日本語一人称問題その1:しっくりこない。
一人称がしっくりこない
実はわたしは、「わたし」という一人称がこの上なく苦手である。
「わたしは」と話し出すと、確かに己の声で発言していて言葉選びも己のものなのに、己でないような、そんな落ち着かないもぞもぞとした違和感に襲われる。
発言した内容の所有権が自分から離れていってしまうような、そんな違和感。……がんばって形容するとこんな感じ。
でも、社会的な場でいきなり「自分」とか「己」とか、況して「拙者」とか言い出すわけにもいかない。社会的な場とはすなわち、リアルの日常生活全般のことだ。そのため、小さくはない違和感を毎日のように感じながら、それを押し殺しガン無視して生きる日々である。
生きづらいですと訴えたい記事じゃない
ここまでつらつらと日常における違和感を書いてきたから、「生きづらいという訴えか?」と思われそうだ。
でも違う(そういった感覚はもっと詩的に、絵的に、論理的に、吐き出したいし)。自分がここで書きたかったのは、「ネットの海だからこそ許される縛られなさ」を最大限活用していきたいっていう意思表示だ。
一人称がブレブレだったり、いきなり「己が」とか言い出したりしても許される。否、「許されるかどうか」はぼくに判断する権限が無いからわからないけど、少なくとも対面でぎょっとされる心配はない。
違和感を抱えながら「わたしは」と発言しなくてもいい。書き殴った自分の言葉を、ちゃんと自分のものとして所有できる。呼吸が少しだけしやすくなる。
実生活から❝ほんの少し❞解放された場所〈インターネット〉
ネットが浸透しきった現代社会で、「誰でも簡単に発信できるが故の恐ろしさ」を日々実感しながら生活している。けれどバーチャル世界で生きてみてこんな思わぬ効能に気付いた時から、ぼくは、僅かながらも確実に、救われている。
そう、「ぼく」だって存在していいんだ。
ネットという名の大海原で、鎖から解き放たれて自由になったぼくは、魚になってクジラになって、時には海鳥にさえもなって……。どこまでもたゆたう命になる。
2020/9/27 改題。