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ふとメモしたことを見返したら読めたもんじゃなかった
3月10日午後2時
友人との待ち合わせ時間より一時間以上早く最寄り駅に到着し、一人で遅めのランチをするため手近かつ見慣れたコーヒーチェーン店に入る。
空腹の限界を超えていた私は、いつものチャイティーラテと新登場らしいハーブチキンのサンドを注文し残り少ない空席に腰をかけてさっそく齧り付いた。ハーブ。かなりハーブ。香りというより味が。これなら迷ったハムとチーズのサンドでもよかったかな。いや、人生に冒険は必要だ。
理由もなく待ちぼうけしているのではない。変わっているのか、無理やりにでも一人でいる時間を作りたくなる性分で、そこに理由はない。
熱々のラテを啜りながら辺りを見渡すと、平日の昼間だというのに店内はほぼ満席であった。勉強を教えあう女子高生、PCで作業をするサラリーマンも多く見受けられる。自分の身の回りにスーツで働き、会社勤めをする、いわゆる典型的な「サラリーマン」がいないため、座ってコーヒー片手に仕事している姿をみると未だに新鮮に感じる。
目の前には同年代くらいの女性が一人、抹茶フラペチーノと抹茶スコーンを前にじっとスマートフォンとにらめっこをしている。いくら抹茶好きの私でもダブルはきついな、とぼんやり思う。
奥には3つほどの長椅子に一列に並んだ人たちがスマートフォンやペンを動かして作業している。
コロナ禍。不要不急の外出自粛。まるで念仏のように日々繰り返されるそれらは、産まれたばかりの赤子でも耳に胼胝ができるほど私たちの生活に馴染んでしまった。
本来なら私もこんなに混雑した場にいない方がいいし、学生たちも楽しく勉強会なんてしている場合ではない。
でもそれを完全に禁止することはできない。
なぜなら人間は「慣れてしまう」生き物だから。
もう一年も世界中を脅威に包み込んでいる新型ウイルスは、一年「も」経ってしまったことによりマスク常備の生活が、人と人とが自由に会えない不自由さが、自分たちが籠もっていてもいても世界は何も変わらないという諦観が、私たちの脳裏を駆け巡っている。
「不幸を治す薬は希望によりほかはない」
シェイクスピアの問題劇とされる『尺には尺を』で絶望の底に陥る女性に向けて当てた言葉である。
誰もが悲観的な思いで過ごすこの時代に、果たして希望は現れるのか。待っていれば来てくれるのか。
そんなことを考えながら冷め切ったラテを啜るといつの間にか空になっていたことに気が付く。相変わらずスマートフォンに夢中な目の前の女性は、フラペチーノとスコーンを平らげていたらしい。
時刻は午後2時50分
友人たちと合流するため私は席を立った。