人間失格~感情が欠落した父親の物語~ 短編小説[8000文字]
私は昔から人の気持ちがあまり理解出来ないタイプだったのかもしれない。
そういうと、人として思いやりが欠如している事に対して都合のいい言い訳になる。
そんな事を気づかされたのは、元妻の言葉だった。
子供を授かったのは突然の出来事だった。
二十歳の私は酒の勢いもあって避妊を失敗した事から人生は急展開を迎えた。
初めは子供を持つことなんて全く実感が沸かなかった。
その日、いつもの改札前で彼女を待っていた。
大阪駅。
休日ともあって人波で追い出される様に
駅の中の人々が入れ替わっていく。
満面の笑みで走り寄ってきた彼女。
開口一番こう告げられた。
「子供できたよ!」
膝から崩れ落ちる思いだった。
サーッと全身の血の気が引いていくのが分かる。
思い当たる節はあったから
直ぐに理解できた。
嬉しい感情と同時にとてつもなく複雑な気持ちが押し寄せてきた。
嬉しい気持ちというより
何かこう、好奇心を刺激されるようで
自分の子供ができたという何とも不思議な気持ちに襲われた。
皆初めてできた時はこんな気持ちなんだろうか。
しかし、この素直に喜べなかった気持ちの
埋め合わせは後々にやってくる。
二十歳、いや告げられた当時はまだ十九の歳だったから複雑な気持ちに耐えきれず
「今回は下ろさないか?」
その場で子供をおろしてほしいと伝えた。
当時の彼女とは会って三ヵ月だ。
お互いの事をほとんど知らない。
二人の時間をもっと持ちたいとの気持ちだった。
彼女は何も言わずひたすら泣いた。
まさかそんなことを言われるとは
思ってもなかったようだった。
私は逆にそこまで悲しませる事を言ったつもりもなかったのだが。
一度話は持ち帰ることになった。
お互いに気持ちを整理して後日決定しようとなった。
女性はお腹が動いている事を感じると
母性本能が働くのか、産んでもないし
ましてや、顔も性別も知らない子供を
守りたくなる生き物らしい。
ましてや、彼女は六つ上だから当時は二十五の歳になる。
周りが子供を授かり初め、周囲と比べて
焦りも出始める年頃だったのだろう。
数日後、駅内の喫茶店で彼女と彼女の両親が来られた。
彼女側からは家族総出で産んでほしいとお願いされた。
彼女側の親とは会った事すらなかったから
お願いされる筋合いはないとも思ったのだが。
彼女は産みたいとひたすら泣いていて
彼女の両親はひたすら説得を続けてきた。
対してこちらの家族からは猛反対を受けていた。
親、兄弟含めて誰1人として
産んだ方がいいとは言わなかった。
弱冠十九の私には到底何が正しいかなんて
判断がつかなかった。
しかし、勝ったのは現実的な事よりも
十九の私が抱く子供に対する好奇心だった。
それを当時の私は覚悟だと思っていた。
覚悟と好奇心の決定は全く違う。
今になってこそ思うが、そういう認識の甘さは
後に自分だけでなく、周囲をも振り回す事になる。
そんな事になろうとはいざ知らず
自分の気持ちに従い産む決断をした。
お互いの両親の意見なんて器用に聞けるほど
お利口でも無ければ、彼女の事を思い
決断を下せたという訳でもなかった。
彼女の要求を素直に飲むことが果たして
本当に彼女の為になるのだろうか。
産むとなれば育てる為の準備が始まった。
住む家、貯蓄、出産の準備。
到底十九の私が全てをこなせる訳もなく
正直、気は進まなかったが彼女側の両親の援助を受けながらの準備となった。
産むか産まないかの時には
この上ないほど敵に思えていたが
産むとなれば天使の様な施しを与えてくれる。
まるでハリー・ポッターと賢者の石に出てくる
裏表に顔を持つ悪魔だ。
そんな経験から裏の顔に人間の本性があることを身を持って知ることとなった。
そして、出産の日を迎えた九月。
仕事終わり産まれそうだとの連絡を受けて
すぐさま帰宅する。
陣痛と戦っている妻の姿。
妊娠後に籍を入れたから、出産時には
妻となっていた。
傍らで背中をさすっている義母の姿。
義父は仕事の都合で来ていないようだ。
