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青馬の色は黒か白か

 問題です。青馬の色は次のうちどちらでしょう?

 最近のウマ娘ブームで、現実の競走馬やレースの歴史などに興味を持つ人も増えてきているという話ですね。かくいうこれを書いている私なんかもその一人です。
 実際に競走馬の駆けるレースの圧倒的な迫力はもちろん、そこにまつわる一頭一頭異なる出自来歴を持つ馬たちとそれを取り巻く人々の織りなすドラマ、奥深い話題が汲めども尽きせずに現れてきて調べる手が止まりません。
 それは競走馬を離れて馬一般のことについても同様で、特にこれまで馬に触れた経験といえば中学生の時の野外学習で牧場を訪れた時が唯一、おまけにその時も体重制限で私だけ乗馬体験ができなかったというしょんぼりなものしかない身からすると、どれもが初耳の話ばかりで、以前から馬に接している方でしたら常識なことが、新鮮な驚きと「え、なんで?」という疑問が同時にスクラムを組んでぶつかってきます。
 例えば「青い馬」なんかもその一つでした。

解答1:青馬といったら黒色だろう

 馬の毛はその色合いで分類されるとのことで、JRAこと日本中央競馬会では、鹿毛、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛、栗毛、栃栗毛、白毛の8種類としています。
 これはサイトでも解説されていて、

 拝見すると、「青鹿毛」「青毛」は体毛は黒が基本でやや褐色がかったところがあることもある、逆に黒が名前についている「黒鹿毛」はどちらかというと黒褐色となっていると、つまりは黒い色の割合によって決まるようだというのがわかります。

 青なのに黒?

 と思ってしまいますが、いわれてみますと、確かに、「藍より青し」なんて言います(意味はちょっと違いますが)から青が黒に近しいのは直感的にも納得しやすいですし、日に焼けた人を見て「黒くなったねー」と声を掛けたとしても想定しているのは黒色ではなく濃い褐色なわけで、黒という色に幅を持たせて表現するため青という字が使われるのも納得です。

 ちなみに競走馬ではなく馬一般の繁殖・保護についての調査・研究を行う社団法人日本馬事協会では毛色を14種類としていますが、これは上で挙げた8種類に粕毛、駁毛、月毛、河原毛、佐目毛、薄墨毛の6種類を加えたもので、JRAの区分と矛盾や衝突をするものではありません。
 日本馬事協会は公共の利益に沿うと国から認められた公益社団法人であり、JRAにいたっては農林水産省の外郭団体ですから、この二者が青毛の馬を黒と規定している以上、つまり青色の馬は国の威信を背負って黒色だと断言することができるわけです。

 ところがその国家の権威に真っ向から異なる主張をする勢力があります。

 それが歴史です。

解答2:白色こそが青馬だ

 正月七日宮中の紫宸殿に白馬を牽き入れて天皇に御覧いただき一年の厄を払う行事がかつて催されていました。
 この行事の名前は「白馬の節会」と書いて「あおうまのせちえ」と読みます。

 いやいやと、流石にこれは見過ごせません。直感的になんとなくうなずける青と黒とは話が違います。だいたい青毛は読みはあおのままで、内容として黒色も含むという、いわば解釈の問題でした。ところがこれは白をあおに読み替えまで行う、内面にまで踏み込んだ洗脳行為です。そんなことが、この令和の時代に、法治国家で許されるわけがない。
 けれども、です。なんの気なしにPCの日本語入力で「あおうま」と入力して変換してみるじゃないですか、すると候補に「白馬」の2文字が堂々と待ち構えているんですよ。なんだったら「青馬」よりも先に「白馬」がいたりもします。
 ここで、どうやら「青馬=白馬」の構図が意外なくらいに一般に浸透しているらしいと見せつけられます。

 それでこの節会ですが、元は『礼記』などにある中国の行事からきていて、めでたい動物とされる馬と、一年のはじまりである春を表す色の青を合わせたものが伝わったのが、日本ではいつからか白馬を尊ぶ風潮を受けて馬の色が変わり「白馬の節会」となったところで、ただ名前の読みだけは元のままを残しておいたとされています。

 もっとも、この漢語での青馬についても、考古学者であり医者でもある金関丈夫は「青白雑毛の馬の称だという」(「南は東だった」)としていますし、今年の春までJRAで調教師の勤めについていた小檜山悟は上賀茂神社で白馬の飼育を担当していた神主の発言として、

 青い毛を持った「あおげ」という馬の種類があったのではないかと思います。白い毛は毛の質と光線の加減で淡い青色に見えることがある。「青白くすきとおる」なんて表現をしますよね。あんな感じの毛色の馬がいたのではないでしょうか?

「白馬奏覧神事」

 という説を紹介しています。南方熊楠も『十二支考』の馬の部で同じように書いています。
 結局のところ伝わった時点で青馬がサラブレッドでいうところの青毛に近い髪色だったのか、もとから白色を指したのかは、さっぱりわからないというのが正直なところです。

それぞれ参考にした文章が収録されている書籍です。

 ただ青馬を白馬への書き換えが行われたという点だけは事実としてはっきりしています。
 ところが、その青馬が白馬に変わったのがいつ頃なのかとなると、またわかんないということになります。

 もっとも小倉百人一首にも選ばれている十世紀後半の歌人平兼盛が、

ふる雪に色もかはらで曳くものをたれ青馬と名づけ初めけん

 という歌を残しておりまして(日文研「和歌データベース」の「兼盛集」参照)、白い雪が降る中に紛れそうになっている白馬の場景を見て、白馬はあくまで白馬なのに一体どこのどいつが青馬なんて言い出したんだとその不一致を不思議がっているので、平安中期では既に青馬が白馬を指すことは一般的になっていて、かつその理由が失われていたことがうかがわれます。

 つまり、平安時代以来、青馬というと白馬だというのは習慣づけられてきたのです。それは時の権力者や政府の転変も受け付けなかった歴史の重みとなり現代まで積み重ねられてきました。


 と、そういうわけで、青馬といっても、はたして黒い馬を指すのか白い馬を指すのかは文字だけは決められないというお話でした。
 じゃあ、どうすればいいか?
 まあ、馬の実物を見たらいいんじゃないでしょうか……

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山本楽志
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