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31.過重労働面談の落とし穴

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産業保健活動において、長時間労働者を対象とする面接指導は法定業務でもありますし、とても頻度の多い業務です。正式には、「長時間労働者への医師による面接指導」ですが、「過重労働面談」・「過重労働者面談」といったり、「長残面談」といったりします。本記事では「過重労働面談」と表現します。また時間外労働は残業と表現します。ここに潜む落とし穴をご紹介いたします。


目的なき面談という落とし穴

目的なき面談という落とし穴」でも説明しましたが、産業保健現場の面談は目的を意識することが重要です。この過重労働面談では、過労やストレスを背景とする労働者の脳・心臓疾患やメンタル不調の未然防止を目的とするものであり、産業医は対象労働者に保健指導や助言を行うだけではなく、事業者に対して就業上の措置に関する意見を述べることがとても重要です。

なお、面談対象者全員にではないですが、情報収集にも有用ですので、私はあえて雑談程度の話をすることもあります。過重労働面談の対象になる労働者ほど企業の色々な情報を持っていることが多いからです。そのような情報を収集しながら企業文化や、働き方の問題点、労働者の特性を整理し、どこかのタイミングで企業側にフィードバックするのです。しかし、産業保健現場の面談は、時間・コスト意識も重要ですし、情報収集はあくまで副次的な目的になりますのでご注意ください。

安全配慮義務の落とし穴

過重労働面談を実施すれば、事業者は安全配慮義務の履行を果たしたと言えるのでしょうか?残念ながら、過重労働面談をするだけでは安全配慮義務の履行を果たしたとは言えません。安全配慮義務は予見可能性と結果回避措置から成りますので、結果回避措置をとらなければ不十分です。産業医は面談を通して、医学的な見地から予見可能性を評価して、必要に応じて結果回避措置に関する意見を述べます。事業者は産業医の意見も勘案し、なんらかの措置を講じることで安全配慮義務の履行を果たしたと言えます。上司や人事担当者によっては、とりあえず産業医に面談してもらったから大丈夫、という誤解をしている方もいますので、この誤解でボタンの掛け違いが起きないようにコミュニケーションをはかる必要があります。(参照「安全配慮義務の落とし穴」)

実効性なき措置の落とし穴

過重労働面談の対象者は、残業が多いからこそ面談を行っているわけですが、だからといって「残業禁止・残業制限」という産業医の意見書を出すことは必ずしも正解ではありません。残業をしたくてしている方も多くはないでしょうし、なくせない・減らせないからこそ過度な残業に従事していますので、「残業禁止・残業制限」という産業医の意見書は実効性が低くなりがちです。実効性のない意見書を連発してしまうと、その他の産業医活動にも支障をきたしますので注意が必要です。対象労働者の実状に合わせて、上司や人事担当者などと調整を図ることで、労働者の健康障害の予防と実効性のある、ちょうどよい落としどころを模索する姿勢が重要です。もし産業医として就業上の措置の意見書を出す場合は、どのような文脈で出すのかを必ずご確認ください(参照「文脈なき就業上の措置の落とし穴」)。

報告書なき面談という落とし穴

産業保健活動の中で、書類に残すというのは基本的な事項です。過重労働面談においてもこれは同じです。面談を実施した際には、面談の目的に即した就業上の措置に関する意見書を事業者(企業によっては上司や人事担当者など)に提出する必要がありますのでご注意下さい。「長時間労働者、高ストレス者の面接指導に関する報告書・意見書作成マニュアル(資料1)」では以下の様式例が示されています。なお、この中で特に重要なのは就業区分です。(「健診で治療の要否を判定するという落とし穴」もご参照ください)

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残業が悪という落とし穴

過度な残業によって多くの方が健康を損ない、最悪の場合では過労死という悲惨なケースも起こり続けています。残業がなく定時内で業務が終わることはある意味では理想的な働き方と言えます。しかし、残業そのものが悪ということでは必ずしもありません。法律の範囲内であったり、業務に必要な残業もありますし、労働者にとって働くことはやりがいや自己実現になります。重大な案件や社会的意義のあるプロジェクトを乗り越えることで得られる達成感もあります。また、それまで残業が多かった企業が、業務量が変わっていないのに残業を削り過ぎることによる弊害も発生します(例:管理職や特定の人に残業が偏る、残業隠し、昼休み・休憩時間が削られる、業務スケジュールがタイトになり疲弊したり、事故に繋がる、など)。産業医としては、36協定違反の残業や、サービス残業、健康障害を起こしている過度な残業、強制的にさせられている残業などについては、是正するように働きかける必要がありますが、残業はなんでもかんでもなくすべき、減らすべきといった論調にならないようにご注意ください。
下表は、脳・心臓疾患に関する事案の労災補償状況にあるデータですが、この2年間の脳・心臓疾患の労災補償支給決定件数は、1カ月又は2~6カ月の残業時間別では、45時間未満では0名、45時間以上~60時間未満では計2名、60時間以上~80時間未満が計36名となっています。つまり、残業時間は概ね60時間以上となると、労災として認定されやすいことが示唆されます。逆説的に言えば、残業が60時間を下回っていれば労災としては認定されにくいということになります。これは、長時間の残業が常態化している企業において、残業低減を提案する際の1つの参考値となりえます。

