何年越し?顔も知らないクライアントからもらった初めての執筆評価。
ある作家さんの著書で、
「ぽってりとした皿」とか、
「ゆるりと」とか、
感動を「感動」とか、
作家ならそんな表現をするなと編集長に言われた
という類の文言を目にしたことがあって
それに酷く共感した。
というか、自分の表現を肯定してくれる人もいるかもしれないと
安心したことがある。
こういうとまるで「そうなの私才能あるの」みたいなメッセージになるなと
結局カッコ悪いところに収まるのが山田らしい。
とにかく、それでも私は、その作家さんと編集長と言われるその方を
勝手に師と仰ぎながら
それでもそこに向かうことなく
なんとか自分自身の文章を自分の外に出してみたい
そんな風に思ってる中年。
やがて40代。
そんな山田が、書くことに本格的に(この「本格的」については前投稿にて)取り組もうと思い立ち
現職の執筆担当だけでなくて自ら仕事を取りに行くと意気込んだ1ヶ月ほど前。
勇み足で案件に応募しまくっても
受注業界の現状やら自分の実力やらの現実もわかり始めてきた頃。
ある夜、いつものように子供を雑に寝かしつけた後で隠しもっていた自分用おやつを頂きながら新着案件を確認すると
その募集はあった。
ゼロLDK一軒家コラム。
叙情的な文体で。
、、、、何これめっちゃ書きたい。
はい、速攻で応募。
夜のテンションで指定された記事名とテーマ3つをあげ、
求められてもいないのに内容構成まで押し込む。
だってもうスラスラ書けたから。
これはもう山田の実力の問題ではなく、完全に相性の問題。
で、翌朝すぐに契約成立のお返事を頂いた。
実は、校了後の評価のお言葉より この契約一発目のお返事が
それはもうめちゃくちゃに嬉しかった。
はい、嬉しかったを嬉しかったと書く。
これが山田の現在地。
これまで、自分のフィールドで言葉を広げることはあっても、
そこでたまに人に褒められたりしても、
それはきっと知人だから、それはきっと褒めないといけない場面でもあるから。
いくら書いても自己満足をさらして周囲に付き合わせてるだけ。
そう思っていた。
だから、顔も名前も知らない人物として言葉だけを
顔も名前も知らない人たちに投げかけてみたかった。
今回の担当さんのコメントは、ともすればビジネスライクなリップサービスの一つだったかもしれない。
それでも嬉しいもんは嬉しい。
ここはもう何の裏も読まず、ひねくれること一切なく
少女山田で真っ直ぐに受け取る。
そんな、10代にも満たない頃の気持ちを呼び起こしてくれるのが
山田にとっての文章を書くということ。
そのはじまりは小学生の時のがんばりノート(家庭学習帳)に書いた
何編もの詩だったけど。
その時はとにかく、ちょうちょをちょうちょと書かず、
みどりをみどりと書かず、
視覚情報や心情を いちいち何かのことばで見立てては
自分が経験するすべてのことを わざわざ名付けた気にでもなるような作業にひたすら夢中になった。
あの頃の山田がうれしいを言い表すならどんな風になるのだろう。
ということで、
山田の書くものの大多数は あの頃だって今だって
誰のためにもならないもの確定で
完全に自分のための書く作業。
だから大それたことは決して言えないのだけど、
もしかすると、山田の言葉が誰かに肯定感を生んだり、抑圧されたものへの解放を助けたりすることもあるかもしれない。
それが、その人の再起の物語の一編につながりでもしたら。震える。
そんな下心with棚ぼたを抱く卑(いや)しさが山田の書く世界。
結局山田はそんな書き方しかできないが
そんな書き方を これからも続けてみようか、
なんて 始めたばかりの奴がちょっとたそがれてるところがまたカッコ悪い。
これが山田の現在地。
それでは、また。
(クールなフリした天邪鬼ですが、いいねは死ぬほど嬉しいです。
未熟な乱文、お読み頂きありがとうございました。)
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