映画「ラストマイル」のガチ産業医的感想(ネタバレあり)
産業保健職の多くがポストしていた映画「ラストマイル」の感想を5つの軸で感想を書いていきます。
ネタバレを含みますので、まだ映画を観ていない方はこの先には進まないでください。
1. 働くことで人は健康を損なう
「働く」ことは、お金を稼ぐことができ、働きがい・やりがいを得ることができ、人間にとっていいことも多いのですが、一方で、働くことは常に健康のリスクと隣り合わせです。管理職のような立場であっても、デスクワークであっても、長時間残業がないような働き方であってもです。仕事の中身や人間関係の問題、通勤などのさまざまな要因によって人は健康を損なう可能性があります。
そして、それは最悪の場合、人が死ぬこともあります。この映画のように、メンタルヘルス不調の果てに自ら命を落とすこともありますし、脳卒中のように自覚症状もない状態からある日突然脳の血管が出血して亡くなるような方もいます。設備に挟まれたり高所から落下して亡くなる方もいます。
人は働くことで健康を損なうことがあるからこそ、そこに産業保健という働く人の健康を守るための学問があり、専門家がいて、そのための実務が必要になるのです。
働くことで健康を損なっていることに自分でリアルタイムに気が付くことができればいいのですが、実際にはそれは簡単なことではありません。人は、自分の状況を冷静にみれなくなってしまったり、無症状に病状が進行することがあるからです。
映画中では、舟渡エレナがアメリカで働いている際に、カウンセラーに相談したと話しているシーンがありました。時には、働くことに損なわれた健康に気がついたり、それを回復させるためには専門家(心理職、精神科医、産業医、保健師)の力や、他者(友人や家族、同僚)の力が必要です。場合によっては、舟渡エレナのように休職という形で仕事を休むことも必要になるのです。
働くことで人は損なうことがある、ということを働く人全てが確実に認識するとともに、そのことを相談したり、気がついてくれる身近な人の存在がとても重要なのだと思います。
また、全ての経営者にも、働く人の健康の大切を強く認識して欲しいものです。
2. 労働者の健康問題は社会の問題だ
企業は働く人でできていて、その働く人の健康問題は、企業が行う事業活動の問題となり、さらには社会の問題にもなります。健康問題といっても非常に幅が広く、自殺や脳卒中といった重篤なものから、不注意や眠気、パフォーマンスの低下といったものまで含みます。また、モチベーション(やる気)の低下やコミットメント(企業に対する所属意識)の低下といったことも健康問題の範疇です。
労働者の健康問題は、企業の中だけの話にはとどまりません。企業のステークホルダー(利害関係者)やサプライチェーン(取引先)、消費者、さらには一般市民にまで影響が及びます。本映画のように企業のプロダクトやサービスの質に影響が出ることもあります。爆弾が入っていることはさすがに稀でしょうが(というかゼロじゃないと困ります!)、不注意で虫が入っていたり、不良品が混じっていることで消費者の安全や健康を脅かします。眠気や意識消失を起こした運転手が一般市民を巻き込んだ事故を起こすこともあります。
学校の先生の健康問題は、生徒に対する学校教育の質を落とします。
病院の職員の健康問題は、患者に対する医療の質を落とします。
役所の職員の健康問題は、市民に対する行政の質を落とします。
そして、まさに今年は2024年ということで2024年問題の年です。
物流に関わる労働者の健康問題は、物流の質を落とします。
(それは作中にあるように医療物流にまで影響が及ぶことも)
労働者の健康問題は、私たちの社会生活と隣り合わせであり当事者です。
労働者の健康問題の軽視は、回り回って自分や家族に返ってきます。
政治と同様に、もっとこのことに注視していく必要があるのだと私は考えています。
3.世界は「働く」で出来ている
某CMのコピーを若干パクってしまいましたが、そういえばあのCMもロジスティクスを描写していましたね。
今の消費社会を支えているのは、圧倒的なロジスティクスの力です。本映画のように欲しいものがワンクリックで手に入ったり、能登半島沖の魚が東京で手軽に食べれたり、世界中のどこにでも旅行できることも、全てはロジスティックスの賜物です。すごい時代ですよね。その全てのプロセスには働く人が関わっており、ネジの一本から、紙の一枚まで全て誰かが作っているものです。機械化が進み、自動化によって製品が作られているとしても、その機械を作っているのは人であり、機械を操作しているのも人であり、それをメンテナンスするのも人です。最後のアクションは人がやらなければならないということも、「ラストマイル」というタイトルに含まれているように感じました。
本映画では、物流センターのオートメーション化が進み、まるで人が部品のように扱われているような描写がありましたが、そうは言っても、設備は壊れるし、メンテナンスが必要だし、やはりところどころには人の手が必要です。
機械が機械をつくり、その機械のメンテナンスも機械が行い、人は働きもせず楽できるような完全な機械による自動化した世界は到来するのでしょうか。
そうなれば、産業保健という領域はなくなり、産業医も不要になりますね(働く人の健康問題が起きることがなくなり、産業保健がいらなくなる社会が待ち遠しいです)
世界は「働く」で出来ているからこそ、全ての「働く人」にリスペクトの気持ちを持っておきたいものです。
4.格差問題は社会を脅かす
