人生の過ごし方
ちょっと書いてみる。
小学校低学年から町のチームで野球を始め、市立中学でも3年生の夏まで野球部で部活漬け、引退後は寝る間も惜しんで受験勉強したおかげでなんとかいい高校に入れました。
高校でも弱小ながら3年間硬式野球部でこれまた部活漬け、残念ながら地区大会の2回戦で敗退して引退。浪人覚悟で受けた大学は全敗、そりゃそーです。上っ面の受験勉強しかしないで、部活引退後の自由な時間を謳歌することに忙しかったですから。
(stanbalikによるPixabayからの画像)
卒業後は順当に浪人生活に突入。でもこの一年間はホントによく勉強したと思う。自分を褒めてやりたい。
そして努力の甲斐あり、なんとかいい大学に入れたところまでは、自分でもよく頑張ったと思うし、運もあり恵まれてたかな、と思う。
が、その後がいけなかった・・・。大学ではぜーんぜん勉強もせずにいつの間にか卒業を迎え、就職氷河期の初期の頃、大した就活もしないで採用が決まった企業へ就職してあっという間に25年、なんとなーくだけどそれでも一心不乱に仕事漬け、気づいたら50歳手前まで来てしまいました。
25年過ごしたサラリーマン生活を振り返れば、あれだけ生活を犠牲にしながら仕事をしてきたのに、大した知識を得ることができず、残ったのは社会人としての経験しかない自分でした。
周りを見れば、自分の5年後の姿であろう先輩方が何人も。人間的に尊敬できる人達ばかりだけど、自分は5年後に先輩方のようには今の仕事は続けられないな、と思ったわけです。
つまり、その時には既にその仕事に対しての熱量を失っていることに気づいてしまったのです。
そこで考えた。もう50歳前なのか、まだ50歳前なのか。考えた結果後者であることを信じ、新たな人生を歩むのは今だ、と思ったのが今年の2月。
亡くなった父の七回忌、母の3回忌のころでした。
不謹慎な言い方だけど親の介護の心配もなくなり、自分たち夫婦には子供もいない。生活のため、そして会社のため、25年間一心不乱に働いてきたけど、自分自身が残る人生の後半をどう悔いなく過ごすのかをもうそろそろ考えてもいいのかな・・・そう思ったらあとは早かった。コロナ禍という過去に経験のない日々を過ごしながら、7月末日を以てとりあえずいったん25年のサラリーマン人生にケジメをつけたわけです。
そんなこんなで退社を考え始めた今年の2月ごろに話を戻しましょう。
会社を辞めても仕事をしないと食べてはいけない。宝くじがあたっていれば隠居の道も選択肢だったけど、どんなに買っても残念ながら3,000円しか当たらないわけです。
早々に隠居という選択肢は消滅し、いろいろ考えて出した結論が「図書館で働く」ということでした。大学生になってから今までかなりの冊数の本を読んできたし、いつのまにか本を読むことは習慣になっていました。唯一続けてきたことなのかもしれません。
でも本好きってだけで図書館で働こうと思ったわけではないのです。いろいろと思うところがあったけど、それはまた別の機会にて。
とにもかくにもそう思っていろいろ調べると、今からでも十分司書の資格も取れることがわかったし、何なら司書の資格はなくても図書館で働くことはできるというわけです。
とはいえ、新卒の若者であればいざ知らず、図書館で働いたこともないいい歳こいたオッサンが司書の勉強もしないで職に就けるわけはない、と勝手に思い込み(司書の資格を取ったから職に就けるわけでもないことは重々承知)、2月終わりに通信制の「八洲学園大学」に入学願書を提出し、まずは半年で司書を取ろうと決意を固めたわけであります。
今回はここまで。次回は教科書も揃った3月上旬からの日々を綴ってみることにしてみよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?