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残業が体に悪いという落とし穴

一般的には残業が健康に悪いとされていると思いますし、overworkによって心血管疾患のリスクが上昇するという先行研究もあります。しかし、一方で残業によって必ずそういった影響があるわけではないことに注意が必要です。職域多施設研究(職域コホート研究)の結果では、以下のような関係が示されています。残業によって身体活動量が増えるという報告(資料4)もあります。これらは後述するHealthy worker effectによるものかもしれませんし、また別の要因があるのかもしれません。もちろん、残業が多いことにより、太ったり、血圧が上がる方など健康を害している方もいますし、最悪の場合には血管疾患を発症する方もいますので、過重労働面談の際には見逃さないようにご注意ください。

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残業はメンタルに悪いという落とし穴

一般的には、残業はメンタルヘルス不調と関連が強そうですが、ことはそう単純ではありません。藤野らのレビューにおいても、「労働時間とうつ・抑うつなどの精神的負担との関連について,一致した結果は認められなかった」と報告されています(資料6)。
また、下表は精神障害に関する事案の労災補償状況にあるデータですが、この2年間の精神障害の労災補償支給決定件数は、1カ月又は2~6カ月の残業時間別のいずれにおいてもまんべんなく分布しています。メンタルヘルス不調という観点においては、仕事の量的負担である残業以外の要因(仕事の質的負担、人間関係、ハラスメントなど)も多く、残業対策だけでは、メンタルヘルス不調の問題はすべては解決しないと言えます。こらについても、もちろん、残業が多いことによってメンタルヘルス不調に陥る方もいますので、それを見逃さないようにご注意ください。(「メンタルヘルス対策の落とし穴」もご参照ください)

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Healthy workers effect(健康労働者効果)の落とし穴

論文などでは、Healthy workers effect(健康労働者効果)は、主に選択バイアスと交絡因子の2つの意味で用いられますが、長時間労働にいてのHealthy workers effectは選択バイアスが重要になります。つまり長時間労働は、それに耐えうる頑強・健康なもの(他にも、家庭環境や業務成績が良い、逆に仕事の効率が悪いといったケースもありえます)が従事しやすい可能性があります。他にも、海外出張・転勤や、重量物作業といった負荷の高いような業務についても同様の選択バイアスはかかりえます。上記の落とし穴のように残業しているものが逆に糖尿病・高血圧のオッズ比が下がるというように健康障害の発生しやすさも変わってくることもありますのでご注意ください。(Healthy workers effectについては資料7参照)

36協定の落とし穴

時間外労働(残業、休日出勤)をさせるのであれば、従業員の規模に関わりなく36協定の締結・届出が必要です。さらに、働き方改革の一環として、労働基準法が改正され、2019年4月1日からは「時間外労働の上限規制」が規定されました。このため、法令遵守されている企業においては、36協定により残業には抑止力がきくことになります。つまり、産業医が特に口を出さなくとも年間で一定の範囲内で残業が収まることになります。企業に備わった仕組みによって健康障害が起きないような範囲の残業に収まるのであれば、それほど望ましいことはありません。産業医としては担当する事業所の36協定を必ず確認してください。なお、残念ながら36協定が遵守されていない企業も往々にしてありますので、健康障害の発生が予見されなくとも、その遵守を求めていく姿勢も望まれます(一方で、後述のように法の番人にまでなることではないと思いますので、そのバランス感も重要です)。

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資料8より引用

法の番人という落とし穴

法令違反の残業をしている企業は減ってきていると思いますが、悲しいことに実際にはまだまだ多く存在しています。そもそも残業時間自体が適正に把握されていない企業すらあります。産業医として、担当する企業が法令違反をしていなければいいのですが、実際には遭遇することも多いでしょう。そのような際に、産業医として「法律だから必ず守ってください!!」と企業に意見を提出することや、勧告権を行使することも1つのやり方ではありますが、正攻法が通じることばかりでは決してありません(「勧告権の落とし穴」も参照)。産業医は法の番人ではありませんので、企業の法令違反にいちいち目くじらを立てて、企業に喧嘩腰に挑んでいては、解決することも解決しません。企業側も望んで法令違反をしているわけではありません(そういった悪徳企業も存在するとは思いますが)。産業医は健康の専門家として、労働者の健康障害を認めたり、予見されるときに、企業側とも交渉を図り、調整を尽くすことで、その健康障害を防ぐ必要があります。法令違反の残業があったとしても、法の番人のように法令を突き付けるだけにならないようにご注意ください。

