八年)になっている。その後、一九六〇年頃までわずかに増加するが、高度経済成長とともに減り始め、この一五年間で約三五〇〇校減の、二万六〇一校(二〇一五年)になっている。地域の教育・学習の拠点であり、「地域の学校」として深く愛されてきた公立小学校は、地域の過疎化や自治体合併によって地域から遠く切り離されたものとなってきた。小学校と同じく、二〇〇〇年以降にその数を大きく減らしているのが公民館である。一九九九年の一万九〇六三館をピークに、公民館(類似施設を含む)は一万四八四一館(二〇一五年)へと二三パーセントも減少している。
小学校と公民館は、まさに子どもから大人までの生涯にわたる住民の学習の場として位置付いてきたのであり、こうした教育施設が地域から失われることは地域の消滅に拍車をかけることになるのである。それは同時に、自治の基盤としての基礎単位がより広域化・大規模化することで、住民の主体性や参画を促しにくくするといえる。
学校支援にシフトする社会教育
第3次安倍政権のもとで、地方自治体の教育委員会制度の仕組みを大きく変える地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律(地方教育行政法改正、二〇一五年)が施行された。①教育委員長と教育長を一本化した新「教育長」(任期三年)を設置すること。②教育長へのチェック機能を強化して会議の透明化を図ること。③すべての自治体に「総合教育会議」を設置すること。④教育に関する「大綱」を首長が策定すること。⑤国が教育委員会に指示できる規定を明確化すること。国が地方分権を進める中で、教育委員会制度も一定の分権化が図られてきた。教育長の任命制度の廃止や市町村立学校に関する都道府県の基準設定権の廃止(一九九九年改正)、教育委員の構成の多様化や教育委員会議の原則公開(二〇〇一年改正)、学校運営協議会の設置(二〇〇四年改正)などである。この改正は、教育行政における責任の明確化を理由に首長の役割を決定的に強化するものであり、教育委員会制度の性格を大きく変える可能性がある(表1)。
こうした状況の中で、中央教育審議会(中教審)は社会教育行政の学校支援・家庭教育支援へのシフトを求める三つの答申を同時に発表した(二〇一五年)。とりわけ『学校と地域の連携・協働』答申は、「都道府県や市町村の教育委員会内において、コミュニティ・スクールや学校運営改善施策を担当する学校教育担当部局と、学校支援地域本部や放課後子供教室等の施策を担当する社会教育担当部局との連携・協働体制の構築が不可欠である」と、社会教育行政の学校支援機能への大きな期待を語っている。これらの答申を受けて策定された『「次世代の学校・地域」創生プラン』(馳プラン、二〇一六〜二〇二〇年) の特徴は、①地域と学校の連携・協働(コミュニティ・スクール、地域学校協働活動の推進)、②学校の組織運営改革(「チーム学校」に必要な指導体制の整備)、③教員制度の一体的改革(子どもと向き合う教員の資質能力の向上)を <3本の矢>として位置づけ、その全てにおいて「地域との連携」を具体的施策の基礎におくことにある。このプランを受けて、生涯学習政策局長から『社会教育主事講習等規程の一部を改正する省令の施行について(通知)』(二〇一八年三月)が出され、社会教育主事養成課程修了者及び社会教育主事講習の終了証書授与者は「社会教育士」と称することができるとされた。
そして、二〇一八年八月には社会教育課及び生涯学習政策局の廃止を含む「機構改革のための概算要求事項」が公表され、地域学習推進課及び総合教育政策局へと再編されている。この機構改革の中で一つの目玉とされていた文化庁への博物館行政の移管にともなって、中教審公立社会教育施設の所管の在り方等に関するワーキンググループが開催され、公民館・図書館・博物館の市長部局への移管が議論されている。
地域からみた学校統廃合の矛盾
学校の統廃合発生数の推移をみると、二〇〇四年に統廃合数が増えていることがわかる(図2)。その背景には、平成の大合併の影響がある。当時、国は「合併算定替」と「合併特例債」という、市町村合併を進めていくための財政メニューを準備した。「合併算定替」は、合併した自治体に本来配分する以上の額の地方交付税を配分するものである。「合併特例債」は、合併に伴う公共事業のための起債に対して元利償還金の最大七〇パーセントを地方交付税制度で国が補助するものである。これらのメニューによって、人口減少や高齢化によって財政難に苦しんでいた多くの自治体が合併した。この合併によって自治体が広域化し、より「効率的」「合理的」な自治体運営をするために、学校統廃合が進められてきたのである。
