映画二本立て

今日は『ナミビアの砂漠』(山中瑶子)と『Cloud クラウド』(黒沢清)をハシゴする。

まず『ナミビアの砂漠』。

やたらと皆みているので気になっていた。
映画館も満席。熱気に期待高まる。

総じて『月曜日のユカ』的な乾いたヌーベルバーグの質感を連想した。

しかしヌーベルバーグのディテールを見出そうという態度はそもそもこの映画に「今っぽさがあるはず」という先入観が多分に影響しているやもしれず、あんまり自信がない。

どこの界隈にも自分の居場所がない、という疎外感はよく分かるのだが、設定の蓋然性がイマイチぴんとこない。

例えばなぜ21歳なのだろう? 子どものいる女性(カップル)に対するコンプレックスが取り上げられるが、その歳ではそれほど切実ではないように思う。僕はてっきり20代後半なのかと思っていた。
(なんとなく似ていると聞いて直前にみた『わたしは最悪。』(ヨアキム・トリアー)はそのへん合理的に設定されていた)

ともあれ、一人目の男(寛一郎)はよかった。
長い手足を縮こませ、土下座にも見えるうずくまり方。あのみっともなさが滑稽でいい。失礼ながらこれまで「佐藤浩市の息子」としてしか見ていなかったので、今後の出演作に注目したい。

唐田えりかもよかったのだが、ちょっと中途半端に見える。男たちに依存しながら男たちの認識と言動が全部ズレているという疎外感の地獄を唐田えりかが救ってくれるのか、と思いきやそういう訳でもなかった。

結論としてはいろんな「今っぽいもの(=ホスト遊び、セフレ、メンタルヘルス、シスターフッド、なとなど)」にいっちょ噛みしているものの、全てが匂わせの範疇を出ていないように思う。その点物足りなく感じた。
若者にこれだけウケている(らしい)要因が最後まで掴めず。リアルタイムのヌーベルバーグがウケたのと同じような構図なのかと思うが、現代社会にヌーベルバーグは別に新しくも切実でもないじゃないかと思うし。わからないのは自分がジジイになったからなのかもしれず、一抹の寂しさも感じる。これからSNSで感想をリサーチしてみる。


2本目『Cloud クラウド』

面白い!構図、ライティング格好いい。銃声や銃弾もリアル。俳優も全員いい。
が、これ何の映画?というとわからない。
まだ説明ができない。
以下公式HPから引用

世間から忌み嫌われる“転売ヤー”として真面目に働く主人公・吉井。彼が知らず知らずのうちにバラまいた憎悪の粒はネット社会の闇を吸って成長し、どす黒い“集団狂気”へとエスカレートしてゆく。誹謗中傷、フェイクニュース――悪意のスパイラルによって拡がった憎悪は、実体をもった不特定多数の集団へと姿を変え、暴走をはじめる。やがて彼らがはじめた“狩りゲーム”の標的となった吉井の「日常」は、急速に破壊されていく……。

主人公・吉井を務めるのは、日本映画界を牽引する俳優・菅田将暉。吉井の周囲に集う人物を古川琴音、奥平大兼、岡山天音、荒川良々、窪田正孝ら豪華俳優陣が演じている。 監督は『スパイの妻』で第77回ベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞した黒沢清。生き物のように蠢く風や揺らぐ照明、ぞくりと刺さるセリフ、雰囲気抜群の廃工場――前半はひたひたと冷徹なサスペンス、後半はソリッドで乾いたガンアクションと、劇中でジャンルが転換する斬新な構成で観客を呑み込んでゆく。インターネットを経由する“実体のない”サービスの名を冠した映画『Cloud クラウド』。

“誰もが標的になりうる”見えない悪意と隣り合わせの“いま”ここにある恐さを描く本作が、現代社会の混沌を撃ち抜く。

https://cloud-movie.com/

「“誰もが標的になりうる”見えない悪意と隣り合わせの“いま”ここにある恐さを描く」のつもりで観に行くと意想外のオモシロ映画だった。
不条理な暴力劇にファニーゲーム(ハネケ)などを連想するも予想外の急展開であった。

菅田将暉総受け。出会う男すべて狂わせるボーイ。

古川琴音も面白かったなー。菅田将暉が縛られているところに声をかけるセリフなど、素直に笑える。

全体的な笑いのベクトルに表裏一体のサスペンスの恐怖はあったと思う。
とにかく力技で強制的に自分が運ばれていく喜びがある。当たり前だが映画は一度始まってしまえば終わりまで止まらないのである。自分では止めることが出来ない。それは小説には出来ない。映画っておもしれーな。

数か月ぶりにやっと映画を観られた。それがとてもよかった。


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