残業自己申告の落とし穴

残業時間がシステムで管理されている企業も増えているとは思いますが、まだまだ自己申告の企業も多いと思います。そうした場合、産業医にあがってくる残業の数字は、過少申告の可能性があります。実際によく見るのが、36協定や産業医面談の基準ギリギリのケースです(例:79.5時間のようなもの)。いくつかの解釈ができますが、本人が残業をコントロールできているともとれますし、隠れ残業やサービス残業をしているかもしれませんし、上司が意図的にそのようにしているかもしれません。残業時間を表面的に捉えるのではなく、その実態をつかむことも大事なことですのでご注意ください。

タイムラグの落とし穴

企業にもよりますが、過重労働面談はなかなかタイムリーに実施することも難しいため、過度な残業に従事した月から、数週間ないし1,2カ月後に面談を実施することになります。特に、月に1度しか訪問しない嘱託産業医の場合は、日程の調整がつかず後ろ倒しになってしまうことも往々にしてあります。この場合、介入・支援が遅れてしまうということもあります。前述の通り、タイムラグがあればあるほど安全配慮義務の観点からも望ましくありません。そうした点も事業者・上司・人事担当者らとコミュニケーションを図る必要がありますのでご注意ください。また、面談の際には、残業状況やそれに伴う健康状態の変化を中長期的に確認することも重要です。これは、脳・心血管疾患及び、精神疾患の労災認定基準において、一ヶ月ではなく、2〜6ヶ月間の業務負荷で評価されるということも背景としてあります。

おまけ

過重労働についての知見が学べるこちらの動画はとてもおススメです。ぜひご視聴ください。
ストレス関連疾患予防センター堀江正知センター長 ビデオ講義
「過重労働に関する科学と社会政策」

過重労働対策NAVI


参考資料

1.長時間労働者、高ストレス者の面接指導に関する報告書・意見書作成マニュアル
2.令和元年度「過労死等の労災補償状況」を公表します(厚生労働省)
  脳・心臓疾患に関する事案の労災補償状況
  精神障害に関する事案の労災補償状況
3.Keisuke Kuwahara, Teppei Imai, Akiko Nishihara, Tohru Nakagawa, Shuichiro Yamamoto, Toru Honda, Toshiaki Miyamoto, Takeshi Kochi, Masafumi Eguchi, Akihiko Uehara, Reiko Kuroda, Daisuke Omoto, Kayo Kurotani, Ngoc Minh Pham, Akiko Nanri, Isamu Kabe, Tetsuya Mizoue, Naoki Kunugita, Seitaro Dohi, Japan Epidemiology Collaboration on Occupational Health Study. Overtime Work and Prevalence of Diabetes in Japanese Employees: Japan Epidemiology Collaboration on Occupational Health Study. GroupPLoS One. 2014 May 1;9(5)
4.N Nakanishi, K Nishina, H Yoshida, Y Matsuo, K Nagano, K Nakamura, K Suzuki, K Tatara. Hours of Work and the Risk of Developing Impaired Fasting Glucose or Type 2 Diabetes Mellitus in Japanese Male Office Workers. Occup Environ Med. 2001 Sep;58(9):569-74.
5.Teppei Imai, Keisuke Kuwahara, Akiko Nishihara, Tohru Nakagawa, Shuichiro Yamamoto, Toru Honda, Toshiaki Miyamoto, Takeshi Kochi, Masafumi Eguchi, Akihiko Uehara, Reiko Kuroda, Daisuke Omoto, Tomohisa Nagata, Ngoc Minh Pham, Kayo Kurotani, Akiko Nanri, Shamima Akter, Isamu Kabe, Tetsuya Mizoue, Tomofumi Sone, Seitaro Dohi, Japan Epidemiology Collaboration on Occupational Health Study Group. Association of Overtime Work and Hypertension in a Japanese Working Population: A Cross-Sectional Study. Chronobiol Int. 2014 Dec;31(10):1108-14.
6.藤野善久,堀江正知,寶珠山務,筒井隆夫,田中弥生. 労働時間と精神的負担との関連についての体系的文献レビュー. 産衛誌 2006; 48: 87–97
7.Ritam Chowdhury, Divyang Shah, Abhishek R. Payal. Healthy Worker Effect Phenomenon: Revisited with Emphasis on Statistical Methods – A Review. Indian J Occup Environ Med. 2017 Jan-Apr; 21(1): 2–8.
8.時間外労働の上限規制わかりやすい解説(厚生労働省)

対策などの情報がまとまっておりこちらのサイトはおすすめです。
9. 過重労働対策ナビ

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