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#3 あの瞬間腕時計をみた。

1985年8月12日。
18時30分過ぎ。
お盆で部活が休みだったので、暇を持て余して土手を走ることにした。

当時は平手打ちの応酬をするくらい仲が悪かった弟(中2)が、誰にも頼まれていないのに自転車に乗って伴走してくれた。
なぜ着いてきてくれたのか、本当に未だに謎だ。おそらく本人は忘れているだろう。

地元の一級河川の土手を西陽を浴びながら長い影と走る。弟はママチャリで横を走る。特に会話もなく。

しばらく走っていると、不意に胸の奥がもやもやざわざわして、なんともいえない感覚を覚えた。
ちょうど町で唯一の総合病院の白い壁が視界に入った。
お盆だし
病院のそばだからかな…

なんとなく腕時計に目をやった。
長い針が11と12のちょうど真ん中あたり。
18時57分頃。

そこから10分ほど走って
帰宅したのは19時過ぎ。
さっきのもやもやざわざわのことも忘れ、夕飯を食べながら「クイズ100人に聞きました」を見ていた。(あの日は月曜日だった…)

「ある、ある、ある…」というギャラリーの声と9分割されたモニター画面の前で肘をつく関口さんの姿が、急にニュース速報に変わった。

羽田発伊丹行きの日航機が消息を断った…

それ以降、どの局も報道番組に変更となった。
報道局の慌ただしい様子を背景に原稿を読み上げるアナウンサー。

それは深夜まで続き、月曜深夜のお楽しみだった中島みゆきのオールナイトニッポンも報道特番に変更となり、おぼろげな記憶ではアナウンサーが搭乗者の名前を読み上げていたような気がする。

その夜はなんだか怖くなって、電気をつけっぱなしで部屋を明るくして眠りについた。

翌朝から、ワイドショーは日航機墜落事故一色。
墜落現場の特定からの中継
救助現場からの生存者発見
テレビ画面は今でも鮮明に思い出せる。

ある時、フライトレコーダーのやり取りが文字起こしされていたものを読んでいた。

読み進めて愕然。
あの日、私が腕時計をみた時間とほぼ重なることに気づいた。

搭乗者に親戚も知人もいないけど、忘れられない事故。

あの時のもやもやざわざわは何だったのか
何かをキャッチしたのか
答えを求める必要もないけど

恐怖と無念の中(そんな言葉では表現しきれないし、しちゃいけないと思うが表現する言葉が見つからない)
最後の最後までなんとかしようと闘ったクルー
家族へ遺書をしたためる乗客

御巣鷹の中腹に520人の尊い命、かけがえのない命が散ったことを忘れずにいようと思っている。
自分が携わる安全の注視を続けよう。

合掌。


今年で39年。
私の周りも、この事故以降に生まれた、幼くてあまり覚えていないという人の割合が増えた。
飛行機は時々利用しているけど、
今年は年始から航空機事故発生からの、トラブル報道が増えた気がして、もやもやざわざわするので夏休みは飛行機利用せずに小旅行。


【印象に残る書籍・作品】
山崎豊子「沈まぬ太陽」
横山秀夫「クライマーズ・ハイ」:NHKドラマがおすすめ
飯塚訓「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」
※当時の群馬県上野村村長・黒沢丈夫氏も印象深い方だった。


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