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続・命を学ぶとは
こんにちは! 金沢市で活動をしているNPO法人ガイア自然学校です。
今回はガイア自然学校の代表、成田裕(なりたゆたか)によるコラムです。
前回のお話はこちら。
気になる続きをどうぞ!
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「おまえ、じぶんが殺されたらイヤやろ?だから殺したらあかんねんよ!」
子どもたちが5〜6人、輪になって座っている中、なにやらTくん(小3)が興奮気味に話しています。
どうやら1年生の子がカナヘビを死なせてしまって(故意ではなく)、そのことに3年生男子たちがお説教をしているようでした。
(おまえらもさんざん殺しとったやん!)という心のツッコミをがまんしながら聞いていると。
1年生の子は、みんなから言い寄られて少し泣きそうに…。
すると、
「みんなで言うのやめよう。ひとりずつにしようぜ。」と3年生。
しばらく落ち着いて話した結果、死んでしまったカナヘビのお墓を作ることで終結しました。
よく分からない理論ながら「生き物を殺してはいけない」と、少し上の子どもたちから言われたことで、大人が説得するのとは大違いなほど、小1の子たちが納得していました。
今までの我々の悩みは何だったのか…(笑)
しかし、子どもたちだけで解決できるなんて、すばらしい成果なんです。
ガイア自然学校の放課後自然教室は、3年前にはじまったばかりなので、最上学年が小3です。
小4小5の兄姉ズもいますが、数人なので実質権力は小3にあります。
現小3は、入所時はやんちゃ軍団でした(今もですが)が、こうして少しづつ大きくなってくるんだなと実感しました。
小さな事象(カナヘビ殺し)を問題視して、子どもたちの主体性を信じず、大人が禁止に禁止を重ねることで問題をなかったことにするのは、はたして教育でしょうか?
子どもたち同士のコミュニケーションをしっかり見守り、介入しすぎず、信じて支え、過不足なく関わることで、こうした「問題解決能力」が育ったのだと確信した出来事でした。
文:成田裕
(「ガイア通信」バックナンバーより再掲載)
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他人に言われたことを鵜呑みにして他人に押し付けるのは簡単なことです。
確か今の4年生が当時1年生の頃。
1年生同士のケンカがあってお互いの言い分を言い合った後、一人が「ごめんね」と謝りました。
相手の子が黙り込んだ時、通りすがりの1年生が「ごめんねって言われたらいいよって言わんなんよ! 学校の先生が言っとったやん」と言いました。
それを聞いて相手の子は不服そうでしたが、「いいよ」と(表面上は)許しました。
通りすがりの子が言っていたことの真偽はわかりません。
もし本当に先生が話していたことなら、その先生は許すことの大切さを教えたかったのかもしれません。
でも子どもだって一人の人間です。
大人だってどうしても許しがたいと思うことがあるように、子どもなりに簡単には許せないことだってあります。
納得できないまま「いいよ」と言った瞬間、許しがたいモヤモヤとした気持ちが、「ある」のに「ない」もののように感じようとする…のではないでしょうか。
相手の「ごめんね」の気持ちと、その時の自分の気持ちにどう折り合いをつけるか。
今後、相手とどのように関わっていくか。
それらを子どもなりに考えて行動することで、自分なりの気持ちの整理方法や他人との距離感のとり方、価値観などが掴めるようになるかもしれません。
コラムに登場したTくんは今では5年生ですが、ガイアに通い始めた時からやんちゃな子でした。
毎日のように色んな子とケンカをして、泣いたり怒ったりしました。
何が嫌で何が許せないのか、どうしてケンカになったのかなど、リーダーを交えて自分の気持ちをたくさん話しました。
カナヘビもたくさん捕まえて、結果的にたくさん死なせてしまいました。
その積み重ねの賜物か、「自分が殺されたら嫌だから殺さない」という自分の考えを確立しました。
たくさんケンカして、泣いたり怒ったりして、自分の気持ちと向き合って考えたことで掴んだ、自分の言葉と実感です。
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