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産業保健の金言集part 1

産業保健は様々な形があり、捉え所がないとも言えます。そのため、様々な金言・至言から学ぶことも多いと思っています。諸先輩・先人のお言葉を紡いでいくことも産業保健職には求められると思い、この記事にまとめてみました。少しお遊びも入っていますがご笑読ください。適宜金言を追加していき、永遠に未完成の記事となりますので、たまに見返してください。

【解説】は、いずれも筆者の勝手な解釈です。また別の解釈もあると思いますので、みなさん自身で言葉を咀嚼し、解釈し直してみてください。


『産業保健は大海原』

【解説】
産業看護職の住徳松子氏のお言葉より
産業保健は大海原のように広い世界。ベテラン産業看護職の住徳松子さんの言葉を借りれば、「産業保健は大海原」です。やればやるほど深さや広さが見えてくるでしょう。波打ち際でパシャパシャと遊んでるだけで、大海原に出てない方は、波にのまれたり、嵐にあったこともないし大変さを分からないでしょうし、大海原に潜む様々な魅力、楽しさ、やり甲斐、貢献感にも出会うことはないでしょう。

こちらは私が作成したスライドですが、「大海原」の方が的確な気がしています。いずれにせよ、広くて深いのが産業医学・産業保健だと思います。

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『風車、風が吹くまで昼寝かな』

【解説】
元々は元・首相広田弘毅の句より
産業医の斉藤政彦氏のお言葉より
産業保健活動も、あまり相手にされない時期、評価されない時期、活動の成果が出ない時期もあると思います。そんな時に、将来を心配して焦ったり、悩み苦しんだり、ひどく落ち込んで腐ったり、自暴自棄になったり、過激なことをする必要はありません。いくら焦って動いても、どうにもならない場合だってあります。そのような時期には、まずは気分を鎮めて、どっしりと構えることが大切です。心の平静と余裕を失うと、さらに事態の悪化を招く場合もあるからです。そして、静かに待つ。「果報は寝て待て」という言葉があるように、良い知らせがくるまで昼寝でもするようかのように待っていればいいのです。とにかく、じっと待っていれば、いずれ自分に味方する風、追い風が吹いてきます。もちろん、昼寝とはあくまで比喩で、それまで、知識やスキルを磨いておくことが大切です。

『自分のマイナスだと思った経験や辛かった経験が、産業医になると活かせる!』

【解説】
産業医のカステラ女王のお言葉より 
(ブログはこちら:医者の逃げ手段として産業医はアリ? その理由4つ
自分の辛かった経験全てを活かせるのが産業保健活動であると私は理解しました。

アナタが辛かった時に、「どうすればよかったのか」、頑張って踏みとどまって、きちんと向き合って悩んだ末に脱出したアナタは、逃げの天才である私より遥かに知っている。その事実は、間違いなく「オーロラの杖」くらいには良い武器です。

『システムはドライに、運用はウェットに』

【解説】
産業医科大学 産業保健経営学教授森晃爾氏
現在は絶版ですが、こちらの書籍より
https://www.amazon.co.jp/dp/4897827906

産業保健は仕組みづくり・ルールづくりが大切です。それが公正性・公平性に繋がります。とはいえ、それを毎回厳格に運用する必要はありません。健康の問題は個別性も大きいですし、就業配慮も柔軟にケースバイケースに対応する方がうまくいくことも多いでしょう。ルールを厳格にやりすぎると、感情の問題につながってしまうこともあるでしょう。しっかりと最低限の対応としてのルールはしっかりと設けながらも柔軟に対応していくことが大切だと思います。
 なお、例えば復職基準も、基本的には復職のハードルは下げずに対応するべきでしょうが、そればかりに固執してしまうと、復職できずに貴重な人材を失うこともありえるでしょう。ルールはあくまでルールです。柔軟に対応することを忘れないようにしたいものです。