作中では、物流センターには、正社員は数名しかいない、といったセリフがあり、物流センターは大量の非正規雇用労働者(もしくは外部会社の労働者)によって稼働されていることが描写されていました。毎日のように大量の人がバスで運ばれ、セキュリティをくぐり、黙々と作業していましたね。そのバスの運転手も、セキュリティの人も、誘導している人も、清掃スタッフも、その全てが正社員ではなく、いつでも切り捨てられる労働者という部品なのでしょう。そういえば、彼らは皆一様に表情も暗く、誰一人として個性的な人間として扱われていないかのように見えました。果たして彼らの年収はいかほどなのでしょうか。おそらくは最低賃金に毛が生えたような時給で働いているのでしょう。
後半にバイク便が必要となり、そこに見たことのあるS君こと白井一馬(アンナチュラルより)が出てきたのは、なんからの意図を感じます。労働者1人1人にも顔があり、そこには個性のある人間がいるのだと訴えているのかもしれません。
本映画では、大量にいる非正規雇用労働者の一人がエラーを起こすことによって、世界を動かす大企業の物流センターという大きなシステムに混乱を引き起こし、その稼働を止めることになりました。山崎佑が飛び降りても一時的にしか止めることができなかったのに。
「格差問題」と「働く人の健康問題」は直結しています。
低所得者層は
病院を受診したり服薬治療を続けるためのお金が足りなくなります。
野菜や果物などの健康的な食生活ができなくなります。
長時間労働や危険な労働を余儀なくされます。
荷物一つ運んで150円
果たして時給換算するといくらになるのでしょうか
健康的な食事や趣味をすることもできず
長時間運転や重量物作業で腰痛を起こしたり
取引先からのプレッシャーを受けながら働くことになります。
そして、「働く人の健康問題」というエラーは、この社会に大きなエラーを引き起こします。それは社会にとっても(高所得者層にとっても)決して他人事ではありません。世界は「働く人」で出来ていて、その「働く人」において意図的にでも、意図せぬともエラーが起きれば、その代償を払うのも社会です。「無敵の人*」の出現も現実には起きていますし、命を賭して社会に反旗を翻す人がいつ出現してもおかしくありません。働く人の健康問題によって飛行機が落ち、電車が止まり、交通事故が起きています。
*爆弾を作った犯人はまさに「無敵の人」のような描き方でしたね。
すでに格差問題によって社会は脅かされています。
そして、それは徐々に拡大しつつあり、他人事ではありません。
5. 労働者は団結しなければならない
資本主義社会において、労使は対等ではなく、労働者は使われる存在として、弱い存在です。
プラットフォーム経済と言われるように、DAILY FASTのような巨大プラットフォーム企業がマーケットを席巻し、羊急便や、さらにはその先の中小零細企業や、個人事業主、フリーランス労働者が搾取される構造となっています。プロットフォーム企業や大企業に、ピンハネされたり、コストを抑えられたり、言いなりになっています。
荷物一つ運んで150円が170円になることで、本当に彼らにとって安全で健康な働き方が実現されたのでしょうか。
まだ交渉は始まったばかりなのかもしれませんが遠い道のりです。
それは全然ラストマイルなんかではなく、ファーストマイル(始まりの一歩)です。
いち労働者は本当に弱い存在です。
過労死するまで働いたやっちゃんのようにならないためには、健全な労働環境で働くためには、本映画のように企業同士が団結したり、労働者が団結し、交渉していく必要があるのだと思います。
産業保健はたしかに労働者の健康を守るためにありますが、労働者自身が、団結し、自分たちの健康を自分たちで守るための行動もまた必要なのだと、私は産業医として考えています。むしろ産業医がいなくても労使で安全で健康な職場が実現できることが理想だと私は考えています。
この時代だからこそ、働く人には、自分たちの職場を、自分たちで安全で健康なものにするための行動が求められているのだと思います。
おわりに
映画ラストマイルをガチ産業医として感想をまとめてみましたが、いかがだったでしょうか。産業保健の視点や公衆衛生の視点も織り込みながら記事を作成してみました。
野木さんの作品は、本当に重要な問題を社会に投げかけています。当事者である私たちは、そのことに真正面から向き合い、考え続けなければいけないのだと思います。
本記事はそのための一助になれば幸いです。
産業保健的小ネタ
映画の大きな謎かけであった「2.4 m/s」という文字を見て、てっきり「制御風速」かと思ってしまいましたが、そんなわけないですよね。
ちなみに、喫煙室に必要な制御風速は0.2m/sで、ドラフトチャンバーのような装置に制御風速は0.4 m/sです。
まあ、本当にどうでもいいネタです。
小ネタ2
一つ150円で荷物を配送する佐野親子の休憩時間は、労働基準法を意識している気がします。休憩10分でまた配送を続けていく。とれたとしても30分(45分もとれない)。法律は彼らの休憩時間を確保はしてくれない。そんな描写だった気がします。
小ネタ3
アンナチュラルの久部くんが脳外科医として出てきましたね。アンナチュラルのときは医学生だったはずで、それが執刀医クラスになるには少なくとも5-10年くらいかかりそうなんですけどね。あの世界はアンナチュラルのドラマのタイミングからそんなに経っているのに、なんか他のみんなは同じポジションなんですかね?🤪
産業保健職たちの感想ポスト
https://x.com/aoao_dr/status/1830198086641283258
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