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大工のトヨさん 自己紹介 第2シリーズ

専門学校を卒業して、4月から大工さんの弟子入り
最初の頃は、何をしてよいのか 何ができるのか 何をどうすればよいのか
わかりません。 分からないことだらけでした。。。。

今から26年前は、まだ、プレカット工法は普及してませんので 人の手で
木材を 自動カンナ加工機に通して 木材を加工したりしていましたよ
加工機に 木材を加工をするのに 2人は必要なので
まず最初に 行った仕事が 加工機の受け方係でした

加工機から出てきた木材を受け取り 加工機に入れる側の人に渡す作業です
1番大変な作業です
そこで、叱られたことがあります。
木材を置くのにも 並べるにも 木の向きにも 気を使うことなんですね
最初から やさしく接してるのは 3か月まででした

大工さんは、身なり 言葉使い、立ち振る舞い、上下関係、歩き方 
時間の使い方 それを 弟子の頃は 教えられました

逃げたい 辞めたい 大工なんか と 思いながら 仕事をしていました
ある日 現場を見に軽トラックで移動してた時に 
親方から トヨ!!
トヨ) はい!
親) お前は、5年くらいは辞めさせんから! と
トヨ) ?はい、わかりました。 
*心の中では、えっ? もうやめようと思っていたのに。
いろんなことを 聞かされて
私の事を 期待してたそうです。

その時は、弟子になって2年過ぎたくらいでしたかね

3年目になると ある程度の仕事はできるようになり 
ただ、高いところが 苦手でした
そして、重労働なので 良くケガをしていました
今思うと やる気がなかったんですね
だから、ケガをしていました
カッターで足を切ったり、鑿で木の皮を剝てるのに 立ち上がる時に 足に刺さってたり 
建屋(棟上げ)の時に落ちたり いろいろ 皆さんに迷惑をおかけしました

そんな、ある日 病院から退院し 会社に行ったら
親方から 怒られ 
お前なんか いなくなってしまえ!!と 凄い怒られました
そりゃそうです 屋根から落ちてしまう 職人はつまらないです
ましてや、仕事の手を止めてしまったり 病院で待ってくれていた親方や
工務店会社に多大な迷惑を かけました

本当にあの時は 何もわかってなかったし 自分の事ばかりしか思ってなかったので 退院した時に 
ほんの菓子折りをもって 謝りに行きました

そんな、責任重大なことも経験し 心や頭の中が ぐるんぐるん
しだし 夜も寝られなくなっていました。

会社に何も、お返しになるものがないので ある時 大工仕事頑張ろう 
1人でできるようになろうと 思ったのが25歳の時でしたね

それから2年後 卒業がきます
親)トヨ!! 話がある ちょっと来て
トヨ)はい。
親)トヨ。もう会社を出ても良いし お前が好きなようにしてもいいぞって言われました
トヨ)わかりました。 地元に戻ります、親父のところで 作業場で仕事しますと 言って

残りの数か月の間 仕事をして

5年間 中一人で活動した期間もあり 1年間 役6年間修業を終えました

そして、大工さん個人での活動が始まります

まだ、27歳 個人事業主というものを 知らない
ずっと 走り続けていきます。 そこからも 長い物語です

大工さん個人事業主の始まりです。

見に来てくれてありがとうございます😊
今日という日が 良い日でありますように
またお会いしましょう

大工のトヨさんでした🤚

  

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