分かってないけど、困ってない
はじめに
産業医の「教育」に関わっている人間として、この記事は深く突き刺さった。
なんてパンチラインだ。
うすうすと思っていたことを完全に的確に言い当てられた、
とみんな思ったはずだ(特に、教育する側にいる者にとって)
そう、もう知らんのだ。
部下(後輩)が仕事ができようができまいが。
今後どんな失敗をしようと、どんな怒られようとも。
そんな空気がすでにあちらこちら漂っているのではないかと思う。
前に、こんなことを言われたことがある
静かに教育は終わって、匙が投げられて、誰も拾おうとしていない
すでに、そんな状況なのかもしれない
教育が静かに終わってなにが起きているのか
次になにがおきているのか
それは、
「教育は静かに終わりを告げようとしている」ことによって、
若手は「分かっていないけど、困っていない」
という事象に陥っているのだと思う。
そのことについて書いていこうと思う。
注意)あくまで想像・空想の記事ですので、あしからず
なんとなくできちゃう産業医
産業医をやったことがある人ならわかると思うのだが
産業医業務は、ある程度の社会常識と、ある程度の知識と、ある程度のコミュニケーション能力があれば、まあまあできてしまう
なんとなくで、なんとなくできてしまう
いや、できてしまっているかどうか分からない。
なんとなく "こなせてしまっている" のだ。
いや、こなせているのかどうかも分からない。
本人は "こなせている" と感じてしまっているのだ。
それが産業医だったりする。
なぜなんとなく "こなせている" と感じてしまうのか
誰も死なない
産業医活動では、ほとんど全くと言っていいほど誰も死なない
いや、死んでもらっちゃ困る。
だって普通に人が働いているのが会社だから
産業医活動は予防活動なので、
自分がやったことの善し悪しは、誰も分からない。それは本人でさえも
やったことが、人を救ったのか、幸福に近づけたのか、
はたまた、
死期を早めたのか、不幸に陥れたのかも分からない。
ドラえもんの "もしもボックス" でもない限りは
誰も死なないものだから、自分はこなせている気がするし、
なにやらいいことをしたと思っちゃうから、
産業医活動がなんとなく "こなせている" と感じちゃうのだ
さらに、 "こなせている" という人を誰も指摘する人がいない
というか指摘できない構造がある。
指摘しようにも若手がなにをやってるのか見る機会がほとんどないからだ。
誰も見てない
産業医活動は誰にも見られることがない、というか、誰にも見せずに済んでしまう。
カルテのようなものはないし、カンファレンスもないし、指導医が側について覗いていることもない
(そもそも産業医業界ではOJTが得られること自体が超稀有)
自分の産業医活動を誰かに相談したり指導を仰ごうとするかどうかは、完全に本人次第である。
(産業医業界では指導医がいないことがデフォルト)
少し困ったことがあれば、相談することもあるが、いかんせん、なんとなくこなせていると感じちゃっているものだから誰かに相談しようとはしない。
若手だろうが医者には大なり小なりプライドがあるものだから、相談してダメ出しをされることをえてして嫌う。臨床経験のときのようにカンファレンスで袋叩きにも遭いたくもない。
(産業医業界ではカンファレンスがない。事例検討会が内々で開催される)
みんな易(やす)きに流れるのが人の性(さが)であり、自分の産業医活動を積極的に披露するようなストイックな人もそうそういない。
相談しなければいけない状況に陥らないのが、次の構造的な問題だ。
困らない
ドクターヒルルク的に言えば、、、
人はいつ本当に困ると思う・・・?
恥をかいたとき・・・
・・・違う
怒られたとき・・・
・・・違う
相手に泣かれたとき・・・
・・・違う!!!
・・・責任を
とらされるときさ・・・!!!
恥をかいたところで、次の日には忘れるし
怒られたところで、翌週には忘れるし
泣かれたところで、自分のせいだとは思わない
責任をとらされて、責任を追及されたときに
「やばい!」「なんとかしなければ!」と本当に困る。
(どこかの裏金問題でもそうだったでしょ?)
ところがどっこい、産業医には責任を追及される機会が非常に乏しい
(ところがどっこいって死語ですかね?)