『産業保健はサイエンスとハート』

【解説】
産業医科大学 産業保健経営学教授 森晃爾氏
現在は絶版ですが、こちらの書籍よりhttps://www.amazon.co.jp/dp/4897827906

産業保健活動は、科学的根拠だけで(システムだけで)ガチっと対応するのではなく、柔軟性に、人間力、信頼みたいなハートの部分(ウェットな部分)が大事だし、そこが難しいし、面白いのじゃないかと思います。

『職場は働く場所である』

【解説】
高尾メソッドで有名な岡山大学の高尾総司先生のお言葉より
職場は働く場所であり、リハビリの場所ではありません。当たり前すぎて、ぐうの音も出ません。が、この大原則を蔑ろにされてしまうことが起こってしまうのも、産業保健あるあるなのです。

(参考)メンタルヘルス不調者の職場復帰対応について
①大原則「職場は働く場所である」と 3 つの原則
職場は職員の治療やケアの場所ではなく、業務遂行のため勤務する場所だということが大原則です。この大原則を踏まえて、復帰のための3 原則があります。
第 1 の原則「通常勤務に支障があるか否かで判断」
業務面は上司、労務面は人事担当、健康面は主治医・産業医、それぞれの関係者が役割に応じて、本人の状況を総合的に判断します。
第 2 の原則「通常業務に支障がありそうなら休業もしくは療養継続と判断」

人事担当が復帰の最終判断者です。関係者がひとりでも通常業務に支障があると考えるならば、療養継続となります。ほぼ通常業務が可能な状態となってからの復帰となるので、本人の復帰後の勤務が長続きし、再発防止の効果が高いので、本人の健康状況に配慮した対応であると言えます。
 3 の原則「配慮付通常勤務は慎重に且つ限定的に行う」
復帰の際には、配慮事項を時間外勤務や通院のみとし、期間・回数も事前に決めておきます。これにより、配慮の長期化を防ぎ、復帰後の勤務に支障があった場合に、早期の再療養が可能となります。

『産業保健職の仕事は説得である』

【解説】
近畿大学 法学部法律学科 教授 三柴丈典氏のお言葉より
産業保健職の腕の見せ所は、つまるところコミュニケーションです。産業保健活動とは、企業の安全衛生活動をより良くすること、集団・個人の安全・健康行動をより良くすることが求められます。しかし、その多くは容易ではなく抵抗を示されるでしょう。だからこそ、産業医はコミュニケーションを駆使して、関係者を「説得」しなければならないのだと思います。いかに人を巻き込み、いかに組織を動かすか。「指導」、「助言」、「勧告」と名称は変わりますが、結局はつまるところやることは「説得」だと言えるのでしょう。

『調整し続ける』

【解説】
産業医の大室正志氏のお言葉より
産業医としてのマインドが端的に表現されている気がします。産業保健職は職場で調整し続けるのですね。承知しました、調整し続けましょう。

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『「決まりだから」という名の思考停止を終わらせたい』

【解説】
産業医の大室正志氏のお言葉より
解説は下の画像で

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『健康は個人の属性』

【解説】
発言者:やまこー先生

・公共の福祉に反さない限りは自由、各々が知識と価値観に拠って判断する
・組織人である前に自由人。所属による不利益が大きい場合、組織を辞す自由
・たとえば「健康に害がありそうなので辞めます」はごく普通の判断

健康を押し付けたり、健康第一主義に陥りがちな産業保健職ですが、健康はあくまで個人の属性であり、個人の裁量であり、どう不健康に生きようが自由である、という理解は必須だと思います。

『使えない産業医は変えちゃいましょう』

【解説】
iCare 代表取締役CEO 山田洋太氏の発言より
これはね、声を大にして言いたい。価値を出していない産業医は、企業の害にしかならないから変えちゃいましょう。いいぞ、よーた!かっこいい!

