会話はノリ。会話は情報伝達。どちらもありうる…そんだけだ。だから対立しないでほしい。【エッセイ】
Twitterにこんなのが流れてきた。
これは確かに事実だと思う。でも今まで気にしたことがなかった。
こういうのに出会えるからSNSというのは面白い。
しかし同じタイプ同士だけで付き合うというのはあまりにも寂しいと感じてしまった。
この2つの価値観の大きな違いは会話をどう捉えているのかだ。
ノリ派にとって会話自体、貴方と話すこと自体が目的だ。
だから会話の内容を忘れていても別に貴方を大切にしていないわけではない。むしろ逆なのだ。貴方しか見ていないのだ。
会話した内容より貴方がどういう反応をするかを見ている。
話している間、相手は貴方のことで頭がいっぱいだ。
では、情報伝達派はどうか?
会話が手段であり、その先にある情報・意思の共有が目的となる。
だから会話の間あまり反応が良くなくても貴方との時間が楽しくないわけではない。むしろ逆なのだ。貴方の機微を繊細に追っているのだ。
会話中の反応より貴方がどういう考えをしているのかを聞いている。
話した後、相手は貴方のことで頭がいっぱいだ。
そしてどちらにも欠点がある。
ノリ派はその場の流れを汲んで話している。だから時と場が変われば話す内容も変わってしまう。
結果として軸がブレたり、以前と話すことと矛盾してしまう。
そのせいで相手は困惑してしまうだろう。
情報伝達派は共有したい情報・意思がある前提で会話をする。
そのため共有したいことがなければ会話そのものが発生しない。
結果として関係性の構築が上手くできなかったり、人付き合いの機会が減りコミュニケーション自体に苦手意識を持ってしまう。
そのせいで相手は自分を嫌っているのではないかと誤解してしまうだろう。
では、会話はノリと情報伝達、どちらが正しいのか?
この問いに関して言えばどちらも正しいということになる。
だがそんな曖昧な回答では落とし所として弱いだろう。
じゃあ何を正とするのか。
それは相手に合わせることだと思う。
会話というものは一人では成し得ない。
そして自分を変えることはできても、相手を変えることはできない。
だから相手に合わせて自分を変えるのが一番正しいと言えるだろう。
では、どのように変えるのか?
何も自分のタイプを変える必要はない。スタンスだけ変えればいい。
ノリ派が情報伝達派と会話するときには
「この人自分のことめっちゃ覚えてくれてんじゃん!やばっ!めっちゃ私のこと好きじゃん!」
情報伝達派がノリ派と会話するときには
「この人目的もなくめっちゃ話してくれんじゃん!やばっ!めっちゃ私のこと好きじゃん!」
くらいのポジティブで良い。これくらいに気楽なスタンスでいい。
そんな大雑把な区分程度で相手と会話するかどうかを決めないでほしい。
楽な道を選んだ先にあるのが、必ずしもあなたが報われる未来とは限らないのだから。