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記録しておきたい記憶vol.04_01

幼い頃から空手習ってきたものの、一向に試合に勝てない、一回戦負けばかり。
そのうち「一回戦負けが当たり前」、自分でもそんなふうに思ってました。
負けグセがついてるっていうんですかね。
道場の後輩連中からもバカにされ(弱い先輩は先輩扱い出来ないわなぁ)、同年からもバカにされ、相手にされず、

ただ「昔からいるだけ」の人間でした。

大きな大会が開催

えーと7月だったか8月だったか忘れちゃったけど夏休みだったと思います。
その年の夏に神戸だったか大阪だったか「花博」が開催されてたんですね。
そこで僕が所属してた空手団体が大きな大会(ま、一応全国大会でした)並行して催す、ということで参加しないか?と声がかかりました。
予選ナシでの全国大会でした。

参加費用がバス代やら宿泊代、花博チケット代やら食事代で一人4万ぐらいだったかな。結構な金額です。
下手な割には試合出るのは好きだったんで出たかったんですよね、ただ問題はその「費用」。
元々、兄弟3人で空手を始めて、その時兄貴はもうやめてたけど、僕が出るということは自然と弟も出るということになります。そうなると8万円、大金です。

家計が火の車なのは子供心にわかっていた

当時、親父は「日本に仕事がない」という理由で単身赴任で台湾に行ってたんですよ。
ただ変わってるのは親父の給料は親父の手元にあって日本の家族には一切送られてこない、という状態。
会社側からは出張手当で現地での生活費が別途出るわけではなく、全て給料でやりくりしろ、と。

親父は親父で慣れない海外でのホテル暮しと初の海外生活、日本人一人だけの工事現場なんで現地での付き合いや部下にメシおごったりで金要るもんだから致し方ないんですが、この時代が1番貧乏でしたね。
僕が中学・高校通ってた時代、僕も親に金貸してましたし、たまにアルバイトもしてました。

行ってきてええよ

前から「金ない」とは聞いてはいたけど、今までとはレベルが違う。
ホントに余裕がないのがわかりました。
母親は夜遅くまで仕事で走り回って、家事は僕がやる。
食卓にはカップラーメンのみなんて日もありました。

そんな状況なワケですから「8万」なんて金かかる大会に出たいなんて言えないし、強いならまだしも、劇的に下手で弱い僕ですからね、出るだけ金の無駄なんですよ。
出場断りの連絡をしなくてはいけないんだけど(本音では大会には出たいので)言えない。
そんな日々が過ぎ、申込みの締め切りの日が近づいた夜、先生から電話がかかってきました。
「出るのか出ないのか、どっちだ?」と。
僕が電話をとり「いや、出たいんですけどお金ないんでやめようかと・・・」と言いかけた時、たまたま早くに帰宅して後ろで料理をしていた母親が

「行ってきてええよ」

と声をかけてきました。

僕は電話をそのままに「でも金ないやん。どうするん?」と聞くと
「そんなもん、どうにかするから気にせんと行ってこればいい」という返事が返ってきました。
かなり嬉しかったのを覚えてます。
今でも人生で1番母親に感謝した瞬間なんじゃないかな。
僕は先生に「行きます」と伝え、電話を切りました。

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