『産業医が伝家の宝刀だと思っている勧告権は、抜けばただの竹光刀です』

【解説】
三井化学株式会社 本社健康管理室長 統括産業医 土肥 誠太郎氏のお言葉より
いつかの産業衛生学会で「勧告権」を考えるシンポジウムで聞いた台詞だと記憶しています。産業医の勧告権には、実際にはなんの効力もないんです。抜いてしまえばただの竹光刀です。産業医は、そんな竹光の勧告権を、刀に見せて、抜くぞ抜くぞと言いながら現場とコミュニケーションを図り現場をよくしていくわけです。それが産業医の腕の見せ所です。

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『産業保健は人間学である』

【解説】
高田 和美先生(名誉教授)のお言葉より
現時点で、私には解説不可能。

『ゼロにはできないリスクであるとしても何もできないリスクではない』

【解説】
広島大学公衆衛生学教授 久保達彦先生のお言葉より

久保達彦. 交替制勤務者の発がんリスク評価に関する時間生物学の進展. 時間生物学.2013;19(1):11-16

『働くことで不幸にしない』

【解説】
株式会社ファームアンドブレイン・産業医の浜口伝博先生のお言葉より
「働く」の不幸を取り除け!組織課題へ取り組む産業医の役割【浜口伝博×倉重公太朗】第1回

産業医の一番の目的は、「労働災害を起こさない!」、つまり「働くことで不幸にしない!」ということです。人は幸せになるために働いていると思うのですが、それとは裏腹に、「稼がなければいけない」という現実もあります。この裏腹な人生に、人は働くということに大量の時間を投じています。(中略)まあ、20歳過ぎで入社して、60、70歳で退社したら、40、50年間働くわけでしょう。これほどの長期間をつまらない時間として過ごすなんて、これほどの不幸はありません。「働きさえしなければ、こんな不幸に出合わなかったのに……」と悔やむ人、けっこういますよ。職場ストレスだけじゃなくて、体を痛めている人もいる。できることなら、働くことが本人の幸せにつながってほしいですよね。

『産業医には5Kが必要』

【解説】
株式会社ファームアンドブレイン・産業医の浜口伝博先生のお言葉より

「(K)会話する力」「(K)規律する力」「(K)科学する力」「(K)解決する力」「(K)教育する力」です。

労働者や職場、人事担当者、産業保健スタッフとのコミュニケーション能力は基盤中の基盤です(会話する力)
彼らとの話の中で、そもそも職場に法律違反があるのならまずはそれから対処しないといけません(規律する力)
規律が終われば、それ以外のところにも問題が必ずあります。改善は科学的に進めないといけません。問題を探りあて、データを集めることも必要です(科学する力)
そして改善に向けて実行します。いろいろなメンタルヘルスケースについてもいっしょになって解決していく必要があります(解決する力)
職場問題や事例が解決したら、それらが再発しないように教育したり、管理したりしなければいけません(教育する力)

『産業医の3K』

【解説】
株式会社ファームアンドブレイン・産業医の浜口伝博先生のお言葉より

産業医は「カッコいい、感動がある、感謝される」です。

裏の3Kは・・・
産業医は「稼げる、感動がある、感謝される」だったような・・・

『産業保健は人と組織を長期的にハッピーにする仕事』


『人と会社をよくして、世の中を幸せにできるのは産業医だ』

【解説】
読み人不詳(K道先生?)

