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島根県安来市 民藝そば屋の割子そばと天ぷら

足立美術館の話は前回で一旦終了。今回はシャトルバスで安来駅前へ戻った所から始める。美術館の話ではないけれど、たまにはそういう回があってもいいでしょう。いいよね。ダメと言われても書くがな。

さて時刻はちょうど昼飯時、井之頭五郎よろしく腹が減った私は観光案内所前で貰ったガイドとにらめっこ。私の腹は今、何腹なのか思案していると、そば屋の文字が目に入る。出雲そばといえば1000万円8件でお手軽独占、という訳でそばを食べることにしたのである。

その店の看板には『民藝そば』と書かれていました。「民藝そば?」とはてなマークを浮かべながら縄暖簾を潜ると民藝箪笥に李朝風の座卓。「ああ、こういうことか」と独り合点してカウンターに。割子そばを4枚(うち2枚はとろろ乗せ)と天ぷらを注文し、茹で上がるまでの時間は興味深く店内を眺めていた。カレンダーのフォントは芹沢銈介か棟方志功あたりを思わせるお馴染みの民藝フォント、微かにぺとつくプラスチック製のファイルに挟まれていたのは河井寛次郎が書いたそばについての随筆。「こいつぁ筋金入りだネ」とある意味関心させられるラインナップである。

ふと、カウンターの向こう側でコンロにかけられた天ぷら鍋が目に留まった。それは随分と年季が入り、往年は銀色に輝いていたと思われるその肌はすっかりと褐色に油焼けしていた。心の中で「お前さん、一体どれだけのお客に天ぷらを食わしてきたんだい?」と問いかけると「多すぎて覚えてねえよ!」と返ってきたような気がした。私は素面である、残念ながら。午後の予定がなかったら天ぷらを肴に昼から冷酒を呷ってたんだがなあ。

やがてそばと天ぷらがやってきた。そばはとろろ入りと無しがそれぞれ2枚ずつ、2段に重ねられた朱漆色の割子に入っていた。こうやって味の異なる料理が現れたら、プレーンな方から箸をつけるのが私の流儀である。そば徳利から割子の中へつゆを注ぎ、ハムスターの如く勢いよく頬張るとこれがしみじみ美味い。もしかしたら店内の雰囲気が味に上乗せされているのかもしれない。

美味い美味いと箸が止まらず、気づいたら目の前の割子は4枚とも空になっていた。女将さんが出してくれた、いかにも民藝陶器然とした湯呑茶碗の中のそば湯を飲みながら、今度安来に来たらまたここにそばを食いに来ようと心に決めた。

そば湯を飲み終えたら、長居は野暮と言わんばかりにさっさと会計を済ませて店を後にする。別に粋がった訳ではなく、単に午後の予定まであまり時間が無かっただけなのだが。

去り際に店内を再度見回すと、民藝とはそういう名前のブランドなのだなと感ぜられた。誰かが「無印良品とは現代の民藝品である」と言っていたが、無印良品が無印良品というブランドになっているのと同じ構図である。

そういえば印が無い、と言えば河井寛次郎もまた作品に銘を入れる事を拒み、一職人たらんとした陶芸家である。しかし普通の職人の生誕の地がガイドマップに載るようなことはあり得ない。もしも彼が現代の安来に現れたら、生誕の地に建てられた碑を引っこ抜こうとするのではなかろうか。

あのそば屋の天ぷら鍋は誰からも褒められることなく、見向きもされず、やがて捨てられるのだろう。それでも捨てられるその日まで文句1つ言う事もなく、実直に自分の仕事をこなすのだ。店を訪れる、折り紙付きの民藝品ばかり誉めそやす愛好家連の口に入る天ぷらを揚げ続けながら。

職人というのは、作品に銘を入れないとか人間国宝に推薦されても辞退するとか、そういうパフォーマンスなんかではなく、あの天ぷら鍋のように生きることなのではないかと私は思うのである。

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