【5/100】孤独に浸るーのきしたおふるまいの話ー
犀の角は、安心して孤独になれる場所だと思う。
冬休み最後の日、のしきたおふるまいに出かけた。たくさんの人々が忙しなく、あるいはゆったりと、談笑したり、ご飯を食べている。知り合いに「こんにちは」と挨拶し、しれっとすみっこに座る。
無理に輪の中に入らなくても良いという安心感。ほどよく放っておいてもらえるので、無愛想に雑煮をすすった。エネルギー量が少ないので、時々、無愛想という名の省エネモードを発動している。なんとなく話しかけづらい時は、省エネモードです。
雑煮をすすりながらぼんやりとそこに集う人々を眺める。知ってる人が知らない人と楽しげに話している。わたしの知らないコミュニティ、知らない関係性、知らない人たち。目の前に広がる「知らない」に寂しさと孤独を感じながら安堵する。
『宇宙兄弟』にこんなセリフがある。
「知らない」に出会うと孤独を感じる。でも、犀の角で出会う孤独は「一人ではない」という安心感の上に成り立ってるので、居心地が悪くて、心地良い。何を言ってるかわからないかもしれないけど、矛盾が、相反するものが、そこにはある。
『宇宙兄弟』のセリフを思い出したからか、のきしたおふるまいが小さな宇宙に見えてきた。集う人々は星。わたしはその隅っこで観察する天文学者、あるいは愛好家。人によってわたしも星のひとつとみなしてくれるかもしれない。星であるならば、衛星がいい。そんなことを思いながら星々の写真を撮った。
上田の街中にあらわれた、不思議な宇宙で孤独に浸る。そんな年の始まり。明日からお仕事です。
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