カスミソウ〜輝く奇跡〜

NICU卒業生の私。今までの半生山あり谷ありそんな私の事をエッセイに残してみようと思う。
【生まれた時】
私は20数年前に1卵性の双子の妹として23w6d帝王切開で生まれました。生まれた病院内でも当時で1番小さな赤ちゃんとして話題になったくらいでした。
親からは片手の手の平に乗るくらい私は444g。姉は500g少し。
すぐに保育器に入るも生まれてすぐに閉じる動脈が塞がらない「動脈管開存症」にて生後数日で私も姉も手術し閉じ完治。
新生児聴覚スクーリング検査で姉も私も再検査も両耳リファー、未熟児網膜症も発症。
姉は私の少し前にNICU退院。私は半年位。
病院で定期的に観察しつつ経過診ていきましたが聴覚は変わらず感音性の高度難聴にて少しでも音を聞き取れる様にと2才で両耳分×2人分を両親の全額自己負担で利用…有り難い!
3才時に障がい者手帳当時は姉も私も2種4級。補聴器しないと耳元で何らかの音を理解する事が出来るか?というくらい聴力が重いです。
【幼稚園や学校生活】
幼稚園は加配の先生について貰いながら卒園、小学校や中学校は地元の学校の支援学級(難聴学級)普段は口話といい姉と私は補聴器を付けた上で口の形を見ながら話を理解してました。そんな時に自分は中学校3年生から検尿で蛋白+又は2+で2次、病院受診を勧められるも経過観察。
高校のみ聴覚支援学校に在籍。
手話をしっかり覚えたのもこの辺り。
寄宿舎で3年間生活しつつ平日は学校。
高校でも2年間経過観察だったのが高2の時に腎臓専門医に受診した方が良いとの話で「腎臓内科」の門を叩く!
高校2年生の冬休み5日間の腎生検の検査入院、高校3年生の春に病院判明。
実際の所は腎臓の濾過機能を補うネフロンが減少しており生まれつき腎臓弱かった可能性が強く疑われてます。ただ小さく生まれた人皆が同じ症状を来たす訳ではないそう。
他にも腎臓病として国指定の難病にもなっているネフローゼ症候群(222)の疾患も。
腎生検、更なる精密検査の電子顕微鏡にて「巣状分節性糸球体硬化症」の状態。
幸い軽症にて難病ではありません。
現在は定期通院しつつ聴覚障害の障害者枠として一般の企業に勤めております。
聴力も令和5年6月から重度難聴として3級へ障害者手帳の等級重くなりました。けれども、ここまで成長出来たのは、両親を初め、小さい頃の言語聴覚士、学校の先生、今の耳鼻科の先生、腎臓内科の専門医の方のお陰です。thank you!

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