最期の写真になったとしても(前編)|撮影日誌
2022年も写真を通じて
たくさんいろんなことがありました。
書きたいことはたくさんあるけれど
今年の最後に
これは今、残しておきたい
と思った出来事が繋がったので
それをここに残しておこうと思います。
(※今回のお話は、詳しく書くと特定されてしまうので、すごく曖昧な表現で書いています。読む側からするとわかりにくく、申し訳ありませんが、ご了承ください)
今年の秋も深まる頃、
以前、お仕事で関わったとある団体の方から
一通の連絡が届きました。
内容は、
団体の一人に不幸があった、という
突然の訃報とともに、
その方へあてる寄せ書きに
以前わたしが撮影した写真を使わせて欲しい
という相談でした。
『一番〇〇さんが〇〇さんらしい姿で、
皆がその写真がいいと話しています。
畠中さんが撮った写真に映る〇〇さんが、
本当に楽しそうで、嬉しそうで、
仕事が大好きだったのが伝わるし、
そんな〇〇さんが私も含めて皆大好きなので』
当時、関わった仕事というのが、
今から数年前になりますが、
その団体さんの新しく始まった活動についての取材。
取材当日、
その活動を行っている場所に着くと、
屋外で一人作業をしている方に出逢いました。
その方が今回訃報のあった方です。
元々いただいたお仕事としては、
その活動一つに対する取材記事の作成ということだったので、
あらかじめ記事の文字数も決まっていました。
本来であれば、文字数も限られていたので
新しい活動のことだけを記事にする予定でしたが、
その方が楽しそうに作業をしている姿に惹かれ、
お話を聴かせてもらったところ、
その作業はこの団体の未来に関わることでしたので
可能ならこの方のお話も組み込むことができたら、
と思いました。
団体の、その場所の未来を見据えての作業を
楽しそうに話し、行う姿。
決して若くない年齢でしたが、
未来の展望をしっかりと持ち、
その方には、自身が作業を続けることで
この場所の変わっていく姿、
未来の姿に対する具体的なイメージがあることが
伝わってきました。
一枚撮らせてください、と伝え、
作業しながらカメラに向かって笑ってくれた写真が
今回の連絡となった一枚の写真です。
作業している姿のまま、
首にはタオルをかけ、飾らない姿で。
背景には、その場所の風景がくっきりと映った写真でした。
それがもう数年前の出来事。
それから月日を経て今年、
再度その団体さんに別の仕事で訪問する機会があり、
もう一度その方にお会いすることが。
あの日作業していた場所は
その方の継続した作業によって変化が。
「すごい!変わりましたね!」
と思わず伝えると、その言葉に対し
『まだまだ』と
笑みを浮かべていました。
それが、わたしの中での最期の姿となりました。
その二回しかお会いしたことはなかったのですが、
その時の姿やお話ししてくれたことは
しっかりとわたしの中に残っています。
今回ご連絡をくださった方に
写真了承のお返事を送り、
そのあと何通かやりとりを続け、
最後に
『最後を迎えてしまったけれど、
こんな素敵な写真を撮ってもらえて、
〇〇さんも生前嬉しそうだったのを覚えていますし、
今後も畠中さんの写真を楽しみにしていると思います』
そうありがたいお言葉をいただきました。
もちろんそのときは、
こうなることを考えて撮っているわけでもなく
その場所、表情、行動、全てが
『あ、今のこの場面がいい!撮りたい!』
そう思って撮影した一枚の写真です。
まさかこのような連絡がくるとも思ってないわけで
連絡をみてすぐには
なんとも言えない気持ちでいっぱいになりました。
なんとも表しようのない気持ち。
いつもいつも日々の喧騒で薄れちゃうけど
人も動物もみな、
いつどうなるかはわからなくて、
その人らしい、瞬間って
実は日常にありふれてるはずなのに、
ありふれて当たり前になっているから
残してないんだよなって、
何かあると必ず思い返す。
普段からそう思っていたら
きっとそれは構えすぎてて、
違うものにもなり得るのだろう。
その人らしい、を撮ろうと思うと
きっと"はじめまして"じゃ難しいけれど
限られた時間の中で
「あ!いいな!」
そんな瞬間に巡り会えて、写真を撮って。
その写真を
普段からその方をみている人に
「その人らしい」
そう思ってもらえることって
本当に貴重なこと。
はじめてのわたしが思った
”いい顔”が
”その人らしい”瞬間だなんて
なんてありがたいんだろう。
なにかあったときに、
「あの時の写真…!!!」
そう思い出してくれたことって
とってもとっても貴重で、ありがたいこと。
そうか、この気持ちはありがたい、
に おとしていいのかな、と。
今、撮っている写真がその人の最期にもなりうるかもしれない。
それはわたしと出逢っての最期だけじゃなくて、
誰かの記憶に残る最期になるかもしれない。
最期に選ぶ写真、
最期に送る写真に選んでもらうことは
すごくすごくすごく身に沁みました。
それは、
その人の印象になる、
ひとの印象に残る写真になるということ。
カメラ持って、人を撮る。
その一瞬には全力で向き合うこと。
その貴重な瞬間に出逢えたとき、
本気でその瞬間を残していくこと。
哀しみももちろんですが
それだけじゃなく、
出逢えてよかった、
撮らせてもらってよかった
この瞬間に巡り会えてよかった
感謝の気持ちも一緒に。
そう思いながら、
今年撮った写真を改めて見返しました。