閉塞感と共に人生を歩く【エッセイ】
自分の書いた文章を読み返していると、ある種の息苦しさに気づくことがある。
これは閉塞感と言われるものだろう。
しかし閉塞感について何となくしか知らない。
だから閉塞感について考えてみたい。
おそらく字の通りだが、改めて閉塞感という意味を調べてみる。
なるほど、やはり字の通りだ。
現段階から希望が見えない。逆に限界が見ている。といったところだろうか。
なんともまあ陰気臭い。
だが、確かに思い返してみると自分の人生は閉塞感に満ちていたような気がする。
自分は昔から大体のことが平均くらいにできる。謂わば器用貧乏だ。
別にこれに対して誇りがあるわけでもないし、自分より実力者を見て嫉妬することも凹むこともない。まぁこんなもんだろ。と思う程度だった。
他にも今後の人生に関わる大きな選択をする時にもあった。
進学、就職、転職。どれも自分に合うのはこれだ!と言い切れるものはなかった。
何を選んでも上手くはいかないだろう。でも、そこそこの結果は得られるだろう。
いつもこんな印象しか受けなかった。
だから適当に選んできた。たぶんどれを選んでも一緒だろうし。
そうは思っていながら頭の隅では本当にこれでいいのか?と自分に疑問を投げかけずっと考えていた。
しかし、打開策見つけられない。何年何十年経っても同じことを繰り返している。
まさに、閉じふさがったように先行きが見えない。
閉塞感とは何なのだろうか。
言葉の意味としては状態・環境を表しているのはわかる。
ではなぜこの状態に陥るのか。
それは感情と思考の2つによるものだろう。
感情として諦めや無力感が近いだろう。
自分には力が及ばない、影響を与えられないと感じてしまう。
ではこの感情はどうやって生まれるのか。それは最初は不安や焦り、苛立ちなどの感情がだったが、時間をかけ煮詰まり出来上がったのではないだろうか。
思考としては行き詰まりといったところだろうか。
よく言えば状況を判断できてしまっている。自分の能力も求められる能力、現在から予測される自分の未来も分かってしまう。
故に出口が見えなくなってしまっている。
感情×思考。これが良くない方向性で一致してしまった結果の状態。
これが閉塞感に至るのではないだろうか。
この仮説が正しいのであれば、閉塞感から脱する方法は明確だ。
狭まっている視野を広げてしまえばいい。
力が及ばないのであれば力をつければいい。出口が見えないのであれば別の出口に無鉄砲に進んでみればいい。
閉塞感から抜け出すだけであれば問題なくできる。
しかし、違うのだ。
自分はこの閉塞感をエッセイの武器にしたい。
読者が自分の感じる閉塞感に共感してしまうようなエッセイを書きたい。
そしてどう打開するのか、どう考えるのか、どう悩むのかを楽しんでもらいたい。
だから僕はこの閉塞感を人生の友にしようと思う。
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