田名網敬一展に行ってきた
凄いぞ
田名網敬一の1960年代から2024年の作品まで500点を超える作品が並ぶ大規模個展。圧巻の一言。
サイケデリックで、ポップで、グロテスクで、過激で、悪趣味なのだけど、全体をこうして眺めてみると、とても記号的にみえる。
男女を問わずたくさんのヌードが登場するのだけれど、生々しさや欲情は感じさせず。田名網敬一は「理」の人だったのかなと、改めて思った。
戦争抜きには語れない人
田名網敬一は1936年東京京橋生まれ。敗戦は9歳、16歳の時にアメリカ占領統治が終わり、「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのは1956年。彼が20歳の時になる。
1956年に武蔵野美術大学に入学した田名網は、1957年に第7回日宣美展で特選を受賞。デザイナーとしてのキャリアがはじまる。
大量のマリリンモンロー、大量のアメリカンポップなポスターが個展会場に並んでいる。当時の最先端だったアニメーションも手掛けている。
彼にとってのアメリカは、殺されるかもしれない恐怖と、同時に、気が遠くなるような豊かさへの憧れとの両方があったのかもしれないと感じた。
とっても自由な人だ
1980年代に入り、絵に「東洋」が入ってくる。常盤松、象。また、立体へと拡大していく。2000年頃からはコラボレーションへと活動範囲が広がる。
赤塚不二夫作品とのコラボで”とてつもなく凄い”秘密のあっこちゃんが展示されています。コラボは国内外のブランドとも行われ、”とてつもなく凄い”バービー人形とか、サーフボードなんかも展示されている。
コロナで予定が白紙状態になった時に、ピカソの絵を模写しはじめ、ピカソとコラボした作品を作ってしまうほどの人。とても自由。
おすすめはナイトミュージアム、1.4キロの図録はマストバイ
彼のキーアイコンはいくつかあるが、代表的なものの1つが「金魚」
その後、金魚は1970年代には光の明滅(フリッカー)と、2000年代には渋谷の街を歩く女子高生たちの姿がオーバーラップし、様々に変異変容しつづける。
今回の大規模個展でも、美術館入り口に大きなバルーン金魚が設置されている。金曜・土曜のナイトミュージアムの日には、夕方になると金魚の内側の明りがともるので、このタイミングで行くのがおすすめ。
もう一つのおすすめは図録。
416ページ、重さ1.4キロ、識者評論、主要展覧会歴、文献他、これでもかと情報満載、英訳付き。読みごたえ、見ごたえ十分の価値ある図録。
脚を棒にして広い展示会場を回っても見落としが必ずあるはず。家に帰って図録を眺め、評論を読んで、田名網を何度も味わうことうけあい。