この時、正直何をしてあげればいいのか
分からなかった。
母親が介護しているから、面倒を任せて
出産まで寝ててと言われるがままに
映画を観ながら横になっていた。
ほどなくして、妻がうめき声をあげるようになり
破水したとも思われた為
専用のタクシーを呼んで産婦人科に向かった。
出産には立ち会った。
その時は少し疑問に感じたが義父母も立ち会った。
義父はカメラマンだったから、商売柄
撮影をしないと気が済まないたちなようだ。
こちらの気持ちはお構い無く撮影を始める。
私としては出産の場を撮影されるのは
あまり良い気分ではなかった。
しかし、後に記憶以上に残るものはそんな記録だったりする。
だから今更否定はしないが。
相当な痛みだったのだろう。
断末魔の叫びをあげながら少しずつ子供がでてきた。
その姿に私は感動を覚えた。
しかし、私はふと自分を上から見ているような
心ここにあらずといった感覚であった。
無事子供が産まれると妻の叫び声も止み
妻のほうに目をやると
なんと神々しいことか。
出産後の女性はこんなにも美しく見えるものかと感動した。
何か、黄色のベールに包まれているような
アダムとイブの姿まで脳裏に浮かんだ。
出産はそれほどまでに神秘的な行事だった。
間もなくして助産師に手渡された
我が子を観てふと我に返る。
まずは、手足目鼻口がちゃんと付いていることに安堵した。
そして、なんと可愛いことか!!
周りから聞いていた話だと
産まれたての赤ん坊は顔がしわくちゃで
宇宙人みたいだと聞くこともあった。
しかし、異様なまでに整った顔。
将来いい男になると約束された顔。
そんな感情を抱くほど容姿端麗だと思えた。
立ち会った親族も男前だと言った。
これは後に、それこそ義父が撮影していた記録で分かった事なのだが
子供の顔は当時整っているとばかり思っていたが、2.3年も経った後に写真や映像を見返すと
さほど周りの赤ん坊と違いが無いことに気づいた。
親バカは産まれた瞬間から始まるようだ。
いや、むしろ産まれる前からお腹への呼び掛けに反応するだけで天才だと思ったものだ。
それから二十歳にして家庭を持った私は
大黒柱として役割を果たすべく
必死に必死に勉強をして働いて家庭を養った。
周囲の同世代の友達とは段々と価値観が合わくなっていき
やがて孤独になり
大勢いた友達もたった数人ばかり残った。
なんとか三つの歳まで子供を育てあげた。
猛反対していた私側の家族も
子供を連れて帰ると初めての孫の姿に
やはり喜んだ。
親孝行ができたと安堵した。
それから、高校を卒業して
初めて就いた職を辞する事にした。
他にやりたい職が見つかったのと
子供もある程度落ち着いた頃だったから
環境を変えるには良いタイミングだと思った。
まずは住む場所を変えた。
実は妻側の両親は離婚しており
義父は一人で一軒家に住んでいた。
三階建ての一軒家でもて余していたから
一緒に住めば経済的にも余裕ができるし
義父の寂しい気持ちも紛れるだろうと考えた。
そして始まった新しい生活。
元々、妻が住んでいた実家だ。
家の周りには親しい友人もいて
子供は妻が通っていた幼稚園に行かせる事ができる。
母親からしたら理想の家庭を築けたと思ったのかもしれない。
私自身も初めは周囲の人達が満足する様子に
喜びを覚えた。
しかし、待っていたのは華やかな新生活とは
程遠い物となった。
義父は元々甘やかしていた一人娘(妻)に加えて
孫と暮らすことになり、二人を思う存分に
甘やかした。
妻は一緒に父親と暮らすことによって
甘えが出始め、子供の面倒も義父に甘えるようになり
終いには家事が疎かになり初めた。
それも専業主婦だったから私からしたら
仕事帰りに家事ができていないことに
嫌気がさした。
しかし、そんな愚痴も言えなかったのは
その家では義父と妻が昔から続けてきた
生活スタイルがあったからだ。
例えば、物凄く節約家ということ。
決して悪いことではない。
しかし、使わないテレビは直ぐに消す。
使わない部屋の電気も直ぐに消す。
私が少し部屋を離れた間にも電気は消されている。