学校統廃合の動きは、公共施設マネジメントを通した自治体運営の効率化・合理化を加速する動きのなかで、さらに進んでいくと考えられる。全国の都道府県・市町村が策定した「公共施設等総合管理計画」の半分以上は、機械的で一律に算出した将来に渡る更新費用の総額と人口減少などによって減額する税収入の見込みなどから出す「将来不足額」をもとに、施設の統廃合や規模の縮減を提案している。そこでは、学校が持つコミュニティの核としての役割や、公民館が培ってきた自治の拠点としての蓄積などが無視され、利用者数や稼働率、財政コストの面からしか評価がされていない。多くの自治体で最も床面積数が多い施設が学校施設であるため、機械的に公共施設の床面積を削減していくならば、学校の統廃合を視野に入れた公共施設再編が全国で行われる可能性が大きいのである。つまり、地域の存続のための財政効率化が、地域の存続に不可欠な学校を統廃合を促進するという矛盾が、地域のなかで発生しているのである。
学校統廃合をめぐる財政問題の真実
学校をめぐる効率化・合理化や、『まち・ひと・しごと創生総合戦略』に「公立小・中学校の適正規模化、小規模校の活性化、休校した学校の再開支援」が位置づけられたこと、学校教育法施行規則や義務教育施設費負担法に基づく標準規模(学校規模:一二〜一八学級、通学距離:小学校四km, 中学校六km)に満たない学校が、二〇一三年において小学校で九六〇〇校(四六パーセント)、中学校で五〇〇〇校(五一パーセント)存在することをなど背景として、『公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引~少子化に対応した活力ある学校づくりに向けて~』が作成された。「学校統廃合の手引」としても捉えられる手引は、新しい学校の適正規模・適正配置のあり方を示している。五学級以下の小学校、二学級以下の中学校、つまり一学年一学級未満の小・中学校(複式学級のある学校)は、「一般に教育上の課題が極めて大きいため、学校統合等により適正規模に近づけることの適否を速やかに検討する必要がある」と記述された。また、通学距離に基づく従来からの基準の他に、片道おおむね一時間以内を目安にした通学時間設定や、学区の広域化に対応するスクールバスの導入を求めた。このように学校の適正規模を大きくし、学区を広げることを求めることで、公立小・中学校の数を削減する論理がより一層働くことになった。
そもそも、公立小・中学校の設置や就学に関する事務は市区町村の責任とされており、国と都道府県は教職員給与を負担しているものの、直接関与することができない。そこで、学校を含めた公共施設再編を進めるために、市町村に多様なメニューが用意されている。例えば、公共事業再編計画と関連して、公共施設の除去費用に対する起債(除去債)を認める特例措置や、公共施設の集約化・複合化事業(二〇一五年~二〇一七年)への補助が設けられた。これらにより、少ない元手で事業への高い割合の交付税措置を受けて、事業を行うことができるようになった。
他にも「手引」で言及されたスクールバスの導入に関して、「へき地児童生徒援助費等補助金交付要項」に基づいて、スクールバス・ボート等購入費の1/2が国庫補助され、スクールバス事業費に関しては交付税措置もなされている。これらの国からの手厚い地方財政保障によって、学校統廃合が推奨されているのである。また、教育総合会議の創設と教育大綱の策定により、自治体における教育内容や教育環境への首長部局の介入が可能になり、学校統廃合を進めやすい土台がつくられている。
しかし、学校統廃合を基礎自治体である市町村の財政からみると、義務教育費の多くを占める教職員の人件費は国と都道府県の負担であるため、そのメリットは小さい。また、国からの補助があるもののスクールバス・ボート等購入費や学校統廃合にかかる費用の負担も決して小さいとはいえない。特に、基礎自治体の仕事が増える一方で地方交付税がさほど増えず、苦しい財政運営を強いられている小規模基礎自治体では、学校統廃合や新しい学校運営にかかる費用や、学校を中心としたコミュニティの再編に関わる負担は相対的に大きくなる。また、国から地方に交付される地方交付税の算定には、児童生徒数、学級数、学校数が用いられるため、学校統廃合によって地方交付税が減額してしまうデメリットが存在する。このように、統廃合による市町村財政のメリットが極めて小さく、市町村にとって重大なデメリットが存在することを考えると、学校統廃合の目的は、国が地方の教育行財政に切り込み、市町村に「選択と集中」に基づく効率化・合理化を突きつけていく手段として捉えられるのである。
