文庫本の好きなところは、値段やサイズの手頃なのはもちろんなのですが、解説が充実しているというのも大きいです。
作者以外によるその書籍についての短文ですね。
執筆や掲載状況の説明など成立に関する説明も嬉しいですし、本文でわかりにくい個所の補足、そこからの展望などは参考になります。単純に作者と仲の良い裏話でもすごくお得な気分になれます。
電車の乗り換えのちょっとした合間とか、待ち合わせで少し空いてしまった時間とか、本文を読んでいるときりが悪そうって時に読むにもちょうどよくて重宝するんです。
で、最近そんな解説を読んでおりますと、「椎名誠の本の解説って文体が椎名誠っぽくなる率が高いような気がする」と思えてきたのです。
椎名誠の文体といいますと自ら名付けた「昭和軽薄体」が有名です。
無差別な話題のふくらませに擬声語・擬音語の多用、しゃべり口調をそのまま文字化したような語彙の数々、セルフのボケツッコミ。長い文章でもかなりするすると頭に入ってきます。
こうした文章がかなり幅広い年代の男女に受け容れられてきました。ただ需要があるばかりではなく、どうもこの椎名誠の文章はまねをしたくなる磁場を広げて、多くの人を捕らえてしまっているようなのですね。
普段は懸命に隠していても、それがつい当の椎名誠の本の解説という場所だと、堪えきれずに溢れ出てしまうようなのです。
男女問わず、元編集者も書評家も脳科学者も関係なく、みんな椎名誠調を見事に引きずっています。仮に椎名誠風に書くことが最も適切な解説方法だと考えたのだとしても、何人もの人間がそう思いつくということ自体が、椎名誠の影響力に捕らわれているといえるのではないでしょうか。
さらにもっと強烈に椎名誠の磁場に絡め取られていたのは、大森望の次の「解説」でした。
ほとんど椎名誠が乗り移ったかのような勢いで解説は書かれていき、この調子は最後まで続けられます。
このあたりが他の解説諸氏と異なるのは、SFをメインに据えている翻訳家の大森望がSF短編集である『ねじのかいてん』を任されたからこそといえそうです。
実際、その数年後に出された、やはりSF系短編集『中国の鳥人』の文庫版「解説」でも同じように大森望は椎名誠調を全面に展開していくからです。
自分の土俵だからこその闊達な椎名誠調で、こちらもついぐいぐいと引き込まれてしまいます。けれどもここには、そのうっかり引き込まれそうになるのを留めないといけないことが書かれておりました。
「わたしが日本SFの新刊文庫の初版部数としてイメージする平均値の五倍以上に達する数値が返ってきた」
その直後の「売れる小説はミステリ、売れない小説はSFと呼ぶ」も含めての話となりますが、この『中国の鳥人』の新潮文庫版が発売された1997年頃といいますと、綾辻行人以降のいわゆる「新本格」ミステリブームが順調に勢いを伸ばし、さらに京極夏彦のデビューが拍車を掛けて、清涼院流水によるキャラクター人気が胎動しはじめ、例えば同人誌即売会では大きなスペースが準備されるような、一般的な読者を超えた盛り上がりが形成されつつあった渦中にあり、同時に日本SFがやや苦戦を強いられていた時期だったのです。
大森も同じ解説中でさらに「効率が悪いことに嫌気がさしてSFを書かなくなり、ミステリや冒険小説やファンタジー方面に去っていった作家たちが多かったことが現在の(ジャンルとしての)日本SFの衰亡を招いている」と書いていて、決して予断を許さぬ状況にあったことがうかがえます。
その後、SF関係者の尽力が実を結び、現在のような大きな潮流を起こしてゆくことになるわけですが、その非常に厳しかった時代に、明確に販売数を出せる作家として椎名誠が存在していたというのは注目されるべきでしょう。
もし仮に大森の語る「平均値の五倍以上」という数字が、他の著作でも適用されるとすると、94年に『鉄塔のひと その他の短篇』が単行本刊行、『水域』と『胃袋を買いに。』が文庫化、96年に『みるなの木』、『地下生活者・遠灘鮫原海岸』(文庫版)、97年ではSF作品ばかりを集めた編集本『机の中の渦巻星雲』さらに『アド・バード』が文庫化、という具合にコンスタントに椎名誠のSF作品が大量に書店に並んでいたことがうかがえます。
作品の質はもちろんのことながら作品数と出版部数という点でも、1990年代後半の代表的なSF作家は椎名誠ということになるのではないでしょうか。
そしてシーナワールドと呼ばれる、独特の造語が共通する同じ世界観のうえで、じわじわとくり広げられる日常世界を描く椎名誠のSF文法は、現在の日本SFに影響を根底で与えているように思えます。
それは、つい解説文で椎名誠の文体がにじみ出てしまうのにも似た、静かな浸透力をもって。