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日本は賤民資本主義

ドイツの社会学者マックス=ウェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本がある。

主な内容は、近代資本主義が、西ヨーロッパでなぜ成立したのか。
そして、近代資本主義が成立する条件とは、何であったのかを考察したものだ。
高校の世界史や倫理で、取り上げられているので、記憶している人もいるだろう。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、ウェーバーは、近代資本主義と対極にある資本主義を賤民資本主義と呼んでいる。

ウェーバーは、賤民資本主義の特徴として、

 倫理なき金儲け主義と欲望が社会の隅々まで浸透

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

 社会の中心には、盗みや横領を罪悪と感じず、私益の蓄積しか念頭に ない政治家や商人が占拠

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

を挙げている。

極言すれば、賤民資本主義社会では、金儲けという目的に、手段は選ばない
何でもありだ。
犯罪も躊躇なし。
他人を騙して、地獄に突き落とそうが、金儲けのためには是。
モラルなぞ金儲けには何の役にも立たない。
道徳や倫理にこだわる奴は、バカ正直な時代遅れの化石人間だとみなされる。

みなさんお分かりだろう。

現代の日本社会そのものだ。

こんな世の中、間違っていると思う私は、金には一生縁がない貧乏暮らしだろう。

それでもいいと思うように最近なってきた。

肩ひじ張らずこれからも気楽に素顔のまま生きていきたいからだ。

ところで、賤民資本主義を放置すれば、日本はアメリカや韓国を上回る究極の格差社会になり、支配者階級と被支配者階級が厳然と分割された近代以前の社会に変化する。
数年先のことだと思う。
時すでに遅しだが。

しかし、日本人は、自分が痛い思いをしない限り変らない。
これまで通り、権力や権威を持つ者と自己を一体化して、幻想に浸り、自分より弱いか、嫌いな人をターゲットに集団いじめを繰り返し、日々をだましだまし生きていくだろう。

2021/1/29  追 記 その1

今年に入ってから、さらにはっきりわかった。

それは、自分の金儲けのために、メンツや保身のために、人間の命が何人失われても全く関係がない、問題はないと考えている人が、日本人の中にたくさんいるということだ。

具体的には、政治家であり、官僚であり、財界人であり、学者であり、マスコミ人である。日本ではエリートとされる連中だ。彼らは、エリートとして必須の責任倫理が全くない。また、道徳観も欠落している。もし、そんなものがあったら、金儲けはできないし、自分の精神のバランスを保つこともできない。人の心は金で買える、と言い切った堀江某がそのことを象徴している。こういう人々を、人間の仮面をかぶった冷血動物と形容するのが適当であろう。顔は笑っていても、爬虫類のような目をして、彼らはステーキやふぐ会食に舌鼓を打ち、銀座の高級クラブで我が世を楽しんでいる。

そして、この期に及んでも、国民は他人事、自分さえよければ関係ない様子。誰かが苦境に立たされれば、自業自得とか自己責任というワードで切り捨て、スマホで目を充血しながら、SNSやゲームの世界で刹那的な毎日を過ごしている。

これでは、AIやZOOMが導入され働き方が変ろうとも、IPS細胞で医療が変ろうとも、肝心の日本人が、人間として出来損ないのロボットばかりなのだから、絶望しかない。

賤民資本主義社会で生きていかなければならないのは、旧ソビエトや北朝鮮、あるいは戦乱や飢餓で苦しむ発展途上国で生きるのと、性質は違えども、差はあまりない。

それでも、日本で生まれ育ったことに感謝し、日本人としての誇りを持てなどと寝言をいう人がいる。

狂気というか地獄である。

2023/7/15 追記 その2

日本が究極の格差社会に変貌するゴールがついにやってきた。
しかし、自分にとって都合の悪い事実を無視するのが、日本人の習性だ。
小泉純一郎のように「どんな社会にも格差はある。格差があって何が悪い」と開き直るか、詭弁を弄して格差社会を正当化しようとする政治家や御用学者がこれから出てくるだろう。
そして、国民も自分たちが奴隷扱いされている現実に向き合うことを拒否し、深夜まで長時間労働に励む毎日を過ごすと思う。
働くことや耐えることが美徳であると思い込みながら。




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