ハーンの足の裏 中上の手 川端は両方を掴む(前編)
『怪談』の冒頭を飾る「耳なし芳一」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の作品にとどまらず、日本の怪談のなかでも最も知られた一つと言っても過言ではないでしょう。
というあらすじはみなさんも一度は耳にされたことがあると思います。
けれども、このハーンの物語には、ひとつ気になる部分があります。
それは芳一の体にお経を書き込む場面です。
とても細かな、むしろ細かすぎる描写です。
特に足の裏、普段目につかない場所なので、くまなくという感じは出ます。けれども、徹底しているからこそ、かえって「そこまでやってどうして耳なんていう一目見てわかる部分忘れるの?」という疑問さえ湧いてきてしまって、物語のスムーズな読み取りを阻害すらしているのも事実です。
ところで、ここに講談社学術文庫の小泉八雲『怪談・奇談』(平川祐󠄀弘編、1990)があります。『怪談』『骨董』などからタイトル通りの怪異譚を集めた、数あるアンソロジーのひとつですが、ラフカディオ・ハーンの蔵書を調べ、各話の原典も収録しているのが他にない特色となっています。
それによりますと「耳なし芳一」は18世紀後半刊行の『臥遊奇談』に収録された「琵琶秘曲泣幽霊」がもとになっているとのことです。
そこから、芳一の体にお経を書き込む場面を取り出してみますと、
非常にシンプルですが、このくらいあっさりして、しかも弟子達も含めて総がかりでやったといわれると、なるほど書き残しや監督不行き届きもあるかもしれないなと思えてきます。
けれども、そんな物語の読み取りやすさを犠牲にしてまで、ハーンは原文では「衆僧」とあるところを一人の弟子に変えて(英文はhis acolyteと単数です)、敢えて「足の裏」を組み込んだことがうかがえてきます。
黄昏時の近い寺院のお堂の中で、信を置いた弟子を一人だけ助手として、丸裸にした芳一の「足の裏に筆で文字を書き込む」という行為をどうしても書きたかった。
そこにラフカディオ・ハーンの密かな情熱を感じないでしょうか。
では、この情熱はどういう種類のものであったのか?
それを考えるにあたりましては、川端康成にご登場願うのがてっとりばやいように思えます。
川端康成といえばご存知の通り日本人初のノーベル賞受賞者であり、小学校の国語や社会の時間でもその名前が登場する、国民作家の一人に数えて間違いのない偉大なる文豪です。
その川端康成に「海から帰って」と題された一編があります。
1931年(昭和6年)に発表されたエッセイで、タイトル通り夏の日に海で見たり感じたりした模様を回顧する抒情文になっています。
その夏の海で川端康成の感じたものは何か。
肌という肌がこんがりと小麦に焼けたなかで、決して色を変えない唇、爪、そして足の裏の美しさだというのです。
「伊豆の踊子」や『雪国』の著者の慧眼です。
川端康成はさらに続けます。
「脱がせてみたまえ」じゃないんですよね。
唇と爪はどこに行ったんだと聞きたくなるような足の裏への一途な情熱の傾け具合です。
ここまで書いておいて、秋になって靴下に秘められたその中身への興味がないなんて……。語るに落ちるとはこのことでしょう。
明治に海の彼方から到来して日本の怪しい美を再発見してくれたハーンと、大正から昭和にかけて「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現、世界の人々に深い感銘を与えた」川端康成が見せた足の裏への情熱。それらは非常に似通っています。
そして川端康成が端的に書いているように、両者がそこに感じて執着した感覚は「艶めかしさ」のでしょう。
足の裏を語ったのでしたら、その対称となる部位を語らなければ、片手落ちということになりますが、長くなってしまったので続きは次回で。