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挑戦は良薬のごとし。ゆえに苦い。

2週間前からnoteでエッセイを書いている。
謂わばこれが自分の挑戦である。
その過程で得た気づきを書いていきたい。

仕事柄、文章を書く機会は多い。
内容は情報共有用の資料。
誰が読んでも同じ情報を理解できることが求められる。

かれこれ10年ほど、同じ業界にいる。
もう慣れたものである。
今では他の人の書いた文章をレビューする立場にいる。
どうすれば伝わりやすいのか。
どう書けば齟齬が生まれにくいのか。
理解しているつもりだし、人に教えることもできる。
プライドだってある。
そのため、エッセイでもある程度は対応することができるだろう。
と、たかをくくっていた。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。
書いていて違和感がある。
気持ちが悪い。
何かが違う気がする。だが、何が違うかわからない。
俗に言う、
「何が分からないのかが分からない」
という状態に陥っていたのだ。
こうなってしまってはお手上げだ。
では、どうするか。
人から盗むしかない。
幸いにもnoteには最適な環境が揃っていた。

他の人のエッセイを読んでいて気づいたことがある。
自分の文章には感情がない。
正しく言うと感情を読み取れるような文章が書けない。
自分が何を思い、何を考えているかをどう表現していいのかがわからない。
事実だけが並べられ、最短距離で結末まで進んでいく。
あまりにも淡白で面白みがない。
正直、自分でもつまらないと感じる。
これが自分の感じた違和感の正体であった。

これは書き始めるまでは一度も考えたことがない盲点だった。
もしかすると職業病なのかもしれない。
業務上では、それが良いことだとされてきた。
しかし、環境が変わると求められるものも変わってくる。
今のままではダメなのだと痛感した。

挑戦しなければ一生気づくことはなかっただろう。
たった一歩踏み出すだけで、凝り固まった世界を変えることができる。
これだけでも大きな成果と言える。

また、自分が足りないこと分かると人は学びを得ようとする。
他の人のエッセイを読む際に、意識して読むようになる。
作者がどういう感情がだったのか、どうしてこの表現にしたのか。
何がいい表現なのか。
何を伝えたいのか。
今まで見逃していた情報に気づく。

学ぶと次は試してみたくなる。
試した後は結果を振り返り、また足りない部分を学ぶ。
1つの挑戦が次の挑戦を生み出し、最高の循環を形成する。
段々と挑戦すること自体が楽しくなってくる。
日々、成長を感じる。
故に充実感を得られる。
連鎖して、モチベーションも上がっていく。
最終的には毎日に意味があるような気がしてくる。
ここまで来ると、挑戦する前には戻ることができない。

そう、挑戦とは人生を豊かにしてくれるのだ。

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