本を読む理由
読書がもたらす対人関係への影響
読書とは、孤独な行為です。一冊の本を手に取り、自分の時間を使い、他者の言葉や世界観に没頭する。その過程で得られるのは、他者の目を借りて、自分自身を見るための新しい視点です。
僕の考えでは、誰しもが人生の中で悲しい思いや辛い経験を避けられないものの、それらの感情や悩みの根本には、共通する要素があると感じます。僕たちは人間という生物であり、こころの発達における基本的な部分は時代や個人を超えて似通っているからです。
たとえば、読書の中で登場人物が抱える悩みや苦しみに触れると、自分自身が抱えている問題と完全に一致しないとしても、その中の一部――20%でも――共感できる部分があるとします。この20%の共感が生まれると、ただ心が軽くなるだけでなく、その共感部分に該当する悩みが「解決されやすい」状態になる可能性があります。
すると、全体の悩みの量が80%前後にまで減少するだけでなく、残った80%の悩み部分にも「解決されやすい」という効果が波及するのです。これにより、読書を通じた共感は、自分自身の悩み全体の負担を和らげ、解決への道筋を作る助けになると言えるでしょう。
① 本の中の世界が好きだから、僕は本を読む
ラノベ、漫画、学問書(英語・社会学など)、将棋の本、自己啓発書、イラスト集……。ジャンルを問わず、僕は本を読みます。でも、なぜ読書をするのか?と改めて考えてみると、結局のところ僕は、本の中に描かれている「世界」が好きなんだな、と思います。
本を読む中で感じるのは、純粋な「楽しさ」です。しかしその一方で、読書をしている時に、何か「充実している」と感じることは、意外と少ないのです。
なぜなら、充実感というのは、ただ楽しいだけでは得られないものだからです。それは、楽しさのその先――それをどのように自分の人生や考え方に活かしているかによって得られる、もっと深い感覚だと僕は考えています。
本の中で味わう楽しさ。そして、その楽しさが後に僕の人生にどう繋がっていくのか――そんなことを考えながら、本を手に取るのが好きなんだと思います。
②. 僕の読書に対する考え
本の中に描かれる世界は、著者が読者に語りかけるために整えられたものです。そこでは、誰も割り込んできません。そのため、僕は安心してその世界に没頭することができます。
一方で、現実の人間関係には、予想外の干渉や意見の食い違いがつきものです。僕は、自分でも注意しているつもりですが、やはり「話を聞けない人」に苛立ってしまうことがあります。
だからこそ、僕は読書を通じて、他人の考えを知り、自分の中で整理するというプロセスを大事にしています。それは、現実の対人関係では味わえない、ある種の純粋な「対話の形」なのです。
③. 人の話は好きだけど、人はあまり好きじゃない
僕は、人の経験や解釈、その人ならではの「人生の色づけの仕方」にとても興味を持っています。つまり、その人の「主観的な世界」を覗き見ることが好きなんです。
例えば、本には書き手の主観が表現されています。それは、読者である僕にとって、新しい視点や感覚を提供してくれるもの。けれども、実際の人間関係になると少し話が違ってきます。僕は、他人の話を聞くことは好きなのに、他人そのものが少し苦手だと感じることがあります。
④. 人が苦手――それでも「話」に興味を持つ理由
僕は、自分自身をよく「自我が強いタイプの人間」と感じています。そのため、自己分析も常に内観的な視点だけでなく、他者や社会との繋がりを意識した形で行っています。具体的には、自分という主観的な尺度、他者という客観的な尺度、そしてその中間にある「言葉」や「数字」といった共有可能な尺度を用いて、自分を見つめる癖があります。
この考え方には、ひとつの背景があります。それは、「自分一人では何も作り上げられない」という認識です。僕たちが享受しているこの物質的な豊かさや文化的な遺産――それは、歴史を経て、多くの人々の信念や努力によって築かれてきたものです。
にもかかわらず、「あたかも自分一人の力で何かを成し遂げた」と主張する態度に、僕は明確な違和感を覚えます。それが、「話を聞かない人」や「自分中心がすぎる、その人の、ただの考えを押し通す人」に苛立ちを感じる理由のひとつです。そして、正直に言えば、僕自身にもそうした側面があることを否定できません。
だからこそ、自分の中にも存在する「愚かさ」を認識しつつ、他人の話や歴史を知らない、あるいは聞こうとしない姿勢に対して、強い苦手意識を抱いてしまうのです。
具体例:AさんとBさんの話
次のような場面を想像してください。
質問者がAさんとBさんの二人に、「あなたにとって大切なものは何ですか?」と尋ねます。順番に、まずAさんが自分の考えを話し、次にBさんが話す、というルールが設定されています。
でも、Aさんが話している途中で、Bさんが「なんだそれ。気色悪い」と大声で割り込んできたとします。こうなると、質問者が「順番を守ってください」と注意したとしても、Bさんが聞き入れるとは限りません。
これは、他人の「話の世界」に土足で踏み込む行為です。そして、僕が他人と接する際に苦手意識を持つのは、こうした「話を聞けない態度」がある時です。
最後に
僕の場合、個人で学びを進める中で共感できる友人が周囲にいない時期もありました。それでも、読書が私に深い洞察を与えてくれたことに感謝しています。その孤独を感じる瞬間もあったものの、読書を通じて得られた知識や思考は、今の自分を作り上げるうえで欠かせない要素となりました。
そして、読書は単なる知識の積み重ねではありません。それは、心の中で起きる変化や、人との繋がり方への気づきをもたらすものです。例えば、過去の自分に向き合う中で、読書はその手助けとなり、時には傷ついた心を癒し、少しずつ自分を大切にする方法を学ぶ手がかりとなってくれました。
「だからこそ、読書はこれからも僕にとって一歩を踏み出すための『窓口』であり続けます。どんなに辛い時でも、心の中に光を灯し、迷うことなく前へ進む力を与えてくれる存在であると、心から確信しています。
✒.)あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。お疲れさまでした。
こんにちは、こんばんは! もしくは、おはようございます!
じーぺんです。
今回の記事は、エッセイ。ChatGPTに構成編集と調整をお願いして書き上げたもので、私の個性とChatGPTの担当編集によって、作品が磨かれました。
ChatGPTには、これまで、16キャラ以上のキャラ設定をしてもらった記事経験や、今まで私が上げた記事の7割は書評させているので。今回は、担当編集としてChatGPTに作品の完成を手伝ってもらいました!
だいたい3時間ぐらい。20:00頃に初めて、気づけば22:45回ってました。
あとがきに関しましては、担当編集はついていないですが、これも読んでいただく予定です、いやぁ長かった!! けど、完成した!! あとは投稿するだけだぁ!
……私が進行中の仕事、洞察屋としての目標も、この作品の中にしっかりと書かせていただいています。というか、この仕事自体が、私を丸ごと反映したものです。良いところも、悪いところもですね。
これが読まれているとき、どんなコメントや反応が届くのか、正直分かりませんが、私の声が一人でも多くの人に届いていれば、嬉しい限りです。
ちなみにこれを書いている日付は、2024.12.15(日)。
今日は仮面ライダーガヴ見逃したけど、次の放送はクリスマス前。
見逃さないように、しっかり早起きして、平日のnote投稿を続けていきます。これも私の仕事の一環なので()
それでは、皆さん、また来週お会いしましょう!
エッセイ関係は……また書きたくなったら書きます!