instagramとポストイット。
SNSというコミュニティに自分を放つとき、
Instagramはこうありたい。
facebookはこうありたい。
ある。なんか凄いある。
Instagramのアプリを開いた瞬間に、
「instagramのわたし」になる。
なんて器用なんだ。さすが現代っ子。
そして、あわよくば、いいねが欲しい。
ザ、現代っ子。
通知が来たら速攻でスマホを開くし、誰がいいねしたか、誰がストーリーを見たか、見たくなる。笑
でももっと、ことばを放つ場所がある。
it's ポストイット。
メモ魔ってわけでもないし、ノートまとめは上手じゃない。
けど、生のことばはここに出す。
おおよそ大体のことはわたしの頭の中で整理できないので、ポストイットに一旦私のことばを預かっていてもらう。
そうすると、私は誰かとお話ししている気分になる。
頭の拡張器。優秀。
instagramで写真にフィルターをかけたり、ことばを書いたり消したり、
投稿する頃には、「なんか違うな」
嘘は書いてないけど、合ってない、そんなかんじ。
同じカフェラテなんだけど、違うお店で買ったカフェラテってだけで、気分が違う、みたいな。
ああそうか、だって結局SNSって
なんか発信したい。の気持ちを放てることが価値なのだ。
(私の中では)
ポストイットに書いたことばは、私のSNSのどんな言葉にも勝てない。
圧勝。
メイクも、アクセもつけてない、朝なかなか起きられないすっぴんのわたしが勝つって事になるってことか。
、、、、じゃあ。
『SNSをポストイットにしたらいいじゃないか』
という単純かつ、勝手な発想展開。
かと言って、やはり、誰の目にも触れない可能性が0か1かの違いは大きい。大きすぎる。
誰にとって大きいかって言えば、
「わたしのことば」にとって大きい。
ダメージ大。
すっぴんのわたしが、メイクをし始めたら意味がないのだ。
ここまで書いて
詰まったから今日はもうやめよう、