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それっぽいことを、言わない。

(まだまだですが)ボクが心掛けていることです。
特に、非営利のコミュニティで、理念や使命に共感して作られるコミュニティでは、その解釈やそれに基づく活動の意味の理解が、人によって違います。

活動の局面や、ご一緒するお相手にもよりますが、極力複数の解釈が成り立つ物言いをしないように心掛けています。すなわち、抽象的に、それっぽいこと。

例えば「世界平和」。
そりゃみんな目指したい。でもそもそも「世界」って?「平和」って?
そして、いつまでにどんな状態を目指すの?そのためにいつ、誰と、何をするの?…って疑問が生じますよね。

なので、この場の世界はここ、平和はこういう状態、を決めて、何度もいろんな機会に言葉にして、行動にして共有し続けます。

コミュニティは、共通の興味関心の「旗」のもとに集った「仲間」が、継続して行う「活動」と「出番」のある場。

時として起きるトラブルの際に、その「共有」が効きます。
目指す方向と、行動と、出番が見えていれば、自分が何をすればいいかが見えるから。同時に、その時にいる人が、何を「やれる」人なのか、をその人自身と周りの人もわかっていると、尚良しです。

そのためにも日頃から、馴れ合いではなく、お互いに感謝と尊敬の念を持ちながら、言うべきことを言える状態、いわゆる心理的安全性のある状態を作ることが大切。この状態での会話を「コミュニケーション」と言うのだと思います。

そのためにも向き合う時は、ボクの大好きな坪田信貴先生的に言うと「小学校4年生に話しても伝わる」ように。そして「ラポール」な状態で話すこと、すなわち、何を言うにしても、相手を心の中で抱きしめて言う状態も、心掛けています。

そして、決められた規則や慣習を、盲目的に受け入れないこと。
規則であれば、それが決められた当時の理由や背景があります。今は、その時の状況と違い、規則を変えていないことの方がおかしいこともあります。また、無用に細かすぎたり、逆に大雑把すぎたり。

いずれにしても、何か決まっていると、特に非営利組織の場合はそれを拠り所に運営することもあるので、ともすると「守る」方のプレッシャーが強まることもあります。そもそもその規則が必要か否か、さらにその解釈は言われた通りに受け入れることが必要なのか否か、をよく考えることも大事です。

それに違反している的なトラブルの場合、そもそも起きていることが「トラブル」かどうかを、見極めることも大事ですね。ちなみにトラブルの時は「何が」「なぜ」トラブルなのか、を見極めること。規則の深読みや解釈違いで、トラブルと誤解されていることもありますからね。

いずれも日頃の「コミュニケーション」の賜物です。
うまくやれるようにするためにも「それっぽいことを言わない」と、うまくいく気がします。

…と書いてから読み直して思ったこと。
そもそも「それっぽいこと」って、人によってイメージが違う=複数の解釈が成り立つ表現ですね。ダメじゃんw。

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辻 貴之
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