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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ 感想




※ネタバレ有。鑑賞前の方はお気をつけを



残酷で美しいロマンス。
全て持っていて、安全圏から危険を求めていたハーレイ。全て持たずに、ただ自分を見てくれる理解者が欲しかったアーサー。
出会った瞬間から2人は破綻していた。
それでも縋ったアーサーと、気付いても彼をジョーカーに染め上げようとした残酷なハーレイ。対比が美しく儚い。人は何故夢を見るのだろう。ハーレイはジョーカーに夢を見せて欲しかった。アーサーは2人で夢を見たかった。
アーサーにとって本当にハーレイ以外はどうでも良かった。多少嘘でも構わなかった。
でもハーレイにとって、少しでも嘘であればジョーカーではない。全てが無意味と化してしまう。あまりにも非対称なロマンスだ。
演出も素晴らしい。2人がショーをするシーンでアーサーがハーレイに言った「なぜ僕の方を見ないで歌うの?」というシーンから暗雲が立ちこめる。
穴倉のシーンで素のまま愛し合おうとしたアーサーを拒否し、「本当のあなた」を見せてとハーレイ自らアーサーにメイクを施してジョーカーに染め上げる所もゾッとした。面会の口紅にアーサーの笑顔を重ねるのも、やっぱりハーレイの理想とするジョーカーの笑顔を無理矢理作らせているみたいで苦しかった。煙草の煙を口移しするシーンもそう。ハーレイが見ているのはジョーカーだけで、吐き出したアーサーの内面はハーレイが口だけで吸い込んで受け止める。
とても皮肉でロマンチックな魅せ方だと思う。
民衆もそうだった。
爆破から目覚めたアーサーを見つけるなり、本人の意思も聞かずに、自らが祭り上げる「ジョーカー」として車に乗せて走り出した。行き先も考えずに。結局そこで待っていたのは渋滞と、アーサーにとって苦しみの記憶の過去の街。アーサーが景色に気づいてから脇目をふらずに下車して走り出すシーンは見ていて本当に辛かった。あの時、彼にはハーレイという希望しか見えてなかったんだと思う。今まで辛い時、ずっとトボトボと登ってきた階段を、ジョーカーと化して笑顔で駆け降りた階段を、ハーレイに会う為にまたトボトボと登っていく。とても勇気が必要だったと思う。
例え暗い過去だったとしても、アーサーは再び自分の足で歩いて階段を登った。その背中はとても優しく、アーサーとしてハーレイに会いに行ったんだと思う。
でも駄目だった。
「ジョーカーはいない。どこにも行けない」
そう言ってアーサーに背を向けて階段を登って去っていくハーレイを、やっぱりアーサーは追えなかった。その先を登るのがどんなに苦しい事か、知っているから。
結局アーサーは弱かった。でもその弱さを受け入れてくれる場所はどこにもなかった。
その意味で、最後に彼は誰でもない奴の受け皿になった。法で裁かれるよりはよっぽど良かったのかもしれない。切ないけど、ラストシーンはあれで良かったと思う。
そして結局、僕らはジョーカーという狂気を見たくて仕方がないだけの、狂ったあの民衆と同じだ。
それを悟った時、本当に寂しい気持ちになった。本当に残酷で美しい、儚い映画だった。

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