八方美人になれない
「人の好き嫌いがはっきりしている」と、よく人に言われる。
人が嫌いなわけではない、が、自分と合わない人だと思うと、それ以上関わることをしないのだ。
そもそも、共感できない人と一緒にいることに何の意味があるのだろうと思う。
愛想笑いができない。
共感できないことにはうなずけない。
年をとれば、人の性格は如実に顔に出るようになり、それを見分けることも出来るようになる。
会った瞬間に「この人とは同じ空気を吸えない」と思ってしまうのだ。
そして、その判断は概ね正しい。
もともと友達は少なくていいと思っているほうだし、ちゃんと話の出来ないような人と付き合える心の余裕など持ち合わせていない。
心狭い。大いに結構。
好まない人と付き合って疲れてしまうほど無駄なことはない。
「そんな風に生きられていいね、うらやましい」と言われることもあるが、そんな風にしか生きられないのだ。
若い頃は、女性としてちやほやされたほうが良いのかと、飲み友達を増やそうとしてみたこともあったが、結局、何の意味もなかった。
根っから人が好きで、付き合いが広いという友人がいるが、それは努力ではなく、天賦の才能なのだ。
私がマネをしてどうこうできるものではない。
そう気付いたときに、私の選り好みに拍車がかかった(笑)
本当に気の合う人、としか付き合わない。
でも、そう決めてからは本当にラクになったし、無駄なパワーを使わずに済むようになった。
子どもの頃は「友達たくさんできるかな♪」なんて歌に惑わされ、友達をたくさん作らないといけないのだと思い込んでいた。
いつも同じ子とばかり遊んでいると、もっと友達を作りなさいと親や先生に言われた。
しかし、それは私に合った生き方ではないのだ。
孤独上等。
そしてたまに話せる気の合う友達がいれば、それでいい。
八方はムリだから「二方」くらいで。
それが心地よい生き方。