『産業保健は幸せの総和を目指す』

【解説】
功利主義の「最大多数の最大幸福」より
また産業医科大学 産業保健管理学研究室 教授 堀江正知氏がよく仰られているよう?
産業医ストラテジーシリーズ 第一巻41ページより

産業医は事業者が実施すべき事項や果たすべき責任について委任を受けて報酬や給与を得ている。よって、産業医の顧客の一つは事業者である。また、実際に産業保健サービスを提供する相手である労働者も同様に顧客である。顧客である事業者と労働者、この双方を同時に満足させることは案外難しいことである。しかしそれを実現させるヒントとなるのが、堀江正知(産業医科大学教授)が提唱している「幸せの総和」という考え方である。様々な健康指標を平等に扱い、その量だけを比較してはならない。個別に質の評価を加えたうえで、総和を考えるべきである。つまり、「多数の命を救うために少数の命を犠牲にしても良い」というような短絡的な発想ではなく、一見矛盾する内容であっても、質的評価を加えたり、新たな方法を別に見出しるすことによって解決していく努力が望まれる。

産業医ストラテジーシリーズ 第一巻 産業医ストラテジー 41p

『医者は人を健康にするけれど、産業医は人を幸せにするものだ』

【解説】
産業医科大学 産業保健経営学教授 森晃爾氏より
産業医の役割の大きさが身に沁みます。最近は、健康よりもウェルビーイングという言葉が広がってきていますが、多分そういうことだと思います。産業医が扱っているのは、単に「健康」というものではないのでしょう。労働者(やその家族)を幸せにすることが産業医の役割なのですね。

『産業医にアイデンティティーがあれば何をしていても産業医である』

【解説】
産業医科大学 産業保健経営学教授 森晃爾氏より
産業医は色んなことをやりますが、どんなことをやっていても根っこのアイデンティティが産業医であれば、それはもう全て産業医としての言動になるのだと解しています。個人的には大室正志先生の言動も、産業医としてのアイデンティティがあるため、メディアのどんな発言も全て産業医の発言に聞こえてます。多分そういうことなんだと思います。

『専門じゃないので、とは言わない』

【解説】
産業医科大学 産業保健経営学教授 森晃爾氏より
働く人の健康に関することは全てが産業保健職の専門です。専門じゃない、という逃げ口上は使わずに、真摯に対応することが必要、多分そういうことなんだと思います。

『医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。』

【解説】
医師法第一条より

第一条 医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。

医師法第一条

『哲学する医師』

【解説】
産業医科大学初代学長 土屋健三郎氏より
産業医学概論教室の説明をそのまま引用させていただきます。

1) 人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師 

「人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師」のフレーズは、土屋によるオリジナルの文言ではなく、ヒポクラテス全集の『礼儀[Decorum]』に由来したものです。その中で「医師は知恵を愛する者、すなわち哲学者でなければならない。もしそうであるならば、医師は神にも似た者になるであろう」と医師が哲学することを賞賛しています。また、患者への経済状態への配慮についても言及し、「医師は料金を決めることに気をもんではならない。ときには無料で治療せよ。もし経済的な苦境にある見ず知らずの人の治療をする機会があった場合は、必要な援助をすべて与えよ。というのは、人間愛[philanthropia]のあるところに、技術愛[philotechnia]があるからである」としています。現代の臨床医学の父としてイギリスとアメリカの医学界で永く賞賛されているウイリアム・オスラー博士は、まさにこの言葉に医師の倫理の本質を見出しています。

2世紀にローマで活躍した医師であるガレノスは、ヒポクラテス学派の伝統を受け継ぎ、「最良の医師は哲学者である」という短い論文の中で、「医師は誰でもあらゆる部門の哲学、即ち、論理学、自然学、倫理学を知らなければならない」と明言しています。

ガレノスのいう哲学的医師とは、単に哲学文献の研究者のことではなく、自分自身の生き方が正義と自制によって形成されている医師のことです。医師にとって学習と研究は基本であり、摂生した規則正しい生活をつねに心掛け、患者には礼儀正しさと慈悲深さをもって癒すこと、これが哲学する医師であるとしました。

このように、「人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師」は、2千年以上にわたり臨床医学の父とされている医聖ヒポクラテスの伝統そのものであり、その後継者であるガレノスの医学思想にも深く根ざしていることを改めて強調しておきます。ちなみに、日本の大学医学部でこの伝統的医師像を謳っているのは、唯一産業医科大学だけです。