恐らくなんの悪気もなく、ましてや
私がそんなことに嫌気がさしているとも思ってないだろう。
例えば、皿洗い。
食洗機がついているから、まとめて洗うことで
水道代を節約しているのか
キッチンの流し台には大抵食器が溜まっていく。
私は仕事帰りに、1人で食事を済ませた後に私の食器と一緒に洗わないと
もったいないからと言わんばかりに食器が積み重なっている。
さすがに、嫌気も限界に達して何度か言ったが義父もいるため
昔からの習慣はそう簡単に変わるものではなかった。
これに限っては節約という意味では
お金に苦労した私は気持ちも分かるし
節約するに越したことはないとも思っていた。
しかし、そんな偽りに満ちた自分も
爆発寸前になり、小遣いを減らしていいから
節約をやめてくれとまで言いそうになった。
本質がそんな問題ではないと分かっているから
結局言わなかったが。
こんな生活観や価値観の違いはほんの一握りの話にすぎない。
そんな引っ越し後の生活が1年ほど経ち思い詰めた結果
とうとう、妻に離婚話を告げた。
妻はギョっとして離婚なんて考えたこともない様子だった。
私が普段感じている価値観のすれ違いを全て話した。
普段から伝えているつもりでいたが
どうやら鈍感だったのか何一つとして
伝わっていなかった。
いや、この時妻側から伝えられた言葉には私もズシンと全身を打たれる気持ちにさせられた。
「鈍感だから気づいてないと分かっていたなら
気づくまで伝えてよ。」と
あぁそうか。
本当にこの人は純粋だったのかと思った。
私が今まで会ったこともないような
もっとも、仕事をする上ではそれほど純粋では
うまくはいかないのだが
考えてもみれば、妻は会ったとき二十四の歳にして
本屋のバイトしかしたことが無いのだから
その純粋さは当然だったのかもしれない。
私が汚れていた。
途端に拳を握りしめた私はカッと体中が熱くなり
自分に対しての不甲斐なさに嫌気がさした。
しかし、もう無理なのだ。
ここまで妻が正反対の人だと分かってしまったら尚更。
妻も一度は考えたいと離婚を拒否したが
お互い合わなかった事を改めて感じたのだろう。
結局、離婚することとなった。
四歳の子供は当然理解できる訳もなく
私も離婚してからも近くに住むから
気軽に会えるというくらいの気持ちだった。
離婚手続きを終えて家を出る日。
出張が重なっていた頃、荷物は段ボールに
まとめられていた。
荷物を家から運び終えて、少し家で子供と話すことにした。
四歳の子供は相変わらずゲームをしていた。
何も知らず、ただ無邪気にゲームをしている。
話かけてもこちらに見向きもしないほどだ。
一応あまり会えなくなるけどまた遊ぼうねと伝えた。
子供は
「分かった!ばいばい!」
と言ってくれたが、すぐにゲームに夢中になる。
それくらいの別れの方が清々しくてよかった。
妻にもよろしくと一言伝えて家をでた。
あまりに急な離婚話となったから
しばらく大阪の友人宅に泊めてもらうことにした。
それから1人暮らしを初めて、これまた
想像以上にお金もかかった。
養育費と生活費の板挟みに合い
少し養育費を待ってもらうように伝えた。
元妻は待てないと言ってきた。
離婚の時に貯金は相当渡したから
そんなに困ってないはずと思っていたところで
忖度ない一言には頭に血がのぼった。
妻でなく元妻になると私も遠慮なく
言いたい事を言うようになっていた。
三ヵ月に一回は子供に会うように約束したところで
離婚後一度も連絡がなかったから
余計に養育費を払えと言ってくることには
腹をたてた。
しかし法律上面会の権利と養育費は別物と考えられている。
私は結婚時に我慢していた反動から
頑なに意見を通して、結局養育費は待ってもらうことになった。
同時に1週間後には子供にも会うことになった。
離婚して4ヵ月、離婚後初めて子供と会うとなるとやけに緊張した。
どう遊んでいいのか。どんな話をしたらいいのか。
そもそもまだ離婚したことを分かっていないんじゃないか。
色んな感情が込み上げて、複雑な気分になる。