公共施設再編における社会教育施設のあり方
こうした「選択と集中」に基づく効率化・合理化の流れは、社会教育も例外ではない。公共施設マネジメントのなかで、公民館などの社会教育施設の統廃合や複合化が迫られている。それは、脆弱な社会教育財政のあり方から、学校以上に進められる状況にある。
そもそも、全国の社会教育費は、教育費全体の一〇パーセントに過ぎず、その規模は極めて小さい。また、「市町村主義」に基づく社会教育財政のあり方により、その財源の多くは市町村の一般財源が占めている。学校教育と同様に社会教育に関する費用が交付税の算定項目に盛り込まれているものの、その額は極めて小さく、市町村の自主財源を充てざるを得ない。さらに、法律によって公民館などの社会教育施設の設置基準や支出が義務化されている科目はほとんどなく、毎年首長によって策定される市町村予算によってその額が決定される。そのため、市町村の財政状況や首長の社会教育に関する方針次第で社会教育費の支出も変わってしまい、社会教育財政は不安定で脆弱性を持つ財政構造にある。その結果、学校以上に「選択と集中」に基づく効率化・合理化の動きに流されやすく、民間委託と民営化が進められてきた。
さらに毎年、政府の「骨太の方針」で公共サービスの「産業化」が推奨されていることから、より一層、指定管理者制度の導入が進んでいくと予想される。指定管理者制度は、契約更新のたびに管理経費の縮減や人件費の削減が求められ、管理者が安心してよい仕事を行うことが困難な場合が多い。また、使用許可の方針などを教育委員会から指定管理者へ移譲することによって、その運営方針に基づく利用者の不当な差別的取扱いが発生することも考えられる。さらに「産業化」の奨励によって、公共施設の管理主体に企業の論理がより一層組み込まれ、これまで以上に受益者負担の流れが出てくる可能性もある。
社会教育施設における指定管理者制度の導入は、住民の学習権保障の観点からなじまないことが繰り返し指摘されてきた。さらに、受益者負担に関して、「三多摩テーゼ」で公民館の無料の原則が宣言されたように、公民館が住民の自由で主体的な学習・文化活動の場であり、自由なたまり場として差別なく均等に解放されるためには、公民館は無料でなければならないと、「自由と均等の原則」に照らして無料であることの必然性が説かれてきた。公共サービスの「産業化」によって、社会教育施設を含む公共施設運営の効率化・合理化を進める動きは、基本的人権を支える学習権を具現化し保障してきた社会教育施設の在り方を歪め、住民の主体的な学びによる住民自治をますます後退させる可能性がある。
おわりに
これまで学校はまちがいなく地域の拠点であった。地域で生まれた子どもたちは、学齢期に達すると地元の学校に通い、義務教育期間を地域で過ごした。かつては、子どもたち以外の青年や大人も学校に集い、教師をチューターとして学校を拠点に豊かな学習・文化活動を繰り広げていた。いつからか学校は子どもと親、限られた人たち以外に、地域の住民を寄せ付けない空間になってしまった。
しかし、いまも学校は地域の拠点であり、地域の宝である。ひと度、災害が起これば学校は避難所となり、ふだんから学童保育やスポーツ活動の場となるところもある。とりわけ、少子高齢化に悩む地域にとって、学校が子育て世帯を定住させるための必須アイテムとなっている。学校のないところには、若い世代は定住しないのである。
学校と公民館は地域再生の切り札であるにもかかわらず、財政問題を理由に安易に統廃合の対象となりやすい。しかし、基礎自治体である市町村にとって、学校統廃合の財政的メリットはほとんどないのである。学校と公民館をともに守ることで、地域(ふるさと)の未来が切り拓かれることを期待したい。
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