頑張ることを教える人へ

世の中顔じゃないっていいながら顔を選んでるし
努力はとても大切だ!ってゆうけど
私はセンスがないと努力はできないと思ってます。

センスは少しだけ”好き”という感情と並行していて、
好きだとたくさん情報を集めたり、常にそれについてアンテナを張ってるから
好きじゃない人よりはうまくできるようになるのが早かったりします。

凄くわかりやすく、如実に差がつくものはスポーツなのかな?
少なくとも私はスポーツで感じました。

私は小学校1年生から高校3年生までバスケをしてました。
始めるのはおそらく早い方だし、
なんなら父親が監督とゆうものもあって、
小さい頃からボールにも触れてました。
ものすごく恵まれた環境だったんです。

けど私はオリンピック選手でもないし、
なんなら大学はスポーツ推薦とかじゃなく勉強で行ったし、
なんなら高校なんて1度も公式試合には出れなかった。

頑張るって本人が判断することじゃない。
そして頑張る=成功じゃない

そう気がついたのは高校の頃だったと思います。
(これはすごく遅いタイミングですよねww)

それまでは周りの大人にも恵まれていたのか、
夢みがちな人が周りに多かったのかわからないけど

「頑張れば報われる」
「努力は報われる」
ずっとゆわれてきました。

でも報われないことなんて山のようにあります。
多分おそらく、多くの大人が知っていること。

周りの大人の人たちは
「やってきた過程に意味があるんだよ」
と。
私は正直その時それがどうゆう意味はわからなかったし、
今でも本当にそうなのかな?と思うこともあります。

だってね、たとえば私がオリンピック選手になりたいとして
“努力”してもオリンピック選手になれなければ
目的は達成されていないし、
目的が達成されないとゆうことは、
努力した先にあって欲しかった結果につながらなかったからその努力は本人にとっては意味はないと同じ。
周りの人が、
頑張ったから。。いつか、その経験が活かされる時が来るんだよってゆっても、
いや、人生においての話じゃなくて、
私はその”目的”を果たすために頑張るのであって、
ナニカが人生に生かされるためにやってるわけじゃない。

そうやって”うまく消化すること”を身につけて、
なんとか自分のいいように考える。

それが”頑張ることを教える”とゆうことなんでしょうか?

たしかに、何かを継続したり
1つの目標に頑張ったりすることってとても大切な経験だと思います。思い出にもなるしね。

私も子供ができたら、
努力することに意味があるってゆうのかな?

わからない。

でもそれをどう伝えればいいかもわからないんだけどね。

ただ私には自らの経験を都合よく解釈して、
努力や頑張ることを正しいこととして教えていくことは、
只々大人になった人たち自身がやれなかったことや勝手にいいように解釈した正義を
自分より下の子達に押し付けているようで好きになれない。

頑張ってるからといって、報われるわけではないんだよ。
努力なんて、あってないようなもの。
それでもやるか、やめるかは本人次第。
傷つこうが、泣こうが、乗り越えるのも自分自身。

自分自身と向き合うことの方がよっぽど大切なような気がするんです。

#頑張るということ #小学校の先生 #教育

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