石積みから考える農村風景とか農業政策とか
続いて11月の連休に開催された、石積み甲子園について。
主催団体は一般社団法人石積み学校。代表の真田先生は徳島大学に在任中から神山とのつながりが深く、ここしばらくは神山町創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」のアドバイザーを長く務めている。金子さんは石積み修復ワークショップを町内で何度も開催していて、神山校にも毎年技術指導に来ている。
私は金子さんの石積み授業のコーディネートをしてきたりイタリアでの石積み合宿に参加させてもらったご縁があり、さらに開催場所が私の住む集落になったのもあり、現地スタッフとして関わることに。
▼ 一般社団法人石積み学校
石積みの価値についてはHPに端的にまとまっているので引用。
こうした社会的価値に加え、実際に積んでみると感じることがたくさんある。石の重さや表情の発見と驚き、積み終えた時の達成感。これまで何気なく見ていた風景が変わる感覚。長きに渡って石を積み、土地を切り開いてきた先人への敬意を感じずにはいられない。一度身体を通じて体験すれば二度と知らなかった時には戻れない。石積みは不可逆的な学びに溢れている。
価値の再認識
石積み甲子園の元ネタになっているのは、イタリアで開催されている石積み大会。こちらは大人向けで、ガチの石工たちによるもの。石積み学校のお二人と神山で石を積める若者が参加したことがある。タイミングよくヨーロッパ出張中だった私も観戦した。
石をレンガのように加工して積んでいく、布積みが主流のヨーロッパの積み方とは大きく異なる日本の積み方(乱積み)は存在感がハンパなかった。
ヨーロッパでは石積みがユネスコの無形文化遺産に登録されており、環境への配慮からも価値が再認識されている。イタリアやフランスでは石積みの施工に関するガイドラインを作っていたり、仕事になるよう資格化していたり、修復に対して補助金が支払われたりと、普及のための仕組み整備が進んでいるそう。
石積みから広がる学び
大会前日の交流会では、高校生たちから学校紹介プレゼンがあり、参加校それぞれの石積みに関連する取り組みを聞く機会があった。愛媛の高校では数学の先生が石積みを題材にした学びを展開していて、太陽の光が石積みや海に反射してみかんが甘くなることを教えていたり(3つの太陽!)、石積みの強度を数値化する研究に取り組んでいたりと、農業科目として取り組んでいる神山校とはまた違った学び方をしていたのがとても興味深かった。
見学していたイタリアの友人も、「石積みを通して物理を学ぶといい。支点・力点・作用点が分かっていればもっと楽に石を動かせる」と言っていた。
食農教育では食や農体験を教材にすれば様々な教科の学びになることを証明しているが、石積みだってそうだ。
石積みへの関心が高い人の多い稀有なまち
石積みというニッチな技術を高校生たちが競う、という取り組みに面白がってくれる人たちは多く、当日は町内・町外から訪れた観覧者の波が途絶えることがなかった。正直、こんなにたくさんの人が来てくれるとは思わなかった。
修復現場を見る機会はなかなかないから面白がってくれたのだろうか。一見すると無秩序に積まれたように見える各石積みを、審査員たちがどのように評価するかも関心があっただろう。後半にかけて、食い気味に高校生たちの作業を見守る大人たちが増えていった。
集落に住むお年寄りの方々もたくさん見に来てくれた。このまちの生まれで、70歳を超えるおばあさんは「この集落にこんなに人が集まることなんて滅多にない。じじばばたちはうれしいだろうよ。しかもここは集落の中でも景色の良いところ。いろんな人たちに見てもらえて、誇らしい」と聞かせてくれた。うれしい。
開催校として周囲からの期待も高かった神山校は残念ながら優勝を逃した。悔しそうだったけど、それ以上に楽しそうでもあった。
限られた時間での実施だったこともあり、制限時間内に修復を終えられなかった(想定の範囲内)。閉会式後、神山のイシヅミストたちが「待ってました」と言わんばかりに腕を捲り上げ、ものすごいスピードで積み残しを片付けた。競技中は見ているだけだったから積める大人はさぞかし焦ったかったでしょうね。今回キッズ向けにミニチュア石積みのコーナーを設けていて好評だったけど、来年以降は積みたい大人たちの欲求を叶える現場が近くにあってもいいんじゃないかと冗談まじりに話した。需要ありそう。
「積み直せる人がいなくなっている」とされる石積みだが、神山は積める若者が結構いるし、石積みに関心を持っている人が多い稀有なまちだと思う。設計基準がないこと等を理由に公共工事で活用されにくい空石積みだけど、決して禁止されているわけではない。積める人がいるうちに実績をつくっちゃえばいいのに、と思わずにいられない。今回のイベントがその機運を高める機会になっていればと願う。
石積み甲子園は伝統技術の継承の機会を生み出すだけでなく、高校生同士や学校間の交流の場であり、地域の人々が自身の土地を再発見するとともに誇りを取り戻す場であり、農村景観を次世代につなぐ啓発の場でもあった。いろんな可能性が詰まっていたと思う。
『風景をつくるごはん』を読んで
石積み甲子園の開催の前月に、代表の真田先生著の書籍が出た。
言わずもがな、拙著のタイトル『まちの風景をつくる学校』は真田先生が以前から提唱していた「風景をつくるごはん」に大きな影響を受けている。
濃密な内容かつ面白くて、数日かけて読み終えた。
特に印象的だったことをいくつかメモ。
戦後、経済成長を求めて第二次産業を発展させていく中で、国策として農家の数を減らす方向に舵を切った。経済格差の拡大を懸念して、機械化・土地改良等による生産性向上で一人当たりの所得を増やす思惑だったが、結果的に農家の集約は進まず兼業農家の増加につながった
工業化の流れの中で、農業も化学肥料・機械化等の工業化を果たしていった。戦後の食糧難への対策や工場勤務者への賄いのための大量調理の必要性も背景にある。結果、農村風景や土の変化が生じた
「農業の在り方は、農業者が決めているのではない」。農家は補助金や低利融資等、政策で求められる農業の形に無意識的に従っている
空石積みは江戸時代時点では職人による技術だったが、開国以降外国人の技術を取り入れ、またコンクリートの普及によって「使いにくい技術」になっていく。関東大震災を契機に耐震性が重視されるようになったり、昭和恐慌の失業救済のためにマニュアル化された工法が主流になったりと、技術に求められる価値観が「規格化できる」「計算できる」「誰でもできる」ものへと変化していった
農業は私的経済活動でありながらも「公共財」として良好な農村風景を維持する面から公的介入を行う必要があると考え、気候変動対策や農村経済への積極的で具体的な政策を行うヨーロッパ。対して「多面的機能」として近しい理念を掲げつつも、農業活動がそこに結びつくような制度設計になっていない日本の農業政策。
歴史を振り返れば、社会の変化に対応する形で政策が行われてきたことが分かる。でも「当時の判断が決して最善ではなかった」と評価することも時には必要(イタリアではそうした自己内省が行われていることも本文中に触れられている)だし、時代が変われば必要な政策も変わる。
そして政策とて最上位のものではなく、システムの一部である、とも言えるだろう。
前の記事で触れたローカルとオーガニックの話にも通じるところがある。とはいえ今の農家はギリギリで持ちこたえていてこれ以上のことを求められないだろうとも思うし、農家の自助努力に矮小化して話を終わらせると先がないとも思う。