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落語この人この噺「時そば」(柳家小三治)
ある寒い冬の夜、流して歩くそばの屋台を止める声。
言われるがままに熱いそばをこしらえると、この声の主の客がひたすら褒めに褒めてくる。
塗り箸じゃなくて割り箸を使っているのが清潔でいい。器もしっかりしていて食べる前から目で楽しませてくれる。ついと持ち上げればいい香りが立ちのぼってくる。ひと口すすればいいダシだ。具のちくわがまたえらく厚く切ってくれている。なによりそばがうまい。コシがあってつるりと喉にすべり込んでいく……
目につくもの、香るもの、味わうもの、すべてを褒めちぎったうえでお会計の場になって、
「細かいものばかりなんで、ちょっと手を出してくれないかい。そいじゃいくよ、ひのふのみのよのいつむななや、今何時だい?」
「九つですね」
「十、十一、十二、十三、十四……」
と十六文のところをまんまと一文ごまかして行ってしまった。
それを遠くから眺めていた別の男が、この手際をうらやんで早速翌日自分も真似てやろうと夕方にくり出したのだが……
ちょっと時期的には早いですが、冷え込みが一気に強まってきましたので、今回はご存知「時そば」を。
寒風吹きすさぶなかで、背中に冷たいものを感じながらも、温かい汁物をおなかに落ち着かせるというのは、これはなんとも贅沢なもので、それを見事な形態模写で聴かせてもらうと、ついつい熱々のそばを食べたくなってきます。
前回の「寿限無」でも少し名前を揚げましたが、数ある落語の噺のうちでも二番目か三番目くらいには有名な演題で、演目名はご存知なくとも「今何時だい?」の掛け合いはかなり広まっているかと思います。
もっとも、その有名なのが仇となって、実際の噺家さんはなにかというとそばを食べる仕種をやってくれと頼まれるので閉口するとはよく聞くところです。
噺家さんの迷惑顔は想像できるところではありますが、達者な演じぶりは何度でも見たく聴きたくなってくるものです。
このそばを食べる所作で印象に残っているのは、先日急逝された人間国宝柳家小三治の一席ですね。
柳家小三治。
昭和14年、東京都新宿区出身。
昭和34年、柳家小さんに弟子入り、前座名小たけ。昭和38年、二つ目に昇進、さん治に改名。昭和44年、多くの先輩を抜いて真打昇進、十代目柳家小三治を襲名。
平成16年芸術選奨文部科学大臣賞、平成17年紫綬褒章、平成26年旭日小綬章をそれぞれ受章。また平成26年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
令和3年、死去。
収録されているCDは、ソニーの「落語名人会」シリーズ37『柳家小三治 13』(SRCL 3579)になります。
これが、今回のテーマと異なりますのであんまり詳しくは申しませんが、同じく収録されている「初天神」も含めまして、非常に小三治らしいメリハリの利いた口演になっています。
とにかく真面目くさった顔でぽろっとおかしなことをいうんですね。
いいかげんなことをいうな。録音を聴いて顔つきがどうしてわかる。そういうお言葉もあるとは思うのですが、そういう声なんです、柳家小三治という人は。
マクラや会話ではない状況説明部分は、少々ぶっきらぼうともとれる口調で語る。これだけでもこちらの弱いところをくすぐられるように無性におかしいんですが、それが一転登場人物の会話となると俄然精彩を放ちはじめる。そのギャップにやられてしまうんです。
この「時そば」ですと二人目の、つまりは失敗する方の男の表情のくるくる変わる様にですね。これまた見てもしないくせにといわれそうですが、本当に声だけで伝わってくるんですよ、これが。
そもそもですが、登場する男はふたりとも、なにがなんでも一文をごまかしてやろう、この一文をやりくりできなければ命が危ない、などというような、そんな切羽詰まったぎりぎりの逆境にいるわけじゃありません。
ただ軽い気持ちで、相手をからかってやろうといたずらを試みて、些細な自己満足を味わおうとしている小悪党なんですね。
だからそば屋との掛け合いはできるだけスマートにこなさないといけないのですが、失敗する方の男は、本人のおっちょこちょいな性分と、それ以上に前の日のうまくやった男とはまるで異なるアクシデントが次から次に降りかかってきて、前提が土台から崩れてきます。
それでもなんとかスマートに、粋にこなしてやろうと、挽回してやろうとがんばればがんばった分だけ裏目に落ち込んでしまう。
「ああ、びっくりした! ちょ、ちょっと湯で薄めてくれ。辛いなんてもんじゃないね、お前ンとこのつゆ」「やっぱりそばは細くないと、たまにあるだろ、うどんみたいに太いやつが……うどんかい、これゃあ。うどんにしたってたいがい太いぜ」「これちくわかい? 後ろが透けて見えるぜ、かんなで削ったんじゃないのか。包丁で切りましたァ? いい腕前だねえ」
意気揚々とやってきたのに、いちいち段取りがだめになっていく様がコミカルで、粋からは程遠い状況になってしまう。本人もそれに薄々気づいているんですが、なかば意地でなんとか自分を奮い起こして頑張ろうとするんですが、それがまた皮肉に空回りしてしまう。しまいには「なんだか情けなくなっちゃったなァ」「やんなっちゃった」とあげる悲鳴では吹き出してしまわざるをえなくなります。
寒い冬の夜、笑いでほかほかとさせてくれる、流石の一席です。
それから、そばを食べる所作なんですが、これは是非とも聴いてびっくりしてもらいたいです。
すする際の音はもちろん、食べながらしゃべる時に本当になにか口のなかに頬張っているように声のくぐもる様子は驚嘆で、それでいて汚く聞こえない演じぶりは本当に至芸という言葉を思わせます。
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![山本楽志](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/30222536/profile_597b8913eaa6ce3b7c19949e8e5b4b95.jpg?width=600&crop=1:1,smart)