そして駅で元妻が子供を連れてきて
再会を果たす。
我が子だ…
なんと声をかけていいのか分からないが。
気づいたら子供を抱き締めていた。
子供は照れくさそうに周りをキョロキョロして
「やめてよ~」と言ってきた。
抱っこをすると、
「本当にやめて!」と拒絶された。
どうも抱っこされるのは子供扱いされるようで
嫌なようだ。
四ヶ月も経つとそんなことすら分からない。
そうなると何をしてあげたら喜ぶのかも
分からなくなる。
祖父母が孫を喜ばせる為に手っ取り早く
たくさんのオモチャを買ってあげる気持ちがわかる。
子供が何したら喜ぶか分からないから
とりあえずゲームセンターに行くことにした。
UFOキャッチャーやガチャガチャをして
少し楽しんでくれたようだ
でも何かこう、子供が心底楽しんでいるように思えない。
ゲームセンターから出て、子供と話したかったからカフェに行く?と聞いてみた。
そもそも四歳の子供がカフェに行って
楽しいわけがないだろうと思うが
本当に私は気持ちが分からないから
気づけば自分がしたい事を言ってしまっている。
子供も、え~…というような微妙な反応をする。
そこで横から元妻が一言。
「父さんと鬼ごっこしたいんやろ?」
というと、
「うん!」
この日一番の笑顔を見せた。
なんて哀れなんだ。
こんなにも子供の気持ちが分かっていないなんて。
そこからは駅周辺の広場で
鬼ごっこやケンケンをしてとにかく走り回った。
ゲームセンターでは比べものにならないほど
キャッキャッ言いながら子供ははしゃいでいる。
そうだ、この笑顔に癒されていたのだと思い返した。
思えば、前の家では物凄く息苦しい気分だったが
公園に子供を連れていき、一緒に遊んでいるときは解放感に溢れていた。
私の離婚した理由に子供は一切入っていなかった。
そう思えば思うほど
目の前で無邪気にはしゃぐ子供の笑顔。
今更ながらこの笑顔を絶やしたくないと思った。
暗くなり始めた頃。
別れの時間になった。
少しは寂しがるのかと思ったが
駅の改札に送っていくまで寂しい素振りは
何一つ見せなかった。
しかし改札での別れ際に子供は
しくしくと、すすり泣きを始めた。
ふっと体の力が抜けて脱力感に支配された。
私はこの子の人生の中でどれほどの
笑顔を奪ってしまったのだろう。
そんな気持ちが込み上げて罪悪感で心は真っ黒になった。
子供を強く抱き締めたあと
子供の顔を覗くと大量の涙で顔を濡らしていた。
私も涙が滲んだ。
すまない。本当にすまない。
子供にはそんな気持ちがひたすら込み上げた。
そして子供は鼻をすすりながら涙声でこんな一言を言ってきた。
「あと何回寝たら会えるの?」
膝から崩れ落ちそうになった。
子供は簡単に会えない事をしっかり理解していた。
私は約束の三ヶ月を忠実に
「あと90回くらいかな」
寝たらかなと子供には到底理解できない回数を伝えた。
嫌だ…と更に泣き始めたから
すぐに会えるよと言い直した。
しばらくして子供は少し落ち着きを
取り戻したから
「またね。」
と手を振りながら去っていった。
決して笑顔の別れではないが
遠くなっていく息子の小さな姿に目頭が熱くなった。
それから半年ほどが経った。
しかし、離婚してから一日たりとも息子の顔を思い出さなかった日はない。
それほど私は子供が好きだったのだろう。
面倒がなかなかみれてなかったりしたから
子供を溺愛している親達と私は少し違うとばかり思っていた。
しかし、距離を置いて余計に気づく。
私は心の底から子供が好きだったと。
産まれてきた子供に罪はなく、無邪気な笑顔が一つこの世に誕生した。
十分だ。息子が同じ世界で生きていてくれる。
たったそれだけで十分だ。そう思うようになった。
半年後の再会は私から会う場所は公園にしようと伝えた。
きっと子供は鬼ごっこしたい。そうに違いない。
子供は五歳になっている。
随分と大きくなったのだろうか。
色んな言葉を覚えただろうか。
たくさん友達はできただろうか。
しかし、半年くらい子供と会えない人は世の中に
いくらでもいるだろう。
