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分かっているから、正しさを押し付けてくんな

規則正しい生活。
ここ2週間、今までの乱れ切った生活を正すために戦っている。
一応順調に来ていたが、今日急に全てが嫌になってきた。
本当に全てが嫌になっている。

「以前の生活のほうが絶対合ってた!みんなに合っていることがお前に合うとは限らないだろ!」
『でも、体調はいいんだよね?なら続けた方がいいんじゃない?』

確かにここ数日、体調はかなり良いのである。
しかし、これは心の問題だ。
心が辛いと叫んでいる。

『どうやら、新しい習慣を身につける過程ではよくあることらしいよ。だから気にしすぎないで続けようよ』
「いや違うね、無理しているんだ。だから辛い。今すぐ辞めた方がお前のためだよ」
「つーか、悩みを”よくあること”で片付けんなよ!」

一般論ではその通りなのだろう。
よくあること、だから大丈夫。問題ない。気にしすぎ。
頭ではとっくの昔に理解している。
でも、心で拒否している。
だからこそ、辛いという言葉で表現するしかないのではないだろうか?
正しさは理解しやすい。
だからこそ感情を蔑ろにする。

『でも、この規則正しい生活をするって決めたのは君だよね?』
『一時の感情でそれを無碍に扱う行為は、この2週間の君を否定することにならない?』
『何より乱れ切った生活を正すと言っているんだから、この生活リズムが正しいことは君も理解の上でだよね?それなのにちょっとキツくなったら被害者面するの?』
『正しさの内側にいるのに、都合が悪くなったらその正しさを否定するのはおかしくない?』
「・・・」

自分は正しさと戦っているのだと思っていた。
しかし、どうやらそうではないらしい。
本来であれば自分の弱さと戦うべきだった。
それに目を向けず、むしろ自分の弱さに甘えていた。

ここが分水嶺。
踏ん張りどころだ。

『始めにも言ったけど、新しい習慣を身につける過程ではよくあることだよ。だから気にしすぎないで続けるのがいいと思うよ』
「まあ・・・、あと少しだけ続けてみるのも良いかもな。それでもキツかったらまた考えよ」

ということで、あと少しだけ戦うことになった。
戦いの後に正しさを受け入れることができることを祈りながら。


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