産業医活動は事業者に助言する構図のため、責任は基本的に産業医になく事業者にある(例外はもちろんあるが)
従業員が死の淵にいて、産業医が何かしないと死んでしまい責任が追及されることもまずないし
企業でコロナが大流行りしようとも責任をとる立場にはない
クビになることもそうそうない
産業医業務は、ほどほどな能力があれば、ほどほどにできてしまうし
企業側から指摘されるることはほとんどないし
ポストの奪い合いが起きていて食い扶持がなくなる状況にもない
そんなわけで、
責任をとらなきゃいけないことにはならないので、
本当に困るという事態にはそうそうならない
ちなみに、なんならクビになっても
企業側の理解がない!あの企業はおかしい!
と他責的に怒鳴る人もいたりするのが産業医業界だったりする
(たまに企業は静かに産業医をクビにします)
だから本当に困る、ということがない
(産業医業務で困ることは当然たくさんあるんですけどね)
でも分かっていない
分かっているかといえばもちろんそうでもない
報告書を見せてもらったり、セミナー資料を見せてもらうと、分かっていないことが多発している。
間違ったとこを書いていたり、
理解しにくい内容であったり、
言葉の使い方が違っていたり、
根拠が希薄だったり・・・
大渋滞していてどこから突っ込んでいいか分からないこともあって
ちゃんと突っ込むと、ちゃんと分かっていない
説明してもらっても、ほとんど説明できない
産業医の世界も、数年ぽっちでなんでもできるようになる、
なんてことはなく
というか、何十年経っても分からないことだらけである
まあ、やっぱりちゃんと、分かっていないのだ
(とはいえ分かっていないことをいちいち突っ込むこともしない)
分かっていないけど、困っていない
最初に結論を書いているが、改めて結論を書くと、
分かっていないけど困っていない、という現象が起きている
そして、教える側も、部下(後輩)に対してこう思っている。
この人はおそらく分かっていないだろうけど
そのことで自分が困ることもないしな
"見捨てる" までは言い過ぎかもしれない。
関心を持っていない、もしくは関心が低い、
という表現がより適切なのかもしれない。
自分の見れる範囲で、教えられる範囲で、聞かれた範囲で
ちょこっと教育して、教育したことにしている
無理のない範囲で、相談に乗る
なにもしない人はそうそういなくて
ただ、かつてのように、とことん教えるということはしていない
皆、善人ぶっていて、いつでも相談に乗るよという体(てい)でいる
だけど、身を削ってまでは教育しようとはしない
積極的に相談に乗ろうとまではしない
そんな状態に静かになっているような気がする。
教育が静かに終わっている、というのはそんな状態な気がする。
(そもそも産業医業界では世間的には教育システムがほとんどないのだが)
教育の形が変わろうとしているのかもしれない
「教育は静かに終わりを告げようとしている」という記事をfacebookでシェアしたところ、某先輩から、次のようなコメントをいただいた(一部加工)
ひょっとすると、
「古い教育は静かに終わりを告げようとしている」が、
「新しい教育は静かに始まろうとしている」のかもしれない
自分は、ただその過渡期にいるだけなのかもしれないし
古い教育に固執しているだけの老害になろうとしているかもしれない
分かっていないけど困っていない と思っていたはずが
10年後とかには、彼らは
分かっていないようで実は分かるようになっていて
困ることもなく困らないようになっている のかもしれない
困らないと分かるようにならない は幻想で
困ることもなく分かるようになる のが新時代なのかもしれない。
続く
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(Jay先生へのリスペクトを込めて)
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
面白いと感じてくださった方、スキや拡散がとても励みになります!!
一緒に皆さんと成長していきたいと思っています。よろしくお願いします。
こんな記事を書きましたが、実際には、私自身は、教育することを決してやめてはいません。このガチ産業医ブログも、教育の一貫として、なにかしら、だれかしらの産業保健職の成長に貢献できればと思って作成しております。
次回は、産業医教育の構造について書いていきたいと思います。
乞うご期待!!!
おまけ
過去にも似た様な記事は書いています。
ご興味があればどうぞ