マイノリティの孤独は多分どうでもいい
僕は中国人で、11歳の時に日本に来ました。
親の都合でしたが、それ以降は日本のどこにいっても、どこの国にいってもマイノリティになりました。
マイノリティって実のところ、結構孤独です。
どこにいってもマジョリティと比較され、文化も言葉も全て中途半端に感じるようになります。
マイノリティであることが政策の理由になってしまい、いじめられる原因も増えることになります。
歩いているだけで罵声を浴びせられることもあります。
ただ、大人になって大きな目線で自分の状況を考え直してみると、僕はそもそも中国の少数民族なので、常にマイノリティ側だったんだなと気が付来ました。
それからは本当に全ての悩みがどうでも良くなり、自分の力をポジティブに社会へ向けることができたように思います。
よくよく考えると、多くの人は大体何かのマイノリティではないでしょうか。
今や、日本の共通意識としてある「普通な人」が、本当に日本に存在しているのだとしたら、その人はもうマイノリティではないですか?
仕事が楽しい人も、仕事がつまらない人も、それぞれ思想が違う芝に入るとマイノリティになるのではないでしょうか。
詰まるところ、マジョリティかマイノリティかなんて大したことないのだし、どうでもいいことだったりもするのだろうと思います。
ただ、私たちを悩ませる社会構造や国の仕組みがマジョリティかマイノリティかで意思決定していくことが多いのですが、そもそも全員がマイノリティなのだとすると、それは社会側やみんなで意思決定する仕組みが間違っていたりする気もします。
社会システム側がいい加減だけど、その中で生きるというのは、旅のようなものです。
全部どうでもいいけど、目の前にある友達と楽しそうなことを全力でやって、また次の楽しい場所に移動していくことになります。
そういう旅のような人生を生きていると、同じような同胞たちに出会うことがあります。
そういう出会いが、いちいちラッキーと思えたりするし、「ラッキーと思える幸せ」みたいなものは誰にも奪われない自由が手に入ったりします。
最近メディアから取材を受けることが増え、出自やバックグラウンドを聞かれることが増えたので改めて自分でも振り返って少し考えてみました。