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他人の夢から醒めた話。

今日は「モチベーション革命」という本を読んだのだが、その中で「偏愛を極めることができればそれがお金を生み出す」というようなことが書いてあった。うーん、私の偏愛とは何だろうかと考えてみたのだが、そのひとつに健全な男子なら誰しもが持つであろう性欲について、の偏愛はどうなのだろうか、と思いいたることになった。AVはいわば他人の性癖を見ているわけだから、同じような性癖の人に向けて自分のおすすめを発信してみようというわけである。思い立ったが吉日ということで、早速家に帰って以前いいなと思ったものを漁っていたのだが、その最中になぜか興奮できない自分がいた。それはまるで、中学3年間を捧げたモンスターハンターを1年ぶりにプレイしたときのあの感覚のようであった。大人になるとゲームから卒業する時が来る、とよく言うが、私はAVからも卒業する時が来たのかもしれないと思った。

そもそも私は5~6年前からオナニーに対して良いイメージを抱いていなかった。また、その時の私は自分に対しても良いセルフイメージを持てていなかった。そこで「オナニー 悪影響」とかそういう言葉で検索をかけてみたところ、身長が伸びなくなるとか免疫が弱るだとかいろいろな影響があるということが述べられており軽い絶望を覚えた。そしてその流れで「オナ禁」というものに出会うことになったのである。当時くそ丸という人のブログを読み漁り、またオナ禁効果の記録というTwitter上のアカウント(@ban_bation)も読み漁ることでオナ禁に対しての様々な効果を目の当たりにしていった。その中でも特に気になった事柄はどうやらオナ禁をすると「モテる」らしいということ。それまで彼女いない歴=年齢だった私はそのモテ効果に関して強い関心を抱き、自分もモテたいと思ってオナ禁を始めようと決意したのである。

それから高校までほぼ毎日のように続けていたオナニーとはおさらばしようと思い、決死の思いで集めた特選抜きフォルダも断腸の思いで削除した。(今思い返せば残しておいて、これを自分のかつての偏愛として公開すればよかったのかもしれない。)通称ゾンビリセットというらしいのだが、最後にマジでこれ以上出来ないというくらいオナニーをして次の日からはやめるという方法で最後のオナニーの日を迎え、私の禁欲生活はスタートを切った。

かに見えたのだが、そこはやはり人間というもので最初の1年はなかなかに静まらない自分の性欲と戦い続けた。これが最後というセリフも何度吐いたか分からないほどだった。それが数年間続いた。(詳細は今回は省く)

そして今日、振り返ってみれば映像を見て1人でする行為からはとうに卒業していて、彼女といい関係を築いている自分がいる。四苦八苦した間に3人の彼女もできた。やっとここまで来たのかという思いである。

モテ効果があったかどうか、といえば確かにあった。だが僕の場合それは酒池肉林のごとく華々しいものではなく、好きだと思った人と付き合えるとか、気になってる人とデートにすんなりと行けるくらいのものだった。でもそれくらいで十分だったと思う。

確かにAVを見ていれば乱交やスワッピングなど、複数人と交わる男の夢が描かれている。自分もそういうことがしたいと思っている時期はあった。だが、快楽が人を幸せにしてくれるとは限らない。それを本当に成し遂げたいなら成し遂げればいいが、虚構とはいえいろいろな女性と交わる夢を見ても自己肯定にはつながらなかった私のように「快楽」=「幸福」とは呼べない。そしてそれは自分で考えたものではなく、他者の想像の産物で自分の夢を規定したが故の不幸なのだろうと思う。

私は6年かかって、他人の描いた性癖の中から抜け出すことができた。それは中学高校とオナニーに費やしてきた時間と同じだけの時間がかかったということでもある。それだけ依存というのは怖いと思うし、同時にいまやっとスタートラインに戻ってこれたような気がしている。

いろいろと脱線した話で申し訳ないが、いま思ったことを感じたままにつらつらと述べてみた。最後まで私事で申し訳ないが、今月はこの体験から「依存症」やそれを応用したビジネス、依存症からの脱却なんかについての本を読んで、自分の経験と紐づけたいと思う。また、習慣も言ってしまえば依存のようなものだから、良い習慣をつけることについてもこれらを応用して考えてみたい。また何か良い情報があればアウトプットしたいと思う。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

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