初代学長の土屋健三郎がこの医師像を建学の使命として第一に掲げたのは、相当な熟慮の末であったものと推察され、時代を貫く深い信念があったことを感じざるを得ません。このことは次の文章の中で、土屋の確固たる意思を汲み取ることができます。

「医師は人間に奉仕するための天職である。単に学問や技術を身につけるだけでは不充分である。生とは何か、死とは何かをつねに問い、生涯にわたって哲学を勉強する必要がある。そしてその哲学を基本として、医療という職業に従事するのが本来の医師である。」感謝されない医師

上医を目指す

【解説】
産業医科大学初代学長 土屋健三郎氏より
産業医学概論教室の説明をそのまま引用させていただきます。

2) 上医を目指す医師

上医という言い方は、西暦454年から473年にかけて書かれました、中国の陳延之の著書『小品方』にある「上医医国、中医医民、下医医病」から来た言葉といわれています。この意味についてはさまざまな解釈がありますが、「上医は国を癒し、中医は人を癒し、下医は病を癒す」というのが一般的な理解です。言い換えると、目前の患者の治療に全力を尽くすのが下医、公衆衛生的予防対策を実践するのが中医、国全体の医療システムにメスを入れてすべての国民が平等な医療の恩恵に授かることができる仕組みをつくるのが上医、という解釈になります。したがって、『小品方』に則して文字通り解釈すれば、上医は政治家や官僚を意味することになります。具体的には、国会議員や医系技官として医療政策や労働衛生政策で活躍する医師が該当します。

しかし、土屋の言うところの「上医」は、治療だけでなく病気が再発しないように予防医学を実践する医師であると同時に、働く人の健康が保持できるように企業上層部に対して組織的な対応が実践できる医師、すなわち企業組織内で医師として有機的に機能する「産業医」を指していることは明らかです。

「産業医こそが上医である」との土屋の独創的な発想によって、産業医科大学が目指す医師像が新たにもう一つ提唱されました。この医師像は、1978年の開学当初にあった産業医に対する負のイメージを根底から払拭することに大きく貢献したものと考えられます。

感謝されない医師

【解説】
産業医科大学初代学長 土屋健三郎氏より
産業医学概論教室の説明をそのまま引用させていただきます。

3) 感謝されない医師

通常、患者やその家族から感謝されることは、医師としての喜びであり、生き甲斐の原点となる重要な出来事です。感謝されることを心の支えとして一所懸命に医学の実践や研究に励んでいる医師も少なくありません。しかし、土屋によれば、逆に「感謝されない医師」を目標とすべきであるとしています。これは一体どういうことなのでしょうか。

「感謝されない医師」とは、病気を未然に防ぐことを実践する「産業医」を前提にした究極の予防医学を実践する医師の姿ではないかと思われます。職場環境や作業の改善によって労働者の病的症状が劇的に改善する場合もありますが、自覚症状のない慢性疾患や軽症のメンタル疾患を有する労働者に対して面接や就業制限などを実施したときは、感謝されるよりも、むしろ嫌な顔をされることが少なくありません。しかし、直接的に感謝されることが少ないことにこそ、医師として真の喜びを覚えるのが本当の医師の姿であり、利他の精神と無功徳の心を貫くプロフェッションの真髄がある、ということが土屋の伝えたかったことではないでしょうか。

しかしながら、感謝されないことに喜びを感じるというのは至難の業であり、あまりにも感謝されない日々が続くと、自分は必要とされていないのではないかと虚無感に襲われてしまうのが普通の感性をもった人間です。医師としてのアイデンティティ・クライシスに陥らないためにも、「感謝されない医師」というのは、感謝されることをあたり前と思ってしまう傲慢な医師にならないよう、逆に患者に「感謝する医師」であれ、と積極的な意味で解釈した方が土屋の真意に近いものと考えられます。

自分なりにも考察しております。



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