#39 【追記あり】拳と祈りー袴田巌の生涯ー
拳と祈りー袴田巌の生涯ー
横浜シネマリンでみてきた。
平日14時。
サービスデーというのも手伝って
102席の7-8割りが埋まっていた。
ナレーションなし
BGMも最小限
観る者にすべてをゆだねている。
袴田さんは歩く
2014年の釈放後
はじめは畳の上を
しだいに歩く範囲は外へと拡がりをみせる。
若き日の記憶を辿り
柏手を打ち礼をする
目の前にあるのは
真四角で無機質な蔦の絡まるコンクリートの建物
袴田さんがボクシングを始めた場所だった。
袴田さんにとっての聖地。
袴田さんは
ジュースや菓子パンを頬張る。
毎日頬張る。
喪った時間を味わっているかのよう。
訪問医が血糖値の高さを姉のひで子さんに告げる。
「いいのっ!」と言い切りカラカラと笑う。
自由にさせることが一番だと。
拘禁症状についても、
自由にさせることが一番の治療だと。
ひで子さんは
いつも笑っている。
「凛としたひと」という表現は
ひで子さんそのものだ。
何にも屈しない。
迎合しない。
信じる強さとカラカラと笑う明るさが
再審という重い扉に一筋の光を届け
亀裂を生み、こじ開けた。
映画の中で
要所要所に
当時の取り調べの音声が流れる
予断
偏見
恫喝
聞いていて胸糞悪くなる声と言葉。
調書には
「ボクサー崩れ」という記載があったそうだ。
カッチーーーンとくる(怒)
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袴田さんの無実を信じて支援に奔走するボクシング関係者
日本のボクシング関係者、新旧の歴代世界チャンピオンが後楽園ホールのリング上に集結し訴える。
後楽園ホールは
ボクシングの聖地。
「やだー!あんなのただの殴り合いじゃない!」
当時の親しい同僚から言われた言葉。
私は脳内でこの人を何度もグーパンチした。
試合だけを切り取れば、確かにそう見えるが…
ロードワーク
シャドウボクシング
ロープワーク(なわとび)
サンドバッグ打ち
日々の地道な練習の繰り返し。
ただイキりたいだけの人間は大概この地道な練習の段階で去っていく。
試合が決まってから
リングに上がるまで
心身を削って削って
これ以上ないほど感覚を研ぎ澄ませて
リングに上がる。
ただの殴り合いなんかじゃない。
一度ロープをくくれば
試合が終わるまで戻れない。
選択肢は4つ。
勝つか
負けるか
タオルが入るか
倒れるか
ファイトマネーだけで食べていけるのは
世界チャンピオン、それも防衛ができればの話。
他のプロスポーツと比しても圧倒的に割に合わないと言われている。
袴田さんが現役ボクサーだったのは
1960年頃。
1952年に白井義男が日本初の世界チャンピオンとしてフライ級(50.802kg以下)の頂点に立った時は戦後の復興という時代背景もあり、熱狂したと言われている。(本や雑誌で得た知識)
熱を帯びていた時代に
袴田さんもリングに立っていた。
袴田さんのボクシングスタイルは「ブルファイター」
打たれても尚前進
前のめりで打ち合う姿が闘牛の雄牛に例えられているのが「ブルファイター」。
いくらガードを固めても、ダメージは計り知れない。
そのスタイルで年間19試合。
現代にはあり得ない話。
年間19試合という記録は2023年時点でも破られていない。(月に2試合のペースなんて信じられない…)
真のタフネス。
釈放されて自宅に戻り
自室の畳の上を歩く
家の中を歩く
家を出て歩き始める
浜松の街を歩く
川沿いの道はかつてのロードワークのコース(この時は深夜の帰宅)
私には
袴田さんがロードワークをしているように見える。
今も闘っている
来たる試合に備えているかのようだ。
芯の炎は消えていない
翻って
拷問まがいの取り調べ
証拠の捏造
再審でも死刑を求刑する検察
検事総長の談話
人の人生
人の尊厳
冒涜すること勿れ
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