例えば船乗り、例えば単身赴任者
ただ、連絡を取り合っているのと
離婚して全く連絡もなく半年後に
いきなり子供と会う心境は別物だろう。
そんな事を考えながら
子供の待つ公園に向かう。
公園は子供が幼い頃から一緒に遊んでいた
馴染みのある公園だ。
遊具の周りには散歩道があり
そこを歩きながら懐かしい思い出と
半年ぶりに子供と再会する緊張が押し寄せた。
かなり広い公園で、休日の夕方
たくさんの人で賑わっている。
そんな中、見覚えのあるすべり台前のベンチに息子はいた。
元妻も息子の横に座っているが
子供は何か描いていた。
話かける前に背後から近寄り
その絵を覗きこんだとき私は涙した。
風船を片手に笑顔で立っている私のことを描いていたのだ。
私は胸が熱くなり涙が込み上げて、ついには溢れた。
こんな上手に絵が描けるようになって…
涙ながらに子供の名前を呼ぶと
振り返りざまに満面の笑みを浮かべて
「お父さん会いたかった~」と
抱きよってきた。
私も強く抱きしめて
「元気だったか…?」
と涙ながらに言葉を絞りだした。
数日前、私の誕生日だったから
元妻の気遣いで誕生日プレゼントとして
描かせてくれていたのだろう。
元妻も時間が経って少し落ち着きを
取り戻したのか
それなりの気遣いを見せてくれるようになった。
「あげる!」と言われて
ノートから切り取ったそのページを
丁寧に折って胸ポケットに閉まった。
「鬼ごっこしよ!」
元気よく手をひいて、遊具のほうに連れていかれた。
それからこれでもかというほど、走り回り、砂遊びをして、鉄棒もできるようになったと色々な技を見せてくれた。
子供の成長を感じる瞬間につくづく胸が熱くなる。
そして日が暮れる頃。
もうそろそろバイバイだよと伝えると
少し嫌な顔をしていた。
しかし、前に会ったときよりは
よく遊んだからか、
「分かった…」と少しふてくされた様子ではあるが
帰る支度を始めた。
満足してくれてよかった。
私は子供を楽しませたことで安堵した。
次から会うときはこれくらい遊べば
別れ際も寂しさが紛れるだろうと思った。
そして公園の出口まで送り届けたところで
子供が鼻をすすり始めた。
花粉症か、目に砂が入ったのかと思い
「大丈夫?」と顔を覗きこむと
涙で顔全面を濡らしていた。
ズシンと体全体が重くなった様に感じた。
ずっと我慢してたものが溢れ出したのだろう。
私も目頭が熱くなり涙が込み上げた。
そしてまた子供は
あと何回寝たら会えるのと?
声を震わせながら聞いてきた。
私は大丈夫すぐ会えると約束した。
電話もすると伝えた。
「分かった…」といい
自転車の後ろに乗った子供が手を振ってくれた。
去り行く子供の背中は
この上なく小さく見える。
本当に申し訳ない。
子供がこれほど、脆い心を持っているとは。
愛しい子供の気持ちがこれほど
分かってあげれてなかったとは。
拝啓
未来の私へ。
どうか、もう少し人の気持ちに寄り添える
人間になってください。
人の痛みが分かる人間になってください。
世の中はあなたを中心に回っているわけではありません。
周りの人を大切にして
周りの人を幸せにできる人間になってください。
あとがき
結婚や離婚を考えている方へ。
結婚や相手と付き合うこと、相手と別れる事は
自分の気持ちの問題だけではありません。
相手の気持ちに寄り添い、お互いの事を思って
出した答えにこそ、覚悟が生まれます。
それから、子供がいる方へ。
子供の幸せは両親円満があってこそです。
子供の世話ばかりになっていませんか。
夫婦や結婚する前のカップルの方々
離婚間際の方々
もっとお互いの関係に目を向けてください。
両親の不仲を望んでいる子供なんていないはずです。
お互いの事をよく知り、理解しあった上で
初めて円満な家庭を築けるはずです
今後、結婚や離婚を考えている方へ
覚悟、決断をするための一冊になれば
この上なく幸いに思います。
2021. GaGa
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